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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

藤村信「歴史の地殻変動を見すえて」岩波書店

2008-01-22 23:19:55 | my library
私の家でとっている「東京新聞」の書評に載っていたもの。じつはまだ読んでいませんが、アマゾンで今日頼んだので数日で手に入るはずです。

発行年は2007年11月の新刊です。著者の藤村信は2006年に享年82歳で亡くなりました。藤村信と言えば私の学生時代にはだれもが読んでいた「世界」に、同時代のヨーロッパ政治について寄稿がよく載っていました。『プラハの春 モスクワの冬』(1975)は毎日出版文化賞を受けています。高校生のときから大学生まで、藤村信のヨーロッパ通信と、TK生の「韓国からの通信」を読むことが1つの厳粛な楽しみだったと思います。

本名は熊田亨と言うようで、間違いかもしれませんが、実は最初にウィーンに行った時に、そのギリシャ人の奥さんとご子息が私の授業に出ていたのです。クマダと言い、日本にも住んだことがあると言っていました。奥さんはオリンピアの出身で、日本では息子の学校でたいへんな目にあったそうで、プレッシャーで病気になりかけたなんて話をしてくれたのです。当時、藤村信はたぶんパリに居たのでしょうから、赤の他人なのかもしれません。

覚えているのは、最初のテストをみんなにやらせた後で、学生達が殺到して私を取り囲んだことです。ウィーンでは、筆記試験はじっくりと少ない問題を解くことが普通なのに、日本語の試験の問題の多さは何だ!というわけです。そのとき、初めて私はテストにも文化があることに気がついたのですが、「このぐらい出来ないでどうするんですか」なんてとにかくその場をつくろってごまかしたんですね。

何ヶ月か経って学生達とウィーンの森の山歩きに出かけて、奥さんのクマダさんといろんな話をしたのでしたが、ふっと「先生、やっぱりあのテストはやりすぎですよ」と優しく言ってくれた言葉がまだ胸に残っています。「先生、いつかオリンピアを案内しますよ」と言ってくれましたが、まだその約束は果たせていません...
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「動物と向き合って生きる」

2008-01-09 00:30:03 | my library
年末の帰省中に見つけた好著です。板東元著・あべ弘士絵で、2006年初版が角川書店から出ています。手に入れたのは2007年4月の再版です。

娘のために買ったのですが、家族3人で夢中になって読みました。小中校生の推薦図書ともなっています。

著者はあの有名な旭山動物園獣医・副園長で、旭川の旭山動物園を全国一の入場者数にした立役者です。小さい頃からの生き物に対する感動と人間に対する不信感から話は始まるのですが、その後は、旭山動物園に入ってからの野生種を目の前にしての驚き、そこから始まった動物園の改革、日本人の動物好みの偏向、動物園の社会的意義へと、話は次第に社会性を帯びてきます。

著者は、旭山動物園の特徴となった「行動展示」が、ペットと野生動物はまったく異なるという主張から始まっていることを強い調子で語っています。とくに著者が主張するのは野生種の動物が持っている尊厳(dignity)という問題です。著者は、死んでも他種の動物である人間から餌をもらおうとしない小熊の生き方に小熊の尊厳を感じ取っているのです。動物世界の共生とは、仲良く生きることではなく、一種緊張しながら調和していくことではないかと言います。動物と人間もまた、相手を理解不可能な存在として、その存在の尊厳性を認めながら共存していくことを目指すべきだと言います。著者の言葉は、動物の生とも、動物の死とも向き合う人だけに、説得力があります。

共生といい、尊厳といい、これはしばしばこのブログで取り上げてきたキーワードです。著者は動物について語っていますが、私には人間についての哲学を語っているように感じたのでした。
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世界の名作図書館29「ロビンソン漂流記・宝島」

2007-09-11 23:57:45 | my library
千葉に戻りましたが、まだ気分は夏休みです。

さて、オーストラリアから帰って翌日は実家に飛んだのですが、本というものはいつまでも出てくるもののようです。まだ小さい段ボール2箱分があるから処分するか持って行くかしなさいと言われて、持ってきた中の1冊が上の本です。

昭和42(1967)年に講談社から出版されたもので、ロビンソン漂流記を久米元一、宝島を阿部知二が訳しています。ちなみに、この全集の監修には志賀直哉、坪田穣治などが入っており、箱の絵は安野光雅が描いています。錚々たる布陣で、このころは子供用の全集がよく企画されていたんですね。

