礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

富田君には内務次官を引き受けて貰いたい(近衛文麿)

2021-08-20 02:20:21 | コラムと名言

◎富田君には内務次官を引き受けて貰いたい(近衛文麿)

 当ブログでは、二〇一七年八月に、富田健治著『敗戦日本の内側――近衛公の思い出』(古今書院、一九六二)という本を紹介したことがある。
 最近になって再び手に取ったが、以前にも増して、面白く読めた。著者の文章は、気取ったところ、構えたところがなく、シンプルで平易である。登場人物に対する観察は細かく、その人物評は、ストレートで説得力がある。
 二〇一七年のときは、「(四二)終戦の詔勅下る」の項を紹介したが、今回は、「(四三)八月十五日直後の政局」の項を紹介してみたい。

 (四三) 八月十五日直後の政局
          (昭和三十四年五月十日記)

 昭和二十年八月十五日は、日本国民にとって永久に忘れることの出来ない日であった。私はこの日正午、酒井〔鎬次〕邸で、陛下の終戦後詔勅の放送を聞き悲涙にむせびながら、急いで家族の疏開〈ソカイ〉先であつた芦の湖畔の湖尻〈コジリ〉に登って行った。仕度をして終戦後の時局に備えるためである。そして翌朝そこを出て、宮ノ下の富士屋ホテルに近衛〔文麿〕公を訪ねたところ、私を訪ねて今、近衛公の使者が湖尻の宅へ行った、多分入れ違いになったのだろうということであった。電話が通ぜず、自動車も不自由で、こんな時には、一番困る疏開先であった。併し昨夜来、ホテルに宿泊されていた伊藤述史〈ノブミ〉、草間時光〈トキミツ〉氏等が、尚残留されていて、その人達から近衛公の私への伝言を聞いたのである。即ち
 「八月十五日午後三時半、鈴木〔貫太郎〕内閣は総辞職した。十五日夕、木戸〔幸一〕内府から近衛公に対し十六日朝上京されたいといって来た。今朝東久邇宮〔稔彦王〕様に大命が下る筈で、近衛公には副総理格で入閣して宮様総理をお援けするようにとのことである。近衛公は今度は異常な決心をされている様子であって、敗戦直後の今日、治安の維持が最も大切と思われるから、自分も無任所の国務大臣でなしに、内務大臣を引き受けてもよい。その場合富田君には気の毒だが、内務次官を引き受けて貰いたい。この伝言をたのむ。又至急富田君に東京へ出て来て、近衛公に連絡するようにして欲しい、東京の細川〔護貞〕邸を連絡場所にするからそこへ来て貰いたい」 
 こんな伝言であった。私はそこで直ちに上京すべく、富士屋ホテルを出立した。終戦直後のことである。大本営のウソの発表を信じてきた国民大衆である。箱根登山電車の停留所や、省線小田原駅の待合室などで、語り合う庶民の声は、概ね昨日の終戦がまだ納得いかぬ様子であって、まだまだ我軍の力はあるのにとか、中には知ったか振りで、この終戦は重臣や大金持ちが、戦争をこれ以上やられては自分達が困ることになるので、天皇陛下を騙して、戦争を止めさせたんだとか、いよいよアメリカの兵隊が上陸してくると、女共は大変なことになるぞ、早く山奥の方へ逃げて行かねばならぬぞ……といった類であった。そして空からは多分少壮軍人の手になるものであろう。葉書大のビラに終戦絶体反対、我々軍人は最後迄、皇国を護るという趣旨が激越な文体で書かれてヒラヒラ小田原駅構内にも舞いかかってくる始末である。何が何やらハッキリ判らない表情で、何となく、気の抜けたような一般の国民風景であった。
 併し私は思ったことである。よかった。よかった。遅かりしとはいえ、とにかく戦争は終結したのである。これ以上陸海軍の強硬派に引きずられて、戦争を継続していたなら、原爆が広島、長崎以外、あるいは東京、大阪その他の大都市にも落されたことであろう。文字通り、日本は焦土となって、事実上、我国は壊滅したことであろう。近衛公の日米妥協、日米戦争反対の本旨も、今になって、やっと徹った〈トオッタ〉ことになる。この上は、我国内の治安維持、真相を国民全体に周知徹底せしむること、そして一日も早く、破壊された日本国内を再建することであると確く〈カタク〉決意したことであった。そして近衛公も今度こそは決心もされているようだし、私も空襲で危うく死を免がれたことでもある。一死最後の御奉公を近衛公の下で尽そうと深く期しつゝ、ダイヤの乱れた列車を待つ間がもどかしくてならなかった。【以下、次回】

 富田健治は、第二次・第三次近衛内閣で、内閣書記官長として近衛文麿首相を支えた人物である。また、それ以前に、内務省警保局長を務めたこともあった。ほかならぬ近衛から、「内務次官を引き受けて貰いたい」との伝言を受けて、大いに乗り気になったということだろう。

*このブログの人気記事 2021・8・20(9位に極めて珍しいものが入っています)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金メダルかじり事件と個人の尊厳 | トップ | 近衛公は狡猾な責任免れをす... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事