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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

あれから文芸部員はどうなったか?

2010-08-03 10:07:04 | Weblog
先週末は新宿で大学時代の友人たちとの飲み会に参加。

その前に、昨年12月に結婚したH氏のために銀座松屋で絵を物色。コレットというカナダ人画家のニューイングランドの風景版画を購入。明るい湖面を畔の家の外に置いたチェアーから眺めるもの。飲み会には奥さんも来られていて、聞いてみるとハーバードに2年いたと言っていたのでこの風景版画もちょうどよかった。

さて集まったのは、鉄骨専門誌記者のH氏、経営コンサルタントでメガバンクの重役相手に講演をするM氏、精神科医で大学教授のY氏、北京大卒のH氏の奥さんで国際経済が専門の大学教員M女史、そして私。経済派が3人、コミュニケーション派が2人と相成った。

話題はなぜかグローバリゼーションから始まった。日本経済、とくに銀行はどうしようもないですよとM氏。韓国はすっかりグローバリゼーションの体制を整えたのにね。

アメリカは戦略的ですね、とM女史。中国人の学生や研究者を優遇して留学させて親米とグローバリゼーションを育てていますよ。

この話は精神科医のY氏の仕事にもとても影響しているらしい。精神科の治療も研究も、いまやアメリカの定量的な物質的アプローチは流行りでね、と言う。

仕事鬱の話も出たので、ぼくは結局、アメリカは多様性がなくなって正常の範囲が狭いから、さまざまな心の変調が病気に格上げされちゃうんじゃないのとコメント。

しかし、やがてH氏のお母様の認知症の話が始まる。○○ちゃんが電子レンジに入ってやけどするから救急車を呼んだって言うんだよ。だけどその物語をつくって生きようとする創造力はすごいんだね。

Y氏も、弱者の治療のひとつは自分のなかにもっているナラティブを発見してもらうことなんだと言って、みんなナラティブで生きるんですよ、そして突然大きな声になって「生命力だ!」と断言したのだった。

この話はさらに昨今の学生気質の話になって、ぼくも卒論指導なんかのときに、研究テーマについて自分のストーリーを作れるといいんだけど、その力がとても弱くなった気がすると発言。M女史もY氏も賛同。子供たちも大学生も新入社員もあらゆるところで上からの物語(ストーリー、ナラティブ)が支配的になって、自分のナラティブを育てられないんだよ。

話題は尽きず、夜遅くまで続いたが、新宿では深夜まではいられない。札幌の大学時代なら時間の心配などいらなかったわけだけど。当時も今日のような談論風発だったのだろうか。きっとそうだ。文芸部の飲み会で文学の話をした覚えがない。みんな文学の落第生だったんだ。

この夜の結論が、物語の復権となったところが、また落第生として面白い。
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夏雲がやってきた

2010-07-16 23:03:16 | Weblog
昨日は午前中に日本語授業実習の観察と反省会。

後半の最初と2番目のクラスは場面重視の応用練習をしていたが、昨日は挨拶と会話の練習。じつはこの会話の練習というのが、うまく手順を踏んでいかないときれいに出来ない難物なのだ。場面重視の練習は「場面性」にあまりに真面目に取り組むと楽しくなくなるという点だけおさえておけばよいのだが、会話練習の場合には会話がどのように作られていくかという部分(その主要部は隣接ペアの作り方と話題の展開の連鎖)についてよく整理して練習させる必要がある。そこの指導が甘かったというのがぼくの反省。それでも一生懸命、実習に取り組む学生達の姿はやはり美しい。

午後は会議を2つこなしてから、10月初めに予定している合宿の相談。今の学生達は共同で作業をしたり、意見を交わしたりするのが苦手だという話が出てくる。合宿でそんな学生同士の壁を乗り越える機会が出来ればいいのだけど。昨今の先生はそんなことまで気を使わないといけないらしい。

