あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

西行の仮名 ・出光美術館

2008-03-21 13:43:54 | 日本美術
私がこの歳になって古典に向き始めたのは、
やはり、日本美術と、尊敬する白洲正子御大の影響が多大。
今回、西行の仮名に触れて、
ただ者ではない西行がどのくらい雅な人々に憧れをもたらしたか、
無学な私にも胸キュンで感じられたのだった。

1118年生、鳥羽院の北面の武士で、弓馬の道に優れ、眉目秀麗、詩歌管弦に堪能というから、どれだけのイケメンであったか、ゾクッとさせられる。
いまや、のりきよ、義清と聞いただけで、ときめく。
友人の急死に打ちひしがれて、出家したとも言われるが、そもそも武勇で誉れ高い家に生まれ、母は源清経の女(娘)だったという。
名家に生まれ、何不自由ない環境で育った、サラブレッド。

祖父の清経は今様の達人で、蹴鞠にも長じて、稀代の数奇者というから、
夭折したらしい西行の父代わりに、若い頃の西行に薫陶宜しく男としての影響を与えたことは違いなさそうだ。
そうして育った美しい青年は、スポーツ万能、歌上手、書もすばらしい。
そんな美男子を周りの人が放っておく訳にいかない。
後に西行は妻子もある身の上にもかかわらず、
事もあろうに白河上皇の寵愛を受け、後に鳥羽天皇の中宮になった、
待賢門院璋子に身分違いの恋心を抱いたという。
「阿漕」という歌枕が西行と切り離せなくなるのは、
この分不相応な恋心に、待賢門院璋子が阿漕なると歌にしたとか。
西行が出家するのはこれこそが原因と「源平盛衰記」に書かれているそうだ。

フィクションもあろうかと思うが、
物語としては、この方が遙かに深く、胸焦がされる。

その物語に歌が残される。

硯に向かい、筆を持ち、墨を吸い取り、紙に染めていく心模様。

いずれにしても、12世紀の西行の書が御子左家(みこひだりけ)という歌の家のものが冷泉家との関係が縁あって今回の公開となったことを思うと、
計り知れない時の流れ、歴史の道程の中に放り出された気がしてならなかった。

西行は、2008年のこの年になっても、
人の心を乱す、甘美な魅力に溢れていることを
流麗だけではない時に力の入る文字から、憎らしいほど伝えているのだ。

西行から時が流れ、1630年に宗達が宮中にあった西行物語絵巻を模写する。
烏丸光広という権大納言との交流は、禁裏本である西行物語絵巻を間近にすることができたのだろう。本阿弥光悦との距離も想像に易い。
時代は王朝文化ルネサンス。
雅な王朝時代の芸術を再興したかった光悦の思いを共にした、
宗達の絵筆から、西行への憧憬も感じられる。
原画がどのくらい素晴らしかったのか、
扇屋絵師だけでは収まらない、たらし込みの琳派の祖である、
宗達の誕生が感じられるというのは、大げさだろうか?

前回の伊勢物語に続き、歌のもつ心模様を花鳥風月と共に現してきた
日本文学の美しさに改めてため息した。

王朝の美は、歌に始まり、歌に終わるのだとしみじみ感じ入り、
ますます西行の生まれた王朝時代の甘美な世界と、
それに憧れた王朝復興の光悦、宗達の世界にうっとりさせられる。
その芸術はしばらくの後に光琳、乾山に受け継がれ、
現代の私達にも飽くことのないきらめきの陶酔に導いてくれている。
琳派の道は、辿ると王朝文化、
西行の存在も大きく関係するものなのだと大いに教わった、
素晴らしい企画だった。

参考「西行」 白洲正子 著
  「芸術新潮 3月号」
  「日本の美術 31 宗達」昭和43年11月 
  「週刊 日本の美をめぐる 2 宗達と光悦」2002,5月

今月30日まで。
もちろん併設の茶室、陶片室、ルオー室もお馴染みで、うれしい。
歌が身に付けば、もっと書の美しさに溢れる心情が理解できるのだろうな。

コメント (14)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 腰痛、要注意! | トップ | さくら開花 »
最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あこがれの西行 (チト)
2008-03-21 16:38:38
西行って完璧なイケメンだったんですね。
文武に秀で激しく深く美しい・・
あの白州正子さんをして、あの世で最も会いたい人(次郎さんじゃなかったんですね~)と言わしめたお方ですものね。

