礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

バッヂ博士『景教僧の旅行誌』の再版を入手

2024-09-11 00:05:51 | コラムと名言
◎バッヂ博士『景教僧の旅行誌』の再版を入手

 先週、神保町の古書展で、バッヂ博士著・佐伯好郎訳補『元主忽必烈が欧州に派遣したる景教僧の旅行誌』(春秋社松柏館、1943年10月)を入手した。
 この本は、1932年(昭和7)9月に、待漏書院から初版が出ており、今回、入手を果した春秋社松柏館版は、待漏書院版の「再版」にあたる。どちらも、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できる。なお、景教というのは、ネストリオス派のキリスト教の中国における呼称である。忽必烈はフビライと読む。元の初代皇帝フビライ汗のことである。
 本日は、春秋社松柏館版の「再版自序」を紹介してみたい。なお、ここで「著者」とは、本書の訳補者である佐伯好郎(1871~1965)の自称である。

   再 版 自 序

 本書の初版が刊行後数年にして絶版となつて久しく世の需に応ずることが出来なかつたことは、満蒙史蹟研究家の頗る遺憾とするところであつた。偶〻春秋社にこの事を報ずるものあるや同社は之が再版を熱心に慫慂して已まざりしをもつて、旧稿を訂正増補しその景教分布地図を改正し、更に景教僧両人の経由せし欧亜諸国の地方を示すべき旅行図を附加して再版することとし煩瑣なる一切の事務を同社に一任するに至つたのである。これ著者が茲に同社に対して深甚の謝意を表する所以である。
 若し夫れ軍国多事の重大時局下に在つて本書の再版が允許せらるるが如きは、大日本帝国臣民として生を 聖代に享けたるものの光栄にして著者の面目之に過ぐるものはない。これ著者が特に読者と共に広大無辺の 皇恩を衷心より深く感謝し奉る所以である。
 更にまた読者が幸にして本書を通して 皇国三千年の歴史に於ける一大事件であつた弘安四年の大捷即ち元寇撃滅の決戦が支那朝鮮は勿論、全欧洲諸国等に及ぼしたる影響と世界歴史的の意義とを一層明確に把握し、所謂西欧基督教対支那思想問題に関する認識を是正し 皇国臣民としての重大使命に対する各自の本文を一層深く且つ明かに自覚し、宣戦銃後共に一団となり一億一心、全身全力を挙げて聖戦完遂のために国民的責務を遂行するの一助となることを得ば、著者の幸甚之に過ぐるものはない。
 今、本序を再び上梓するに当り茲に重ねて謹み慎みて恭しく広大無辺なる 皇恩に対する感謝と感激の微衷を表し奉りて序文となす。

   昭和十八年六月八日
   大詔奉戴日         西大久保の僑居に於いて 著者謹識す

 この「再版自序」で明らかなように、1943年(昭和18)に春秋社松柏館から出た『景教僧の旅行誌』は、1932年(昭和7)に待漏書院から出た『景教僧の旅行誌』を「訂正増補」したものである。学問的な価値が高いのは、春秋社松柏館版のほうであろう。

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