この本がどうして手元にあるのか、自分から希望して買ってもらったのか、それとも買い与えられたのか、今となっては分からないとしかいいようがありません。しかし、小学生時代に何度も繰り返して読んだのはおそらくこの一冊だったような気がします。それも読んだのはロビンソン漂流記であって、宝島ではないんですね。

ロビンソン漂流記は承知の通り、デフォーが1719年に発表したもので、そんな時代の本がなぜ現在もなお面白く読めるのか不思議です。それでも同じデフォーの「ペスト年代記」などもものすごい迫力で今でも読めますから、デフォーのリアリズムの眼はとにかくすごいのだと思います。時代は少し下りますがどこかでスペインの画家ゴヤの眼とも通底しているかもしれません。

ロビンソン漂流記は、1人で孤島の中でいろいろな工夫をして自分の王国を作っていくような様があって、私の好みに合っていたのでしょうね。夢の世界にいながら、その世界では妙に現実的、というのがロビンソン漂流記の特徴のような気がします。
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小林信彦 「うらなり」

2007-03-26 00:26:04 | my library
先週購入したばかりの本で、2006年6月に講談社から出版されています。

小林信彦さんについては私は何も読んでいないのですが、エンターテイメント系の本や評論が多いのですね。こういう人は一癖も二癖もあって、しかも実力者が多いように思います。

さて、この本は漱石の「坊っちゃん」の登場人物中、もっとも印象の薄い「うらなり」を主人公にして、昭和に入って老年に近づいた「うらなり」から松山での坊ちゃんの事件を回想するという設定で書かれています。「坊っちゃん」が書かれたのが1906年ですから、それから実に100年後の作品となります。

小林氏によると、「坊っちゃん」で起こる話の中では、校長・教頭対山嵐・うらなりの戦いが本筋であって、坊ちゃんはそこに軽薄に関わっているに過ぎないということなのだそうです。校長も教頭も坊っちゃんに殴られたりするのですが、実際には校長・教頭が勝利して、山嵐とうらなりは中学を首になったり左遷されたりします。事件はうらなりが左遷されてから起きているので、この小説では、老年に近づいたうらなりが東京で山嵐(堀田)と出会い、事件のあらましを聞くと同時に、左遷されてからの半生を回想するという流れで出来ています。

渋い落ち着いた文体でうらなりが語る半生はどこにでもある、主人公になるような性格を持たない多くの人々と共通したものです。しかし、それだけに、人の半生というものがよく感じられるように思います。さらに言えば、智に働いて角を立てたわけでもなく、情に棹さして流されたのでも、意地を通して窮屈になったわけでもないのに、時代に流されていくしかなかった人の哀感も感じます。(ただ、大阪船場のお金持ちに嫁いだマドンナに30年ぶりに再会した時、そのマドンナの指がささくれだって荒れていたという描写には疑問があります。船場の奥さんが洗い物なんてするでしょうか?)

最後に長めの後書きがあって、執筆の舞台裏が書かれています。その中で面白かったのは、ある時、これも漱石好きだった大岡昇平と会話をしたときの話でした。「坊っちゃん」は何よりB型ヒーローだ、というのです。つまり、そそっかしやの正義派という意味らしく、じつは大岡も小林信彦もともにB型なんだそうです。それだけではなく、かの漱石もB型だった(ほんとか?)なんて話が出てきます。こんな与太話を面白がる私もじつはB型なわけですが。
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林達夫『歴史の暮方』(中公文庫版)

2007-02-24 20:55:13 | my library
My libraryにあるのは、中公文庫版の『歴史の暮方』(1976)の初版です。関係している大学から留学生のために本の紹介文を依頼されていて、その一冊に選んだのがこの本です。

表紙には古代アテナイのフクロウのレリーフがデザインされています。この本はもともとは戦後すぐの1946年に筑摩書房から出版されたものです。執筆されたエッセーや論文はほとんどが1939年から1941年の間であり、哲学は出来事の暮れ方に始まるという言葉をおそらくは後悔とともに示しているのかもしれません。

じつはどのようにして歴史家・批評家、林達夫を読むようになったのかどうしても思い出せません。大学の1年か2年のことだと思うのですが、高校で森有正を読んでいたわけで、なぜそこから林達夫に移ったのか、これは疑問です。それでも著作集をそろえたり、1981年には留学の前に藤沢鵠沼のお宅(これは住まなくなった農家の古材を使ってイギリス風に立て直したことで有名な家です)を探して表札を確かめたこともありました。

