礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

浅野誠氏の書評に接して

2015-04-16 04:54:52 | コラムと名言

◎浅野誠氏の書評に接して

 浅野誠氏のブログ「沖縄南城・人生創造・浅野誠」で、拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四年八月)の書評に接した。著者の問題提起を的確に、かつ好意的に捉えた書評であり、光栄であった。
 浅野氏に連絡して、転載の許可をいただいた。書評は三日分に分かれているが、一日分づつ、これを紹介し、そのあと、転載の御礼を兼ねて、若干のコメントを付してみたいと思う。

礫川全次「日本人はいつから働きすぎになったのか <勤勉>の誕生」平凡社2014年を読む 浅野 誠 2015年03月23日

 店頭で出会った大変興味深いタイトルの本だ。20年以上前にも、近世日本では、勤勉とか働きすぎとは異なり、休日を楽しんでいた状況を示唆する本を読んだが、この趣旨のものはそれ以来ぶりに出会う。
 新書版で読みやすい。
 内容は、著者が、次々と「仮説」を提示する形で作られているので、その仮説を並べてみよう。
仮説0 人々を勤勉に駆り立てるものは、その社会、あるいはその時代のエートスである。p29
仮説1 日本では、江戸時代の中ごろに、農民の一部が勤勉化するという傾向が生じた。  p27
仮説2 江戸期の日本では、すでに勤労のエートスを導くような文化が成立していた p35
仮説3 江戸時代の中末期、浄土真宗の門徒の間には、すでに勤労のエートスが形成されていた  p91
――― 岐阜県の私の実家は、浄土真宗地帯にあり、こうしたエートスに、幼少期の私は包まれていた。
仮説4 日本人の勤勉性の形成にあたっては、武士における倫理規範が影響を及ぼしていた可能性がある p101
仮説5 明治二〇年代以降、少なからぬ日本人が、二宮尊徳の勤勉思想から、勤勉のエートスを学び、勤勉化していった。 p137
――― なお、二宮が生存中にそうなったというのではなく、彼の死後、「明治国家が、そのイデオロギー政策に、尊徳の思想と人物を取り込んだことによって、尊徳本人が果たせなかったその夢が、かなりの程度までに実現されてゆくことになった」p137と書かれている点にも注目したい。
仮説6 「浄土真宗門徒における勤労のエートスは、日本の近代化に積極的な役割を果たした」p141-2
――― 北海道移住や海外移民には、そうした人々が多かったことが指摘されている。
「明治期のある時期を境に、「勤勉でない農民」と「勤勉な農民」の比率が逆転し、「勤勉な農民」が多数派となった(中略)「ある時期」は、明治三〇年代(一八九七-一九〇六)であったと捉えている。」p144
「江戸期を通して、農民の休日は漸増してゆく傾向にあったという。(中略)多いところでは、年間百日にも及んでいたらしい (中略) 江戸期に休日が漸増していったのは、農民が、経営技術の進歩によって生じたユトリを、休日という形で享受しようとしたということであろう」p148-9
「おそらく、明治三〇年代に入ったあたりから、農民の休日が減少に向かい」p147
――― 沖縄でも、近世には、農民たちの諸行事に対応する休日の多さを、王府が縮減させる指示を出していたことを思い起こさせる。
(続く)

 浅野誠氏が指摘されているように、拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』は、「仮説」を提示しながら、書き進めるというスタイルを採用した。
 これには、三つばかり理由があった。第一には、主張しようとする内容が入り組んでいるにもかかわらず、新書という限られたスペースで、説明を完結させる必要があったことから。第二には、本書が発しようとしているメッセージが、著しく「日本人の常識」に反するものなので、本書を読み進める読者に対して、こうした形で少しづつ理解を求めたほうがよいと考えたからである。
 そして三番目に(実は、これが一番だいじな理由だったわけだが)、書き進める自分自身にとっても、このスタイルが書きやすかったからである。「仮説」を提示する順番をあれこれ検討してゆくうちに、おのずと構成も定まった。また、実際の論述にあたっては、「仮説」を提示するタイミングというものを意識しながら書くことになるので、説明、例示、引用等のバランスを調整することもできたように思う。
 こうした試みは初めてのことであり、それほどうまくはいかなかったが、浅野氏に、「新書版で読みやすい」と言っていただいたのはうれしかった。また、「仮説」を紹介していただいたことも光栄であった。
 さて、浅野氏は、現在、沖縄に在住され、研究を続けられていらっしゃるようである。私の推測するところ、沖縄というところは、日本の中では、「勤勉」イデオロギーに、最も毒されていない地域なのではないのか。しかも、記事を拝読すると、氏は、岐阜県の「浄土真宗地帯」のご出身だという。だとすれば、本書で、私が抽象的に述べたことは、沖縄の地において、浅野氏の筆で論述していただくほうが、具体的、説得的、問題提起的なものになるのではないかと感じた。浅野氏には、ぜひ、この点、ご検討をお願いしたいと思う。【この話、続く】

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