礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ウマツイに働く者は毒蛇に咬まれる

2015-04-17 05:17:50 | コラムと名言

◎ウマツイに働く者は毒蛇に咬まれる

 昨日の続きである。浅野誠氏のブログ「沖縄南城・人生創造・浅野誠」に載った、拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四年八月)の書評を、浅野氏のお許しを得て紹介している。書評は三日分に分かれているが、本日は、その二日目の分を紹介させていただく。

「勤勉」と「働き過ぎ」の混同 働き過ぎ本2 浅野 誠 2015年03月26日

  前回23日の続き。
 仮説7 「明治三〇年代に入ると、日本の農民の多くが勤勉化した」p147
 ―――そこで重要なのは、次の指摘だ。
「農民を「勤勉」に駆り立てたものは、いわゆる「倫理的な雰囲気」としてのエートスではなかった。むしろそれは、当時の農村に蔓延しはじめていた、「非倫理的な雰囲気」としてのエートスであった。すなわち、生存競争に生き残るために、ひたすら自家の利益を追い求めようとする雰囲気であった。」p153
 ―――二宮をモデルにするような「倫理的な雰囲気」を作りだす政策を修身の時間などで学校教育で浸透させようとしたのだが、それが中心ではなかった、というわけだ。
 言い方を変えると、資本主義的な競争のなかで生き抜くために「勤勉」になり、その後付けの理由として「倫理」=修身徳目としての「勤勉」が貼りつけられたというのだろう。
仮説8 大正時代の農村には、すでに、働きすぎる農民があらわれていた。p164
仮説9 大正時代の農村には、なお、勤勉でない農民が残存していた。p164
「明治末以来、全国の農村で、農家と農家の間の競争が激化してゆくにともなって、「もやい仕事」の比重が小さくなっていったと思われる。」p171
―――「もやい」は、沖縄での「結」だ。沖縄でも同様な状況が広がり始める。
 次の指摘は決定的に重要だ。
「「勤勉」というのは、美徳だが、「働きすぎ」というのは、美徳であるはずがない。私たち日本人は大正時代から今日まで、そのことについて「真剣に反省した」ことは、一度もない。」p173
「「勤勉」が強調された結果、「勤勉」と「働きすぎ」が混同され、「働きすぎ」を「勤勉」の一態様として、肯定的に捉えるような状況が生じた」p174
「厳しい生存競争に直面している農民や、厳しい労務管理の下にある労働者が、やむなく「働きすぎ」に陥る状況に対し、歯止めになるような方策が存在しなかった」 p174
仮説10 戦時下、産業戦士と呼ばれていた労働者が置かれていた状況は、今日の労働者が置かれている状況と通じるものがある p191
仮説11 日本人の勤勉性は、敗戦によって、少しも失われなかった。p203
「企業への「参加意識」を高めた労働者は、みずから進んで労働し、会社のために働くことを「生きがい」と感じるようになってくる。「我が家は楽し」ならぬ「我が社は楽し」の世界である。日本の高度経済成長を支えたのは、このように、働くことを「生きがい」と感ずる労働者の存在である」p216
―――会社に限らない。学校―愛校心、郷里・地域―愛郷心、さらには国―愛国心という形へとつなげていくイデオロギーが浸透する。こうしたものを「生きがい」の源泉にするという特徴があるのだ。それに異議申し立てするのは、反道徳だとされ、異議申し立てを困難にする。
 現代にかかわる「仮説」の紹介と、「勤勉」と「働きすぎ」の混同については、次回に紹介コメントしよう。
(続く)

 このようにまとめていただくと、拙著をまだ読まれていない読者も、本書の内容、主張を、それなりに、わかっていただけたのではないだろうか。
 ところで、ユダヤ教やキリスト教には、「安息日」という言葉がある。これは、「働かなくてもよい」日ではない。「働いてはならない」日なのである。である以上、安息日というのは、これまで(近代以前において、あるいは近代以後においてもなお)、「働きすぎ」を抑制する機能をはたしてきたのだと思う。
 かつての日本にも、「怠け者の節句働き」という言葉があった。節句=休日に働くことは、罪悪であり、非難さるべきことであった。時に、共同体による制裁の対象とされたこともあった。
 明治以降、勤勉イデオロギーを過度に注入されてきた日本人は、休憩を取ることや休日にリラックスすることを、あたかも「罪悪」であるかのように捉える傾向がある。飲食店などが、午後の数時間、店を閉める際も、「準備中」などという札を出すのも、自他の勤勉意識に対する「言い訳」と理解すべきだろう。
 この本は、こうした日本人の勤勉意識を、打ち破ろうとした本である。しかし、日本人の勤勉意識に対して、まったく問題意識を感じていない読者にとっては、この本は、わかりにくい、あるいは、違和感を覚える本であろうと思う。
 しかし、多くの日本人が、「勤勉」と「働きすぎ」とを混同しているという本書の指摘に関して言えば、これはおそらく、多くの読者の支持を得られるのではないだろうか。
 浅野誠氏が、そのブログで、「勤勉」と「働きすぎ」との混同という問題を採り上げていただいたことに感謝したい。
 なお、柳田國男によれば、沖縄には、「ウマツイに働く者は毒蛇に咬まれる」という諺があるらしい(『日本農民史』一九三一)。ウマツイというのは、休日のことだという。今でも、沖縄に、この諺が残っているのかどうか、浅野さんに、ぜひ、お尋ねしてみたいと思っている。

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