所収のエッセーの初出を年代順に並べると以下のようになります。(  )にその年の事件や戦争を書き込んでみました。日本の最も暗い時代に彼が手を変え品を変え何を語ろうとしていたのか、どのような時代の証言をしようとしていたのかが見えてくるのではないでしょうか。
1931○「科学する心」
1937○「現代哲学事典の現代性」(廬溝橋衝突、シナ事変、日独伊三国防共協定、南京攻略)
年不詳○「開店休業の必要」
1939○「歴史との取引」「ユートピア」「植物園」「映画の花」「私の植物蒐集」「ベルツの日記」「デカルトのポリティーク」(ノモンハン事件、第2次大戦勃発)
1940 ○「新スコラ時代」「歴史の暮方」「フランス文化の行方」「出版の新体制について」「現代社会の表情」「鶏を飼う」「風俗の混乱」「妹の力」(新体制運動、日独伊三国同盟、大政翼賛会)
1941○「ベルグソン的苦行」「宗教について」「文庫の展望」「ベルグソン・哲学・伝統」(真珠湾攻撃、太平洋戦争)
1942○「拉芬陀」
1946○「支那留学生」「反語的精神」

ちなみに、この著作は60年の間、細々と形をかえながら読み継がれています。現在、手にはいるのは中公クラッシックスの1冊、『歴史の暮方・共産主義的人間』だけのようです。
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夏目漱石『文鳥・夢十夜』新潮文庫版

2006-11-25 23:19:26 | my library
娘のピアノのお稽古につきあって先生のお宅を訪ねることがあります。たまに何も仕事を持っていかないときには、息抜きに本を持っていきます。

上の新潮文庫版もその1冊ですが、印刷は1976年7月の第1刷です。夏目漱石は高校時代に集中して読んでいたんですね。

先日、関川夏央氏の『「坊ちゃんの」時代』を紹介しましたが、夏目漱石自身の言葉を読んでみようということで、本棚からこの本を手にしたのでした。文庫本には、上の二作品の他に「永日小品」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」、そして「思い出す事など」の全部で7品が含まれています。三好行雄氏による「解説」によると、例の修善寺の大患の前後が書かれている「思い出す事など」は朝日新聞に1910年(明治43年10月29日)から1911年(44年4月13日)にかけて掲載されたそうです。すでに述べたように、執筆時期には大逆事件の裁判から死刑執行までの時間が含まれています。

大量の血を吐いた後、30分の「死」の後に意識を取り戻した漱石は、肉体の苦しみから解放された狭くとも明瞭な意識が残されていて、客観的には朝まで持たないだろうと思われていながら、本人はいたって平静に床に横たわっていたことが、異常なまでに明晰な散文で書き込まれています。これはやはりすごい散文の力です。

その仮死状態に陥る直前まで、雨に降り込められながら胃の苦しみに悩まされていたことが書かれている中に、牛乳を飲むところがあります。吐き気のために飲みたくない牛乳は「吸飲(すいのみ)」の細い硝子の口から飲むことになるのですが、その「吸飲」は遠い昔を思い出させました。

子供のころ、病気になったり入院したりすると、枕の傍らにきまってこの硝子製の器があり、お茶の急須よりもっと細く長く伸びた口から、水を飲ませてもらったりしていたものです。振り返って、今、ぼくは近くのコーヒー専門店で見つけた硝子製のコーヒーポッドを使ってコーヒーを煎れているのですが、ぼくの深いところにあったその「吸飲」の記憶が硝子製のコーヒーポッドを買わせたのかもしれないと思ったりします。薄い硝子のコップも買ったことがあるし、ポーランドで見かけた薄い薄い硝子のコップも思い出します。まわりの空気をしんと止めるような不思議な硝子の透明感が記憶から浮かび上がってくるようです。

漱石が口をつけた吸飲もきっとぼくの子供時代と同じようなものだったのだと思います。
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『坊ちゃん』の時代

2006-09-30 19:56:07 | my library
この本は、関川夏央原作、谷口ジロー画で第5部まで双葉社から出版され、第二回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を1998年に受賞しています。

