あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

永徳から、宮城まりこへ 新・日曜美術館

2007-10-29 22:49:24 | つらつら思うこと
かたや、安土桃山の武将お抱え絵師。狩野永徳。
おどろおどろしい2頭の唐獅子絵。
巨大な壁面に描いたものを、
後に屏風仕立てにしたのではないかとの解説がされていた。

それにしても、
その大きさたるや。

為政者と権威の横にはいつも豪奢な美が鎮座する。
絵師の意志はどの程度のものだったか。
本当は実は、これが描きたかった、
ってものがあったのではないかと思う。
クライアントに誠意を尽くすことが天命で、
まさに命を張って仕事をし続けて、
結果、過労死ともいわれているとか。

残ったものだけがすばらしいものとは限らないのだ。

安土城がまだ残っていたなら。
そこにはどんなきらびやかな夢の世界があったことだろう。

信長が自身を神となったことを天下に知らしめるための
象徴が安土城だったとしたら。

そこを神の住む場所として、命を与えた絵師が永徳。

徳川家康の日光東照宮もものすごい異空間であるけれど、
あの凄さは、
安土城が下敷きにあったのではないだろうか。
圧倒的な爆風を感じるのだ。

かたや、ねむの木学園をつくった、宮城まりこさん。
ねむの木学園の美術館開館のために尽力したルポが
再放送された。
六本木で展覧会が開かれた頃に放送されたものの
再放送。

この映像は心に染みる。
ピュアという言葉が、子ども達の描く絵から溢れている。
ただ、絵が描きたかった、それだけ。
この純粋の絵に切なくなる。
誰に頼まれてのものでなく、
ひたすら一人の子どもの目から、心から描いたもので、
障害があることが逆に無欲で
きれいな瞳でありつづけ、
無邪気に無心でありつづけられる。
そのすごさ。

宮城さんが溢れる愛情で、包み、抱き、温める。
欲がないということも
又反面怖いものだと思った。
恐ろしく、清心なのだ。
邪悪を寄せ付けないのだ。
そんな私のつまらぬ心配をよそに
ともかく深い愛情が画面一杯にこぼれていた。

壁一面の権力という欲。
いづれ瓦解していく運命をはらみながらも。

壁一面の無心という愛。
信頼、という幸福をひたひたと力強く
染み込ませる。

そのどちらも芸力。

この落差に、しばし身動きが取れない私だったのだ。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上野界隈 画像アップしてみ... | トップ | ぽち花 17 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (一村雨)
2007-10-30 22:46:25
ねむの木学園には、菊川にあった時と、
掛川に移転した時の2度訪れています。
あの美術館にも行って見たいと思っています。
昔々岩波ホールで見た映画が感動的でした。
今は教育の現実のダーディーな泥にどっぷりと
嵌まっている毎日ですが、この映画を思い出す
たびに一瞬、教育の理想を信じた若かりし頃の
ピュアな気分を味わうことができます。


返信する
一村雨 さま (あべまつ)
2007-11-01 23:09:54
こんばんは。
私はねむの木学園の美術館に慈悲とか、
精神的な清らかさとかを
凄く感じます。
眩しすぎて、きゅんとしてしまいます。

一村雨さまの日々にも神のご加護あれと、
祈ります~
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。