今年の頭に東博で「妙心寺展」を見てからか、
水墨画に気が向いて、
松岡正剛氏の「山水思想」という本にもめぐり合い、
なんだか随分渋い世界にひきづられた一年だったようだ。
日本の筆墨、水墨画を見ていくと
どうしても中国の水墨画を見なければならない。
どう発音するのかわからない難しい漢字の画家と、
その画題の摩訶不思議さに
異界の世界を感じざるを得ないにもかかわらず、
その上漢字を使っての漢詩が山水画とセットされている。
これもまた難解でひたすらハードルの高さに
呆然とする。
思えば、妙心寺は水墨画のメッカではなかったか。
禅とも近い水墨画。
東博の東洋館でも中国墨蹟の圧倒される画面に
ただ見つめるだけで、
何がそんなに凄いのか、まだまだ掴めやしない。
歩き始めたばかりの初心者なのだ。
中国の文化がすべてだったころ、
唐物に熱中した時代。
そんなところから水墨画との付き合いが始まったのだと
わかってきた。
禅が到来し、お茶もきた。
文房具や道具もたくさん将来された。
雪舟は中国に行って絵を学んできたし、
禅寺を中心に文化人を名乗る人々には
これらが修行だったし、基本だったのだろう。
墨の世界は半端じゃない。
ひたすらはるかなる道のりを感じる。
今回の「筆墨の美」の前期に行かれずに残念ではあったけれど、
牧谿の恐ろしくも口をあけた蛇に睨まれている羅漢図を
見ることができたので、大満足。
なにしろ、来年東博で短期展覧される長谷川等伯が
懸命に手習いした牧谿なのだ。
先日畠山美術館でみた「煙寺晩鐘図」
もやっとした稜線のない山に霧がかかる
あの茫洋たる雰囲気を描いた人。
鎌首を上げた大蛇に、微動だにせず
悠然と胡坐をかく羅漢。
修行とはこういうことか。
館内には他にも興味深い楽しい作品が並んでいた。
水墨の墨と筆であらわされる思いがけない多様な表現。
牡丹図巻 紙の幅いっぱいに
大きく牡丹が描かれる。
筆遣いも様々に力あふれる牡丹。
墨竹図巻 墨のもつ様々な色遣い表現を見る。
月、梅、山水、花鳥などなど。
その日見た、
「秋景山水図」文人画家 李士達
の水墨画が朝日の夕刊に大々的に紹介されていて、
驚いた。
これ、今日見てきたばかりよ!!
中山高陽、与謝蕪村などの中国ではないのどけさがにじみ出る
風景画。
渡辺崋山の高士愛虎図。
もうこの虎は牙を抜かれてただただ従順な飼い主に
従うばかりで、その目線はシャイ。
こんな弱弱しい虎は見たことがないくらいかわいらしい。
来年の干支なんだけれど。
抱一の銀世界の荒波「波図屏風」は
あの繊細でうっとりと草花に命を与える絵師に
何事が起きたのだろう?