手元にあったのは第5部「不機嫌亭漱石」(1997年、第1刷、1200円)でした。いつ購入したのか覚えていないのですが、たぶん出版されて間もないときで、この第5部だけが書店に置かれていたのでしょう。読んだときは、たんに漱石が不機嫌そうに胃痛を患っているうちに修善寺で倒れて思念的な夢の中を漂うといった昔から知っていた話の焼き直しのようで、あまり印象にも残っていなかったように思います。私は常日頃マンガを読むタイプでもないので、この本を購入したときにはよっぽど頭が疲れていたのかもしれません。

それが、先日、大学の帰りに寄った本屋に文庫本になった5部作が平積みになっているのを見て、衝動的に残りの第1部から第4部までを買って、いっきに読んでしまいました。それぞれのタイトルは以下のようになっています。なお、双葉文庫版はすべて2002年の刊行です。

第1部「『坊ちゃん』の時代」(1987年)(じつはこの第1部には「第1部」という但し書きがついていない)
第2部「秋の舞姫」(1989年)
第3部「かの蒼空に」(1992年)
第4部「明治流星雨」(1995年)

それぞれ、第1部が夏目漱石、第2部が森鴎外、第3部が石川啄木、第4部が幸徳秋水、そして第5部が再び夏目漱石、というふうに中心人物をおいていますが、彼らはみな同時代人であり、このほかの人々(エリス、樋口一葉、国木田独歩、子規、山縣有朋なども含めて)もまたお互いに交差し、接触します。関川氏も後書きで書いているように、日露戦争(1904-05)以後、大逆事件(1910/11)までのおよそ5年間を明治から近代日本への転換点と見定めて、その時代と文学者との緊張関係を描こうとしたものと言ってよいと思います。漱石の修善寺の大患は、「則天去私」の名目で漱石が「悟り」を得た事件としてのみ取り上げられてきた過去がありますが、その大患(1910年8月24日)と大逆事件(1910年5月に逮捕が始まり、1911年1月に結審、1月24日、25日に12名が死刑)との同時代性に注目しながら、漱石とその時代を描いていきます。大患の2日前には韓国併合が行われており、そのこともわずかですが書き込まれています(漱石には周知のように「満韓ところどころ」という旅行記が前年にあります)。漱石と啄木が話をしていたなんて考えたこともなかったのですが、調べてみると、どうも嘘ではないのですね。二人とも東京朝日新聞に雇われていたわけですし。

読了後、文学が明治の国つくりにつながっていた時代から排除され、押しつぶされ、国粋主義が前面に出てくる時代の転換点で、いかに文学者が重いものと対峙していたかということを思います。それが「坊っちゃんの時代」。それでは、チャップリンではないけれど、What time is it now?ということになりますね。

それにしもて文庫本サイズはつらいです。難しい漢字語彙の読み仮名が小さいこと!ためしに娘にも見せてみましたが、「ちっちぇー」と驚いたので、あながち私の目が衰えてきたということでもなさそうです...
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the five people you meet in heaven

2006-08-12 00:14:33 | my library
ニューヨークから戻ってきました。予定していたタスクすべて果たしましたが、その話はいずれ。

今日の本はmy libraryの最も新しい本です。帰りのJFK空港の書店で平積みになっているA5版のペーパーバックを見つけて手に取ると、Author of Tuesday with Morrie とあって買ってしまいました。著者はMitch Albom、Hyperion社、2003年の初版本です(日本では「天国の5人」という題名で翻訳が出版されているようです)。飛行機の中で読み始め、先ほど戻った千葉の寓居で読み終わりました。

この著者の本とはふとした弾みに遇っています。世界的なベストセラーのTuesday with Morrieは、前のマンションで住民たちでやっていた中古本の交換棚で見つけて読んだものでした。今回の本も空港の最後の買い物と思って入った書店で、何となくその題名と冒頭の簡素な文体が目に入ってきたのです。本との縁とは不思議なものです。

83歳で事故で死んだ遊園地のメンテナンス係、Eddieが天国に行って、自分の地上での人生の意味を、関わった5人の人間から学ぶという、興味深い仕組みになっています。connected, victim, loyalty and forgiveness, love in memory, そして最後にはキーワードが示されていませんがおそらくcompensation、表層の陳腐で無意味にしか見えない人生の一つ一つが深層で深く様々な連鎖をもち、意味を持っていることを語ろうとしたといった意味のことを著者は言っています。