春になる度、西行を探ってみたいという気持ちにとらわれます。そういう気持ちだけで、気がつけば桜の季節が通り過ぎていく・・という感じなのですが

あべまつさんの記事を拝見してまたそういう気持ちが強くなりました。

返信する
Unknown (三日月湖)
2008-03-21 21:21:02
トラックバック、ありがとうございます。
昨年の「乾山」、前回の「伊勢物語」、そして「西行」と、作者や内容的なものが繋がっていたんですね。

それから、腰痛、お気をつけ下さい。 わたしも過去に、「ぎっくり腰」を2、3回やりまして、ひどいときは、動けなくて、病院に行けず、寝ていることも起きていることもできなかった覚えがあります。
腰痛も、度重なれば、阿漕なるべし...(失礼)
返信する
Unknown (Tak)
2008-03-21 23:31:23
こんばんは。

想いを馳せる。
そんな展覧会でした。
返信する
Unknown (panda)
2008-03-22 03:00:13
 腰は身体の「要」お大事になさって下さい。
 あべまつさんにとって、西行は心惹く憧れの存在なのですね。充実した時だったことでしょう。
 西行自身も伊勢物語を追体験するなど王朝の美の系譜にいらっしゃる、なるほど 今までの出光美術館の展覧会の流れに繋がるヒントを頂きました
返信する
西行 (nageire)
2008-03-22 12:09:39
西行にはすごくあこがれがあります。
素性も良いのですが、眉目秀麗でしかも地位も
武芸にも芸術にもすぐれ・・・でもそんなしがらみを
総て捨て、心のままに生きた。そんなのが良いですね。今に世の中では無理かもしれませんが、そうありたいと望むのです。
返信する
チト さま (あべまつ)
2008-03-22 22:00:04
こんばんは。
西行自身の業の深さに振り回され、魂を沈めるために
出家し、歌があったのでしょうか。
やることなすことに美をきらめかせ、いつも華があるという悲しみが切ないです。
櫻吹雪を仰ぎながら、死を感じる美学は西行から生まれたのだと、一々胸キュンです。
白洲正子氏ならば、西行と歌を語り合えることができるのでしょうね。
返信する
三日月湖 さま (あべまつ )
2008-03-22 22:08:40
こんばんは。
コメントありがとうございます。
京都王朝みやびの底流が感じられました。
最近の出光はとても見やすくなり、嬉しく通っています。

腰痛のお見舞いありがとうございます。
つらい体験をされたことがあるのですね。
これからは、少し腹筋背筋を鍛えたいと思いました。
三日月湖さまも油断されませんように★
返信する
僕は四十肩 (oki)
2008-03-22 22:09:00
「ぐるっとパス」を持っていないとどうにも腰が重たくてー。
時間に限りがあるのでどうしても招待チケットのある展覧会が優先されてしまいますね。
しかし西行、実は大学時代に日本倫理思想を教えていた佐藤正英という人が「隠遁の思想ー西行をめぐって」という本を書いていて関心はあります。
西行だからといって、文学の人がやるのではなく思想の人がやっても十分ものになることの証明ですね。
さて、「国宝薬師寺展」と日本橋高島屋「中山忠彦」の展覧会チケットが四枚ずつ入りましたのでご入り用でしたらまたメールください。
返信する
Tak さま (あべまつ)
2008-03-22 22:12:59
こんばんは。
コメントTBありがとうございます。

私の場合、想いを馳せる、その度合いが濃かったようです。
Takさんの記事にまた色々教わりました。
返信する
panda さま (あべまつ)
2008-03-22 22:21:10
こんばんは。
お見舞いありがとうございます。
要の外れた扇のようで、壊れてしまったらどうしようと思いましたが、何とか歩き回れるようになりました。
ここのところ、出光の琳派の流れが続いていて、
ようやく私にもその大きな川が掴め始めたところです。お公家さん達の大事な居場所だったのでしょうね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。