あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

息子18才となる

2014-01-29 22:10:14 | つらつら思うこと

 なかなかアート鑑賞に心が向き合えませんので、
 息子のことなどを記事にしようと思います。

 昨日は愚息の18才の誕生日でした。
 無事によくそここまで。
 高齢出産の初産でそれも切迫早産で緊急手術となって帝王切開。
 2,500gを切る未熟児でしたので
 すぐにNICU(新生児集中治療室)の保育器にいれられ、
 母子は別々の特別看護を受けていました。
 神戸に出張する予定の夫は夜中に呼び出され、
 雪の降る中タクシーで駆け付けすぐに私の手術を認める書類にサイン。
 私は数時間前からの陣痛で悪戦苦闘中で、予期しない陣痛で
 どうすることもできなくただうなりながら横たわっているだけでした。
 オペの予定は二日後だったのです。
 出産の予期しない様々があることを身を以て知りました。

 手術室で麻酔のかかった朦朧のなかでも
 赤ちゃんがぶるんと引き出されていく感覚はわかりましたし、
 生まれたての小さな手のひらを握ることも出来たのでした。

 生まれたときにおぎゃーと泣かなかったので
 なにか問題があるかもしれないと産科医に言われたと夫が後から教えてくれましたが、
 NICUでおむつ替えをしたときにおしっこをかけられたと苦笑いしていました。

 とても雪の降る寒い冬でした。

 小さくて、虚弱な線の細い子でしたが、それなりに面白い子育て期間だったのは
 周りに沢山子育て中の家族がひしめく団地だったからだと思います。
 生まれたときから超マイペース。
 この親にしてこの子あり。
 幼稚園時代に私の乳がん手術のピンチがやってきましたが、
 沢山のママたちが助けてくれました。
 先生たちも応援に駆け付けた母とも仲良くやってくれました。
 お見舞いの友達からも力をもらいました。
 家事から解放され、最高に大事にしてもらって
 本やらCDやらをごっそり持ち込んで自由時間を楽しみました。
 息子は最初はなにしろ心細かったようですけれど、
 そのうち母とバスに乗って病院に来ることが日常となって
 だいたいはなんとかなるものだと実感したものです。

 そして小学校入学。一年生の夏に今のマンションに引越、転校を体験しました。
 一緒に同じマンションに引っ越した女の子がいたので奇遇!でした。

 運動よりも電車が好きな大人しい子でした。
 週三回、そろばん教室に通って送り迎えもよくやってきたものだと
 思い出します。
 
 中学に入って、ようやく人並みに思春期の成長期を迎え、
 毎日汗をかいて卓球に専念したものの、秋に体調を崩し、
 卓球部を辞めることになりました。
 無理なときには何をやっても冴えません。
 それは突然で、上手く立ち回れないことも手伝って
 学校に行けない日々が百日以上続きました。

 あぁ、これが不登校児なのかと思いましたが、
 本人が不調の時は何も出来ないものです。
 病院で精密検査やら、心療内科などにも行ってみたりしましたが
 重篤な症状はないので、日々お腹に優しいものを工夫して過ごしました。
 学校との話し合いも思うように行かず、私はある程度腹をくくって
 今の時代、色んな生き方があるんだし、焦ることはない、
 ともかくはゆっくりすることに決めました。
 勉強が進まないことと、学校以外の環境を探して
 塾に通うようにしました。
 学校以外の先生とのコミニュケーションも大事だと感じました。
 中3になって、気分一新、先生にも恵まれ、クラスにも恵まれ
 今までの悶々はなんだったのかと思うほど元気になりました。
 高校受験を控え、夏休みからようやく友達の勧める塾に通い出し、
 なんとか入学できそうな高校を見つけ出し、心明るく卒業することが出来たのです。
 東北震災のあの年のことでした。
 
 やっと自分の空気がつかめるようになって、
 自己主張も出来るようになって自宅から1時間以上かかっても
 休まずに通学し、愉快な仲間たちにも恵まれて
 楽しい高校3年間だったのではないでしょうか。
 自由な校風も幸いだったと思います。
 突然金髪になってきたときはさすがに驚きましたが、
 三日金髪で、黒く染め直したのでした。
 今は必死の受験追い込み中。
 人生初の頑張りを続けています。
 来月末には彼の進路がだいたい見えてくるはずです。

 何事も自分が納得しなければテコでも動かないのは
 小さいときから変わらないガンコものです。
 万人に好かれて、心優しく、立派な正義の味方になれるひとは、
 ほんのわずかな限られた人です。
 そんなエリートは誰かに任せて、
 彼らしい生き方が出来ればそれでいいと思うようになりました。

 ガツガツ自分の事に振り回されて生きて欲しいと思います。
 この私がそうだったから。
 何も言わなかった母に今でも最大に感謝しています。

 そんな息子が18才。

 あっという間の18年です。
 私の大学入学の時、何を考えていたのか。
 そんな年に息子がなるなんて、なんとも不思議な面映ゆいことです。
 
 社会への窓口はもう少し。
 もう、自力で当たって砕けろで笑って乗り越えていけますように。

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2 コメント

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Unknown (oki)
2014-01-30 00:29:16
僕も、父50,母42の高齢出産でして、帝王切開だったのも同じです。
父は、僕が東大に合格した時、ああこれでもういつ死んでもいいと言いました。
実際、僕が大学3年の時、肺ガンが見つかりました。当時はガン=死。
一応親には感謝しています。
何しろ、軍隊の経験がありますから、厳しかった。
友達を大切にしろ、と繰り返し言ってました。
それが出来なかった。
あべまつさんの息子さんにも幸多きことを。
返信する
oki さま (あべまつ)
2014-01-30 14:30:00
早速のコメントありがとうございます。
息子のおかげで、思わぬ事沢山経験できます。無事で元気が一番なんですけどね。
母がいつも言ってることが今頃よく理解できます。エールに感謝です!
返信する

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