あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

上村松園展 ・国立近代美術館

2010-10-05 16:38:26 | 日本美術
それで、興味を持ったものの、
未だになかなか溜飲を下げた気がしないまま、
うろうろしている。

そんなことしていたら展覧会が終わってしまうので、
ともかく、現状の理解の程度を棚にあげて、
感想を書き留めておくことにする。

上村松園の画とは割り合い近くにあった気がする。
近美の常設はじめ、
去年だったかデパートで親子3代の展覧もあったし、
最近は、出光の前回のヴィーナス展でも、一角を飾っていた。
そのずっと前から正統派の揺るがない美人図として、
美術鑑賞を重ねる前からぼんやり視界に入っていたのだとも思う。
祖父母の両親たちの時代の人だ。

登場する美人たちを見ていると
清々しい気分と共に、厳しい佇まいや、
凛とした精神性、稽古に精進する真面目な姿、
着物をはじめ、小道具に対する緻密な表現、
それらが女性を飾って、一層美を引き立てていることに気づく。
ゆるぎない何かが圧倒するのだ。

その力強さが気になる。
この松園という画家は一体何者だったのだろう?
生活臭が全くなく、ひたすら画業に精進した。

松園の生い立ちは、早くに父を失い、母と姉の女系で暮らす中
幼い時から絵が得意でその道に行きたいと願った。
母親の強力な後ろ盾を精神の安寧にして、
12歳で画学校に入学し、飽きたらず、画学校で教鞭を取っていた
鈴木松年の画塾にも通う。
13歳で「松園」の名を師の松年から受け、
15歳で堂々の内国勧業博覧会で「四季美人図」を出品し、
英国皇子コンノート殿下お買い上げ。
この年に日本美術協会展に「美人吹笛美人図」出品。

15歳までの画業への集中力と実力も半端じゃなかった。
禁断の(?)男社会へ飛び込んでいったのだ。
甘い考えなど通用するはずもない。
絵に対する思いも半端じゃなかった。
現代の中学高校生にこの潔さがあるだろうか。

転機は18歳の頃、姉が嫁ぎ母と二人暮らしになる。
松年の許可を得て、幸野楳嶺を師事する。
ここでなぜだと引っかかる。
漢学も学ぶ。
20歳の年に幸野楳嶺が50歳で亡くなり、
竹内栖鳳の門下生となる。
それからというもの次々と作品を発表し、
27歳で松篁を産み、
28歳でアトリエを持つ。
女性としてもしっかり人生を歩んでいた。
この期間が絵にも清々しい色香が香っているし、
ほのかにエロスもにじんでいる。
瞳は潤んで焦点もぼけている。
「人生の花」には多分松園の分身が潜んでいて、
嫁ぐ花嫁姿に自身を投影したのではないだろうか。
女としても華やいだ頃、と想像した。
後に、結婚をしないで
父の存在を明らかできない松篁を産んだことは、
その後の画業や生活にも深く影響したことだろう。
国内外で画業を認められ、審査員なども務める。
画業は順調だと見えた。
恋愛を成就させる選択はなかったのだと思う。

43歳、少女の時からの絵の師匠、松年が70歳でこの世を去る。
その年に「焔」を描く。
父とも思えるほどの年齢差だが、松園の人生において、
どのくらい大きな存在だったか。
巷間では松篁の父親との話もあったり。
事実かどうかは松園が胸に仕舞い込んだことだ。
しかし、その年に描く画題を六条御息所にしたのは
なにか因縁を感じてしまう。

47歳で「楊貴妃」を描く。
このあたりで何か吹っ切れた気がしてならない。
39歳から謡曲を学び始めたが、
絵にもその影響があってか、
そのからの画題も増えた。
昭和期の松園の女性の眼力に注目したい。
今までは靄がかかっていた瞳に、
ためらいがなくなりキリリとしたすっきりした線が
現れ、瞳にも迷いがなくなる。

師事してきた師匠の形から、存在から離れ、
いよいよ松園自身の形が堂々と晴れ舞台を踏んでいったのだ。
昭和9年、母仲子が86歳で亡くなる。
「母子」を文展に出品。
親子の愛情を描くとき、いつも母親を想ったという。
実際母親の青眉を整え削ぐところをよく見ていたそうだ。
お歯黒もまだ残っていた頃。
結婚し子供を生んだ女性の印が青眉とお歯黒。

松園の随筆に
 私は青眉を想うたびに母の眉を思い出すのである。
 ・・・
 母は毎日のように剃刀をあてて眉の手入れをしていた。
 いつまでもその青さと光沢を失うまいとして
 眉を大切にしていた母のある日の姿は今でも目をつぶれば
 瞼の裏に浮かんでくる。
 ・・・
 私の今まで描いた絵の青眉の女の眉は全部これ母の青眉
 であると言ってよい。
 青眉の中には私の美しい夢が宿っている。
  「青眉抄・青眉抄拾遺」より

伏し目がちな女性は明らかに青眉とお歯黒をしている。
抱く子供の顔は向こうでどんなようすか見えない。
図録ではモデルは孫の敦之氏とのこと。
子供の顔を隠すことが漠然と不自然だと思った。
日の当たらない立場の、大切な落とし子の
面相を明らかにできない物語を感じる。

輝かしい実力と業績を積んできた女性画家として
孤高の存在と、揺るがない実績のその裏には、
画壇での男社会の中での壮絶な戦いと
女性としての幸せを捨てて、一心不乱に画業に徹して
きた自負と執念と情熱がふつふつしている。

「序の舞」はそれらの一切を捨てて
きりりと美しい世界へ純粋に精進あるのみと
潔い女性のあるべき姿として
ともかく、静かで激しく美しい。

自分自身の道を極めた、激しい人生を思わずにはいられない
松園の一大個展であった。

会期は17日まで。
一本筋を入れたい方、ぜひ、喝を入れてもらいに!

圧倒的な何か、という力については
もう少し松園の姿を追いかけてみたい。
そして、自分も女性の端くれとして
凛とした一本を背中にぶち込みたいと願っている。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陰影礼讃 ・国立新美術館  | トップ | シャガール展 ・東京芸術大... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
松園の美女 (チト)
2010-10-08 19:36:38
美しいですね。。
媚びてないのに、はっとする美しさがあるんですね。

どうもすっかり怠け者になってしまい美術館まで足を運ぶのも億劫な有様ですが、あべまつさんの記事で、ひととき清々しい世界に浸らせていただきました。

返信する
チト さま (.あべまつ)
2010-10-09 23:24:01
こんばんは。

松園を学ぶとますます凄まじい力を感じます。あの美しさの裏の執念と意地と画力は恐ろしいものがあると感じるようになりました。

心と体の声を大切に、ゆるゆる過ごすこともいい時間だと思います。無理なさらないでね~
 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。