今日は午前中に講義、午後は院の合同ゼミと学部のゼミ。院生のゼミでは、このところいろいろな雑誌のここ10年間の傾向をキーワードから読み取る作業をしてもらっている。今日の発表で盛り上がったのは、雑誌2件を見ると、ほとんど同じキーワードがないということだった。もちろんその一部(たとえば、学習者××、学習者○○のように)は共通であるのだけど、キーワードを1つ1つ厳密に見ると重なるものは極めて少ない。

ぼくの知っている範囲ではアメリカやオーストラリア、いわゆる英語圏の場合は、分野別にキーワードを集めた辞典のようなものがあって、そこから自分の論文のキーワードを選ぶように指導されることが少なくないように思う。だから、どのキーワードがここ10年で一番多く使われているかといったことが調べられるし、自分の研究がどのようなキーワード分類に位置づけられるかがわかることになる。しかし、日本の雑誌を見ると、重なるものがない、ということは、つまりみんな好き勝手にキーワードを付けているということになる。

だからいろんなキーワードがちりばめられるばかりで、研究が蓄積されていかないということにもなるのだろう。ま、それが現実に近いのではないかな?

写真は朝の夏雲を車から撮る。昨日の午後から空の青さが増している。
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ダンスについて

2010-05-05 17:52:14 | Weblog
連休にどこにもいかなかったのは本当に久しぶりだ。家の整理や10年使った机の新調やらで、生活の建て直しをはかる。

脱北(この映画の場合は意味合いが違うのだけど)の映画『クロッシング』(キム・テギュン監督)が千葉でも1週間だけ上映されていたので一人で見に出かけた。マイナー系の映画専門の小さな千葉市内の劇場。ぼくの関心は、延辺行きのブログで書いた煙突の風景にあったけれど、煙突は見ることはできなかった。ただ、労働者の住宅の前を囲んでいる板塀だけは何度も再現されていた。ブログでぼくは単眼鏡でのぞいた家並みを見ながら、その下でどのようなことが起きているかについてはわからないと書いたが、映画はその一端を見せてくれている。

映画には良い作品や感動を与える作品があるし、それを目的にすることが少なくないわけだが、もう一つ、フィクションを使って事実を伝えようとする作品がまれにある。だからこの作品について傑作であるとか感動したとか言ってはいけないのだと思う。

これもどこかで書いた気がするけれど、その昔、アメリカに留学した当時、大学のインターナショナル・フェスティバルに参加したことがある。ぼくはそこで初めて韓国人留学生のすがたを見たのだが、そのとき一番感心したのはイスラエル人留学生たちがおどったフォークダンスだった。みんなが輪になって肩を組んだり、手を叩いたりして、ゆっくりとまわっていくものだったけど、ある一区切りのところで、手を右、左とゆらしながら空にかざすしぐさが、とても穏やかで自由な空気を作り出していたのが印象的だった。

映画は悲劇的に終わるのだが、エンドロールのところで、セピア色の河原のピクニックの情景が背景に映し出される。昔の楽しかった頃の家族や友人たちのすがたが映されていて、そのほんとの最後の数秒に女性が輪になって踊る姿が映っていた。手をやはり空にかざしながらおだやかに体をゆらしている。朝鮮の踊りを調べても出てこないような、様式化もされていない踊りで、楽しいから体が自然に動き出してしまったといった感じの、きっと調べようもない踊り。

イスラエル留学生のダンスがまだ思い出されるのと同じように、映画の中のそのダンスについてもきっと思いが残るのだろう。

これが今年のゴールデン・ウィークの出来事だ。
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春はしずかに、あるいはやり直すことについて

2010-04-18 23:46:49 | Weblog
授業1週目が終わってしずかに家にいる。日曜日は暖かさが戻ったので家からつい先にある海岸まで散歩をする。穏やかな波と風で何組もの家族が潮干狩りを楽しんでいる。胸まで浸かって釣りをしているカップル。それからパンツ一枚で海に入った中学生。ピアの先で釣りをしている男性は「お、いるいる。なんだかバカにされてるなあ」と竿をゆすっていた。カモメが上空を4羽5羽飛んで暖気を楽しんでいる。