連鎖しているということがポイントなのだと思います。



さて、明日は成田からメルボルンに発ちます。インターネット環境が確保できないかもしれないので、このホームページも9月までお休みになるかもしれませんが、悪しからず。
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木霊 新潮文庫版

2006-06-25 21:52:50 | my library
北杜夫の『木霊』は、初期の傑作『幽霊』の続編に当たる青年期の魂の変遷を書き留めた、これも秀作です。ドイツのチュービンゲンに留学した主人公が過去の恋愛を思い出しながら、トーマス・マンの導きによって最初の長編(じつはこれが『幽霊』という設定になっています)を、マンの『ブッデンブロークス家の人々』で有名な北ドイツの町、リューベックの海沿いのホテルで書き始めるところで小説は終わります。

『木霊』は単行本が1975年で、その初版本が手元にあるのですが、新潮文庫版の初版本(1979年)も本棚には置いてありました。こちらはかなり疲れた感じで、つい最近まで開くこともなかったのです。先日、何気なく文庫本を手にとって扉を開けると、紙切れが挟んであるのに気がつきました。リューベックのHotel Berlinという安ホテルの領収書です。日付は1982年6月14日、1泊して28マルクであったことが書かれています。

私もアメリカの留学の帰りに、『木霊』を鞄に入れてリューベックを歩いたということの、記念だったのでしょう。たぶん、そのときはもう1冊、ボネガットのMother Nightもあったと思います(こちらは非政治的なアメリカ人が世界大戦中にニュルンベルグでアメリカ軍による無差別爆弾に遭うという話)。

ちなみにインターネット検索をしてももはやリューベックにはHotel Berlinは引っかからないので、安ホテルはきっと消えてしまったとしか考えられません。
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『西洋音楽史』

2006-06-11 15:18:28 | my library
さて、新しいカテゴリーを追加しました。my libraryです。この年になってようやく作り付けの本棚ができ、大学時代からの生き残った本が手に取って見られるようになりました。私的な趣味の本が600冊余り本棚に飾られています。決して読書家ではないのと、海外では図書館の本を利用することが多かったり、日本に戻っても収納スペースがなかったりして、本を購入しない習慣が次第にでき上がっていたのでしょう。(研究書は別ですけど...)

それでも600冊余りの本をパラパラとひも解くと思い出とともに意外な発見があるものです。じつは読みかけの本、読んでいない本、一生読むことのない本などもあって、これはこれで冒険的な出会いとなります。たとえば、

ハンス・メルスマン著、野村良雄/原田義人共訳『西洋音楽史』1,2(みすず書房、1973年第1刷、1975年第3刷)

この本は大学時代に買ったものですが、音楽の素養のない私が少しは読んでみようかという感じで購入し、第1章で中断してしまったものです。

ちょっと話は遠回りしますが、最近、娘がピアノを習っていることもあってまた音楽史でも読もうかと買ったのが次の本でした。

D.J.グラウト/C.V.パリスカ著、戸口幸策/津上英輔/寺西基之共訳『新西洋音楽史』上(音楽之友社、1998年第1刷、2005年5刷)(中と下もあるのですが、高いのでまずは上を買いました)

この本は、古代ギリシャ・ローマ時代から始まるもので、イオニア旋法以前の流れや神話や壺に描かれる楽器の話などもあり、しかも注やコラムが多色刷りで美しく、とても楽しい本です。ところが、この本を少し読んでから、先の『西洋音楽史』をひも解くと、勝手がずいぶん違うことに気がつきます。まず序では「このドイツ音楽史」は、とあり、各章の扉にはドイツの文化人たちの言葉が飾られています。たとえば1章にはベートーベンの「音楽はどんな叡知や哲学よりも高い啓示である。」などとあるわけです。

おかしいと思って訳者解題を読むと、じつはこの本の内容は「ドイツ音楽史」だが内容的には十分、ヨーロッパをカバーしているので「西洋音楽史」というタイトルにしたと書かれています。内容からするとヨーロッパの社会文化の流れの中でドイツの音楽がどのように形成されていったかを書いているもののようです。詳しく書くと、「ドイツ音楽史」という著作をもとにしながら、著者が社会文化史の中で音楽を考えてみたということなのだそうです。それで原題がMusikgeschichte in der Abendlaendischen Kultureとなるわけです。

本を購入して25年も経って中身がドイツ音楽史だったことがわかる、というのも、やはり書棚のおかげです。ま、私の読書家ではない面がわかると言うことではありますが。
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