先週末は新宿で大学時代の友人たちとの飲み会に参加。
その前に、昨年12月に結婚したH氏のために銀座松屋で絵を物色。コレットというカナダ人画家のニューイングランドの風景版画を購入。明るい湖面を畔の家の外に置いたチェアーから眺めるもの。飲み会には奥さんも来られていて、聞いてみるとハーバードに2年いたと言っていたのでこの風景版画もちょうどよかった。
さて集まったのは、鉄骨専門誌記者のH氏、経営コンサルタントでメガバンクの重役相手に講演をするM氏、精神科医で大学教授のY氏、北京大卒のH氏の奥さんで国際経済が専門の大学教員M女史、そして私。経済派が3人、コミュニケーション派が2人と相成った。
話題はなぜかグローバリゼーションから始まった。日本経済、とくに銀行はどうしようもないですよとM氏。韓国はすっかりグローバリゼーションの体制を整えたのにね。
アメリカは戦略的ですね、とM女史。中国人の学生や研究者を優遇して留学させて親米とグローバリゼーションを育てていますよ。
この話は精神科医のY氏の仕事にもとても影響しているらしい。精神科の治療も研究も、いまやアメリカの定量的な物質的アプローチは流行りでね、と言う。
仕事鬱の話も出たので、ぼくは結局、アメリカは多様性がなくなって正常の範囲が狭いから、さまざまな心の変調が病気に格上げされちゃうんじゃないのとコメント。
しかし、やがてH氏のお母様の認知症の話が始まる。○○ちゃんが電子レンジに入ってやけどするから救急車を呼んだって言うんだよ。だけどその物語をつくって生きようとする創造力はすごいんだね。
Y氏も、弱者の治療のひとつは自分のなかにもっているナラティブを発見してもらうことなんだと言って、みんなナラティブで生きるんですよ、そして突然大きな声になって「生命力だ!」と断言したのだった。
この話はさらに昨今の学生気質の話になって、ぼくも卒論指導なんかのときに、研究テーマについて自分のストーリーを作れるといいんだけど、その力がとても弱くなった気がすると発言。M女史もY氏も賛同。子供たちも大学生も新入社員もあらゆるところで上からの物語(ストーリー、ナラティブ)が支配的になって、自分のナラティブを育てられないんだよ。
話題は尽きず、夜遅くまで続いたが、新宿では深夜まではいられない。札幌の大学時代なら時間の心配などいらなかったわけだけど。当時も今日のような談論風発だったのだろうか。きっとそうだ。文芸部の飲み会で文学の話をした覚えがない。みんな文学の落第生だったんだ。
この夜の結論が、物語の復権となったところが、また落第生として面白い。
その前に、昨年12月に結婚したH氏のために銀座松屋で絵を物色。コレットというカナダ人画家のニューイングランドの風景版画を購入。明るい湖面を畔の家の外に置いたチェアーから眺めるもの。飲み会には奥さんも来られていて、聞いてみるとハーバードに2年いたと言っていたのでこの風景版画もちょうどよかった。
さて集まったのは、鉄骨専門誌記者のH氏、経営コンサルタントでメガバンクの重役相手に講演をするM氏、精神科医で大学教授のY氏、北京大卒のH氏の奥さんで国際経済が専門の大学教員M女史、そして私。経済派が3人、コミュニケーション派が2人と相成った。
話題はなぜかグローバリゼーションから始まった。日本経済、とくに銀行はどうしようもないですよとM氏。韓国はすっかりグローバリゼーションの体制を整えたのにね。
アメリカは戦略的ですね、とM女史。中国人の学生や研究者を優遇して留学させて親米とグローバリゼーションを育てていますよ。
この話は精神科医のY氏の仕事にもとても影響しているらしい。精神科の治療も研究も、いまやアメリカの定量的な物質的アプローチは流行りでね、と言う。
仕事鬱の話も出たので、ぼくは結局、アメリカは多様性がなくなって正常の範囲が狭いから、さまざまな心の変調が病気に格上げされちゃうんじゃないのとコメント。
しかし、やがてH氏のお母様の認知症の話が始まる。○○ちゃんが電子レンジに入ってやけどするから救急車を呼んだって言うんだよ。だけどその物語をつくって生きようとする創造力はすごいんだね。
Y氏も、弱者の治療のひとつは自分のなかにもっているナラティブを発見してもらうことなんだと言って、みんなナラティブで生きるんですよ、そして突然大きな声になって「生命力だ!」と断言したのだった。
この話はさらに昨今の学生気質の話になって、ぼくも卒論指導なんかのときに、研究テーマについて自分のストーリーを作れるといいんだけど、その力がとても弱くなった気がすると発言。M女史もY氏も賛同。子供たちも大学生も新入社員もあらゆるところで上からの物語(ストーリー、ナラティブ)が支配的になって、自分のナラティブを育てられないんだよ。
話題は尽きず、夜遅くまで続いたが、新宿では深夜まではいられない。札幌の大学時代なら時間の心配などいらなかったわけだけど。当時も今日のような談論風発だったのだろうか。きっとそうだ。文芸部の飲み会で文学の話をした覚えがない。みんな文学の落第生だったんだ。
この夜の結論が、物語の復権となったところが、また落第生として面白い。