昨日は「のだめ」の映画後編を観に行って、夜はテレビで前編を観てしまう。わが家はのだめファンである。しかし前編のほうは映画版とずいぶん変わっていて編集し直した部分が多い。一般視聴者向けに説明を増やした部分もあるが、それだけでなく最後の部分をカットしたりと修正が激しい。映画のときはきっと時間切れで仕上げてしまったのを今回やり直してみたのかもしれない。

先週は千葉大に来て最初に指導した中の一人の韓国人の学生さんが卒業以来、初めて小学校2年生のお子さんといっしょに訪ねに来てくれた。ご主人の学会の仕事についてきたのだと言う。たのしく近況を話してくれたが、それだけでなくそろそろまた勉強を再開したいのだと言う。その手始めにぼくの本を翻訳してみたいとのこと。もしそんな機会があるなら、のだめではないが、大幅に改訂したいところ。

書き直しということについて、これは指導する学生さんにはずいぶん嫌がられているのだろうけど、じつは自分自身はけっこう書き直しが好きなほうだから仕方ない。全面的な書き直しもあまり苦にならない。2,3月のfooting分析も何度もやり直していた。やり直すこと自体、よいものを作るために、あるいはより確からしさに近づくために、避けて通れないプロセスだと思うのだけど、問題は終わりのない堂々巡りに陥ってしまうことが少なくないことだと思う。めぐっているうちにだんだんパワーがなくなって、いつのまにか捨ててしまうことにもなりかねない。めぐっているその場所のそとに、さらに遠くの大きなゴールが見つかると、またパワーが沸いてくるのだけど、はてさてfootingはどうしようか。
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親戚訪問

2010-04-01 22:57:43 | Weblog
5日ほど香港に脱出。ただし、その目的は出入国管理の入国目的ではないけれど、親戚訪問である。

もう16年ほども行き来をしている香港だが、ぼくの香港についての知識はとても乏しい。連れ合いに引かれて歩いているだけなので自分で果たして歩けるのかもあやしいものだ。たぶんニューヨークのほうがもう少し自信を持って歩ける気がする。

この時期、香港の天気はだいたいひどい湿気に(はっきり言って梅雨の始まり)悩まされるのが常だったが、今回は乾いた涼しい空気に助けられた。つい1週間前まではやはり湿気で壁にカビが生えたとのこと。

持参して読み続けていたのは先に触れたゴードンの『日本の200年』(上)。多くの記述は昔習った歴史事項のおさらいだが、それでも岩倉具視率いる遣欧使節団がその後の日本にとってどれほど重要だったかが感じられもする。彼らは欧米の文明や制度を克明に理解していったが、スペンサー流の弱肉強食の帝国主義についてもよくよく理解して日本に持ち帰ったのだと思う。つまり明治政府は虐められないためには虐める側に立たなければならないと確信したのだ。ただ日本に足りなかったのは虐める側に立ったときの経験だったろう。ただ虐めるだけではいつまでも虐める側に立ってはいられないことを日本は知らなかった。

香港は長い他律の歴史の中で個人として判断することの重要さを身にしみて知っているように思われる。帰りのタクシーの運転手は多弁だったが、連れ合いによると、中国大陸の経済が盛況なのにもかかわらず香港がいまだに繁栄をしているのはなぜかという話になって、彼はそれは法律による権利保護と通信手段の自由さだと述べたらしい。Googleだけが香港を拠り所にするわけではないわけだ。

こちらでは楽しい一時も少なからずあったけれど、とりわけ卒業生のSさんに再会できたのはよい時間だった。Sさんはニューヨーク育ちでご主人の仕事の関係で2年前から香港に住んでいる。多言語使用者でもあるので、研究の協力もお願いしておいた。

