◎「わア御きげん、私の年だわ」黒柳徹子
戸板康二『わが交友記』(三月書房、1980)を紹介している。本日は、その三回目で、「わが交友」の部から、「黒柳徹子」というエッセイを紹介する。
黒柳徹子
ことしになってから黒柳徹子さんとテレビで対談する機会があったが、スタジオにはいって行って指示された椅子にすわる時、こんなに何の抵抗もなく、ごく自然に腰かけられたのは、はじめてだと思った。
つまり、ずいぶん長くつきあっているひとだから、カメラや照明器具が物々しく並んでいる場所で、馴れているつもりでもつい固くなるぼくが、気楽にふるまわれたというわけである。
黒柳さんは、テレビというマス・メディアの申し子のような女性で、NHKの放送劇団五期生として登場、その独特な個性で、確固たる存在をみとめられるのに、そんなに時間はかからなかった。
頭の回転と舌の回転がすばらしく早い。だから司会者には、この上ない条件を時っている。日本にいると、のべつ忙しいので、数年前、あれは「繭子ひとり」というテレビ小説に出ている年だったが、単身アメリカに遊学した。
そういう思い切りのいい身の処し方は見事だと思ったが、考えれば、いつも少女っぽい雰囲気を残してはいるものの、彼女はその時三十代の半ばを過ぎていたのである。
なぜそんなことがわかるかというと、更にさかのぼった数年前、日光に四五人で行くことがあり、いろは坂を車で昇りながら、運転手に紅葉はどのへんがいちばん美しいかと訊いた〈キイタ〉黒柳さんが「二十八あたりの坂でしょうか」と答えられ、「わア御きげん、私の年だわ」といったのを、おぼえているからだ。
黒柳さんの個性を早くから、作家として注目し、育成したのが飯沢匡〈イイザワ・タダシ〉 氏であることは、劇界なら誰でも知っている。飯沢さんの英才教育が、大きな力になっているのはたしかで、だから黒柳さんがコラムに書いたりする正義派的な発言にも、飯沢さんの考え方が、影を投じているように見える時がある。
いつぞや、テレビのフリー・トークの番組で、まじめな論議をたたかわしている最中、悪のりしていたタレントが、黒柳さんに「ねえ、チャック」と綽名〈アダナ〉で呼びかけたら、「黒柳と呼んで下さい」と、ビシッとけじめをつけていた。そんなところは、飯沢さんにしつけられた女優の姿勢というべきだろう。
黒柳さんによく会うのは、新橋にあるトントンという小さな酒場である。
その店は、飯沢さんがいろいろな若い友人を連れて来る店で、少し気むずかしい作家が楽しそうにブランデイを飲む姿が、何となく舞台装置の中に定着するのが不思議だ。
黒柳さんも、トントンでは古い客の一人である。あれはもう二十年近く昔だが、ジャーナリストや評論家がたまたま顔を揃えた時、酒興に「いろはかるた」のパロディを作ろうということになった。
黒柳さんが「初物買いの銭失い」という傑作を発表した。これはタイミングがよかったので、その店にすこし前までいた老人が、ティーン・エージャーとしか思われぬ少女を帯同していたのを見ていた皆が、拍手したわけだ。
酒に関するかるたも、別の時に、やはり黒柳さんをまじえて、こしらえた。「寝耳に水割り」というぼくの作がある。
去年のくれ、朝日新聞の元日の附録にのせる「ことば遊び」の座談会が企画され、黒柳さん、遠藤周作氏、赤塚不二夫氏、ぼくと四人で、芭蕉の名句のパロディだの、「らくがき判断」だのをして、楽しく遊んだ。その時、トントンの昔の春の宵を、なつかしく思い出した。
即興の「らくがき判断」で、
黒鯛に
柳がれい
徹底した魚好き
子持がれいが一番いい
と書いて、机の上に置いた。黒柳さんの嗜好を知っているわけではなく、文字だけ合わせたのだが、誰かが「あなた、そんなに魚が好きなの?」
と尋ねたら、「そうしておかなくちゃア」と笑った。大人である。
大分前に、酉の市に同行した。男が三人と黒柳さんという連れで、タクシーを走らせていた。黒柳さんは小学校のころ、青森県に疎開していて、その土地の言葉をみごとにマスターしている。
その夜、銀座の百貨店の明るさに感嘆したり、街の人波におどろいたり、黒柳さんが浅草に着くまで、南部の方言を使いながら行ったのを、中年の運転手はスッカリ、ほんとうに上京したばかりの娘だと思いこみ、降りようとする時、「まア東京を精々楽しむんだね、しかしくれぐれも気をつけてね」といった。
男三人を、警戒する気分も若干、うかがわれた。
文中、「繭子ひとり」とは、1971年4月から、翌年4月にかけて放送されたNHK連続テレビ小説。黒柳徹子さんは、この番組に家政婦役で出演していたが、途中で降板し、アメリカに留学した。
また、「青森県に疎開していて」とあるが、黒柳さんが疎開していたのは、青森県三戸郡(さんのへぐん)平良崎村(へらさきむら)、現在の三戸郡南部町(なんぶちょう)である。
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