と思わせる轟々たるうねりの波頭。
やはり光琳の波頭に影響されたようだった。
図録の表紙となった
鈴木芙蓉の「那智大瀑雨図」(画像のもの)
不思議な構図で、左上からどうと流れる滝が
暴風雨にさらされて谷下に霧となって舞い上がる図。
大変な事態なのに、静かなのだ。
不思議な絵だ。
何かが起こりそうな気配がある。
他にも鉄斎の文字と珍しい硯があったり、
玉の筆洗、竹の根っこで作った墨をするときに使う
水滴の様な小さな水入れ、それと対の小さなさじ。
など文具の展示も楽しいものがあった。
様々詳しいことは図録に解説がされていて、
漢詩の現代語版もついていたので、とても助かった。
じつに詳しい解説で、作品についての物語も充実。
図録の淡々とした解説に終わっていない点が
珍しく、読み物としても大いに興味深いもの。
手引きとしても役立ちそうな良い図録と思った。
カサカサ鳴る落ち葉を踏みしめてながら散歩し、
ゆったりと墨の魅力を味わえる質の高い展覧会だった。
会期は迫り、20日まで。
水墨画に気が向いて、
松岡正剛氏の「山水思想」という本にもめぐり合い、
なんだか随分渋い世界にひきづられた一年だったようだ。
日本の筆墨、水墨画を見ていくと
どうしても中国の水墨画を見なければならない。
どう発音するのかわからない難しい漢字の画家と、
その画題の摩訶不思議さに
異界の世界を感じざるを得ないにもかかわらず、
その上漢字を使っての漢詩が山水画とセットされている。
これもまた難解でひたすらハードルの高さに
呆然とする。
思えば、妙心寺は水墨画のメッカではなかったか。
禅とも近い水墨画。
東博の東洋館でも中国墨蹟の圧倒される画面に
ただ見つめるだけで、
何がそんなに凄いのか、まだまだ掴めやしない。
歩き始めたばかりの初心者なのだ。
中国の文化がすべてだったころ、
唐物に熱中した時代。
そんなところから水墨画との付き合いが始まったのだと
わかってきた。
禅が到来し、お茶もきた。
文房具や道具もたくさん将来された。
雪舟は中国に行って絵を学んできたし、
禅寺を中心に文化人を名乗る人々には
これらが修行だったし、基本だったのだろう。
墨の世界は半端じゃない。
ひたすらはるかなる道のりを感じる。
今回の「筆墨の美」の前期に行かれずに残念ではあったけれど、
牧谿の恐ろしくも口をあけた蛇に睨まれている羅漢図を
見ることができたので、大満足。
なにしろ、来年東博で短期展覧される長谷川等伯が
懸命に手習いした牧谿なのだ。
先日畠山美術館でみた「煙寺晩鐘図」
もやっとした稜線のない山に霧がかかる
あの茫洋たる雰囲気を描いた人。
鎌首を上げた大蛇に、微動だにせず
悠然と胡坐をかく羅漢。
修行とはこういうことか。
館内には他にも興味深い楽しい作品が並んでいた。
水墨の墨と筆であらわされる思いがけない多様な表現。
牡丹図巻 紙の幅いっぱいに
大きく牡丹が描かれる。
筆遣いも様々に力あふれる牡丹。
墨竹図巻 墨のもつ様々な色遣い表現を見る。
月、梅、山水、花鳥などなど。
その日見た、
「秋景山水図」文人画家 李士達
の水墨画が朝日の夕刊に大々的に紹介されていて、
驚いた。
これ、今日見てきたばかりよ!!
中山高陽、与謝蕪村などの中国ではないのどけさがにじみ出る
風景画。
渡辺崋山の高士愛虎図。
もうこの虎は牙を抜かれてただただ従順な飼い主に
従うばかりで、その目線はシャイ。
こんな弱弱しい虎は見たことがないくらいかわいらしい。
来年の干支なんだけれど。
抱一の銀世界の荒波「波図屏風」は
あの繊細でうっとりと草花に命を与える絵師に
何事が起きたのだろう?
と思わせる轟々たるうねりの波頭。
やはり光琳の波頭に影響されたようだった。
図録の表紙となった
鈴木芙蓉の「那智大瀑雨図」(画像のもの)
不思議な構図で、左上からどうと流れる滝が
暴風雨にさらされて谷下に霧となって舞い上がる図。
大変な事態なのに、静かなのだ。
不思議な絵だ。
何かが起こりそうな気配がある。
他にも鉄斎の文字と珍しい硯があったり、
玉の筆洗、竹の根っこで作った墨をするときに使う
水滴の様な小さな水入れ、それと対の小さなさじ。
など文具の展示も楽しいものがあった。
様々詳しいことは図録に解説がされていて、
漢詩の現代語版もついていたので、とても助かった。
じつに詳しい解説で、作品についての物語も充実。
図録の淡々とした解説に終わっていない点が
珍しく、読み物としても大いに興味深いもの。
手引きとしても役立ちそうな良い図録と思った。
カサカサ鳴る落ち葉を踏みしめてながら散歩し、
ゆったりと墨の魅力を味わえる質の高い展覧会だった。
会期は迫り、20日まで。