写真は義理の父母の家のしたにあるショッピングモールの化粧品店。ショッピングモールは頻繁に改装する。いいと思った内装もおしげもなく変えていく。新装すること自体がきっと重要なのだろう。香港の社会のじつにあらゆるものの表層が忙しく変わっていく。わざとシステムは作らない。言語さえ流れに任せている(かのように見える)。変わること、それはきっと資本主義の姿そのものなのだろう。そんな中で、食と富とは自分を見失わないための確実な足場となっている。そしてもう1つ今回見つけたのはタクシー運転手の例にも見えるような判断力というものだ。それは小さな書店に入ってもわかる。文化砂漠と言われる香港だけれど、批評の質の高さは日本のそれをはるかに凌駕しているのではないかと言う気がする。

中国語が読めないのが残念だ。
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春の気配

2010-03-19 23:07:33 | Weblog
入試業務最後の日。やはり春の来ない冬はないのだなあ....あとは引き継ぎ資料を作るのみ。

文学部棟内を歩くと、来週火曜日の修了式の準備が始まっている。キャンパスのハナミズキが咲きはじめる。桜のつぼみはまだ固そう。

<「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書>を文科省に提出したとの連絡が入る。なぜハトヤマさんがこんなところでブレてしまったのかナゾ。要は予算を高校に渡すところで気になる人々がいるということなのだが、しかし本来は子育て支援の一環としてあるはずで、高校の指導内容にはかかわらないはず(文科省との話でもそういう理解だったそうだが)。高校の指導内容で予算を措置する措置しないということになれば、「正しい指導内容」をいつ問われるようになるかわからない。
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日録(alibi2)

2010-03-16 23:57:22 | Weblog
先週金曜日は文学部の後期試験が大過なく終了。ほっとする。

少し休んで日曜日は慶応大の日吉キャンパスに行き、社会言語科学会の大会に参加。旧知の方々に遭い、少しばかり談笑。数年前に比べてやや参加人数が少なめか?私の学生も二人発表していたのだが、発表内容の指導の依頼もなかったので、まあじつに独立している。パワハラの1つに学生を「放置」して指導しない、というのがあるのだが、僕の場合は、場合によって放置ではなく、放牧することがある。でもあんまり寄ってこないと、なんだかこちらが放牧されている気がするね。

月曜日は大学の入試関連の今年最後の委員会に出席。最後にそれぞれ挨拶をしたが来年度も委員を継続する教員が半数もいて驚く。このものすごい量の業務を2年続けるというのは酷ではないかと思う。

今日は学部の最後の委員会。20度を越える春の陽気を窓の外に感じながら、引き継ぎのための1年の振り返りをする。すこしずつ「最後の」というものが増えてきて、それと同時に少しずつ肩の荷が軽くなる。と思っていたら、同僚のMさんがソファーを捨てたのを見つけて、もらい受けることにする。部屋の風景が変わって、これもまた旧年度の終わりを感じられる出来事となった。
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日録(alibi)

2010-03-09 23:59:07 | Weblog
3月になっても冬が居座って終わらないので、学校業務も永遠に続くような気持ちになる。

空いている時間で授業コーパスのデータを見て、footingの分析を少し。とりあえずanimator, author, principalという発話の参与枠組みに沿って考えているところ。まだ面白いところまで行っていないけれど、なんだか孤独な作業ではある。学校業務に埋もれるような生活をしていると、さらにその感も増す。

あとは授業のないときの読書というわけで、外岡秀俊の『アジアへ』(傍観者からの手紙2、みすず書房)を見つけて購入。各章ともさまざまな本の引用をしながら政治、文化、社会、歴史の出来事を綴っていく。文芸賞をとった『北帰行』から数十年、少し教養主義が強すぎる気がするが、読書の幅の広さには敬服。さっそくゴードンの『日本の200年』(上・下)をアマゾンに注文した。ついでに岩波文庫の『西遊記』8~10巻。徳大寺有恒の『間違いだらけのエコカー選び』。徳大寺さんのエコカー、自動車税、高速道路無料化に関する意見は傾聴に値するというか、勉強になる。

そういえばオリンピックも通りすぎてしまった。競技の時の國母君、敗退後のチーム青森の目黒さんの涙、そしてやりきったヨナさんが良し。NHKが連呼する「ニッポン」の横で、選手達や元選手の話し手がニホンと発音するのを好ましく聞いていた。彼らのほうがよっぽどグローバルではないか?

