礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

この事件が「首なし事件」と呼ばれた理由

2024-09-05 00:05:20 | コラムと名言
◎この事件が「首なし事件」と呼ばれた理由

 正木ひろし『弁護士――私の人生を変えた首なし事件』(講談社現代新書、1964)に拠りながら、いわゆる「首なし事件」について紹介している。
 本日は、その八回目(最後)。同書の第2章「こっそり首を切り取る」の第4節「首無し事件の鑑定」を引用する。

   〈4〉 首無し事件の鑑定
どうしたらいいかわからなくなった 【略】

意を決して司法大臣に会う
 古畑(正式)鑑定から、すでに二週間たっているのに、犯人をあげません。わたしは最後の手段とし」、大臣〔岩村通世司法大臣〕に直接会見して、大臣が岩田宙造〔弁護士、貴族院議員〕に約束した責任をどうするのか、問いただしてみようかと考えました。
 すでに、大森〔洪太〕次官の、うって変わったような態度によって、岩村法相の意向も、ほぼ推察できるのですが、しかし、失明展に出品した大臣の日本画の竹や梅には気品があり、大森次官の描く油絵とは比較にならないのを知っているので、おそらく人間的にも、もっとゆとりがあるのではあるまいか、という期待があったのです。
 二月十九日、わたしは意を決して大臣に面会を申しこみました。
 大臣室のソファに、大石秘書官も同席しました。やはり、いつもとちがって、だれの顔にも笑顔はありませんでした。わたしは、
「法医学の権威である古畑博士が、裁判所からの正式の鑑定で、『他殺だ』と鑑定しているのに、なぜその犯人を早く調べてくださらないのか。」
と、訴えるように低姿勢で質問しますと、岩村大臣は、改まった口調で、
「古畑が他殺だといっても、それよりまえにみた青柳兼之介は病死だといっている。古畑も医者であり、青柳も医者である。ふたりの医者の鑑定がちがっているからといって、古畑のほうが正しいと断定するわけにはいかない。」
というのです。

逆襲されて苦しまぎれの発言
 わたしはこの暴論にひじょうに驚きました。しかし、このまま引き下がれば、それでおしまいになってしまいます。わたしは苦しまぎれに、
「けれど、大槻〔徹〕が他殺であることは、頭ばかりでなく、背中のほうにも、打たれた筋がついていたし……。」
といいかけると、大臣はいすから立ち上がりながら、
「それじゃ、からだの傷の鑑定ができているのか。」
と詰め寄りました。わたしが、
「まだできていません。」
といい終わるか終わらないうちに、大臣は、
「古畑ともあろうものが、それをしないとは、どういうわけだ。」
と逆襲してきました。わたしは、できるだけ穏やかに、
「だって大臣、古畑さんが、裁判所から鑑定を命じられたのは、頭だけなんですからね。」
というと、大臣も拍子抜けがしたように、
「ああ、そうだったか。」
といいました。
 すると、かたわらでこの問答を聞いていた大石秘書官が、
「大臣、からだのほうの鑑定をやらせたらいいでしょう。」
と助け舟を出してくれました。大臣は、いつも、大石秘書官の発言には、逆らわないようでした。
「それなら、やらせるようにしよう。」

「首なし事件」と名の起こり
 現在のわたしなら、いかに窮しても、大槻の背中の筋を、なぐった傷あととはいえなかったでしょう。わたしのとった写真を、後日よく見ると、背中の筋は、死体がわらむしろに包んであったので、死斑が、むしろの目に圧迫されて、棒でなぐった筋のように見えたと考えるべきでした。しかし、その当時は、坑夫たちが、棒で背中をなぐられたと訴えていたので、それと結びつけて、わたしは右のようにいってしまったのです。それに、時日はすでに一か月近くたっていました。死体の腐敗は進行し、おそらく、鑑定しても、わからないのではあるまいか、という気やすめがあったのでした。
 それから四、五日たって、現地からきたたよりによると、「二月二十三日に、自動車に乗っておおぜいの人がやって来た。蒼泉寺の墓場へ行って死体を掘り出して、台の上に載せて見ていた。首がないので、村の人たちは、『おかしな死体だ、首がない、首がない』とふしぎがっていた」というのでした。
これが「首なし事件」という名の起こりだったのです。
 やはり、大臣は胴体の鑑定を命じたのでした。しかしわたしは、前にのべたような理由で期待をもつことができないのでした。だから、ただ、運を天に任せ、しばらくのあいだはこの事件のことをしいて忘れて、一月以来停滞していた法律事務やら、「近きより」の原稿執筆、校正、発送などに没頭していました。〈85~88ページ〉

 ここにあるように、1944年(昭和19)2月23日、司法大臣の命により、現地において、「胴体」の鑑定がおこなわれ、このときに初めて、「首なし事件」という呼称が生まれたのである。
 明日は、話題を変える。

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