今週末にはプロジェクト報告書も刷り上がる予定。
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今年の誓いもないままに

2010-01-06 00:11:24 | Weblog
2010年が始まった。

21世紀もone decadeが終わったことになる。雑誌のTimeが、One decade from hellと名付けていたのが印象的。この年数には戸惑いがあって、昨年までは08とか09と書いて問題がなかったのに、10では何となく年の雰囲気が出ない。英語でもそのようで、two thousand and tenは伝統的だけど、若い人たちはtwenty tenと言うらしい、なんて話題が出ている。

冬休みに読もうと思って購入したのは、ヘルタ・ミューラーの『狙われたキツネ』(原題は、Der Fuchs war damals schon der Jaerger、三修社、2009年11月)、それと李姫鎬『夫・金大中とともに』(原題はトンヘン(同行)、朝日新聞社、2009年11月)。前者は今年のノーベル文学賞作家の翻訳小説、後者はもちろんノーベル平和賞を受賞した金大中元大統領のファーストレディが書いたもの。今日でようやくこちらを読み終わった。ファーストレディの書いたものと安易に考えてはいけない。これは筋金入りの社会改革家による韓国現代史だ。シンガポールのリ・クワンユーがかつて文化は運命であり、民主主義はアジアに合わないと言ったことに金大中が論争を挑み、文化は運命ではない、民主主義がわれわれの運命なのだと言い切ったことばなどが散りばめられている。そして庭の草木や動物を愛した姿もまた描かれていて、金大中が天才的な普通人でありつづけたことがよくわかる。

そういえば、なだいなだ氏の年頭のインタビューには、彼が日本人の閉塞感や不幸の源は1951年のサンフランシスコ条約と1960年の日米安保条約にあることが最近はっきりとわかったと言っているのにはどきりとした。

帰省先はめずらしく雪が多かった。おかげで玄関先の雪かきを娘といっしょにやった。雪かきをしながら、娘はついでに雪だるまづくりを始めて、ぼくは雪だるま作りの指南役となる栄誉を与えられた。娘はこれが生まれて2度目の雪だるまだと言ったので、彼女は小学校低学年のときにオーストラリアの雪山で作った雪だるまのことをちゃんと覚えていたのだと感心した。

今年の誓いもまだ立てていないのだが、雪だるま作りとともに今年は明けたわけだ。

新年に皆様のご多幸をお祈り申し上げます。


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浅草寺師走小景

2009-12-20 23:32:13 | Weblog
先週は上野公園を散歩したが、今週末は浅草寺。つれ合いが教えている留学生たちを連れて行くというので、天気もいいし、いっしょについていくことにした。

朝から仲見世の通りはすごい人で、なかなか歩くことができないくらい。もう何年も来ていないので、どうかと思ったが、まあ変わっているというわけではないようだ。ただ、聞こえてくる言葉はじつにさまざまで、中国語、広東語、ベトナム語、英語、オランダ語(?)など、ほんとうに外国人の観光客が多い印象。お店も外国人相手のお土産屋が軒を連ねている。本殿前の焼香でも、写真の二人の女性は、きっと外国の人なのだろう、その国のやり方でお祈りを捧げているように見える。

じつは浅草寺周辺は、仲見世だけではないのだけど、留学生もいるのでいろいろ徘徊するわけにはいかない。そこから隅田川まで歩く。スカイツリーなる第2東京タワーが200mばかり伸びて、すぐ目と鼻の先に見える。川縁におりて、そこから遊覧船に乗って、浜離宮、日の出桟橋まで観光。そこからゆりかもめでお台場。じつはここは初めてで、フランスの自由の女神のコピーを拝んできた。浅草寺の聖観世音菩薩と自由の女神を拝んでおけば、来年も安泰だろう。

気づいてみれば、すでに今年も10日ほどである。
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