礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

正午、有史以来初めての陛下の御放送

2021-08-15 00:16:06 | コラムと名言

◎正午、有史以来初めての陛下の御放送

 極東軍事裁判研究会編『木戸日記――木戸被告人宣誓供述書全文――』(平和書房、一九四七年一一月)に拠って、七十六年前の今ごろを振り返っている。本日は、その八回目。

    終 戦 前 夜
三一五 近衛師団の不穏行動  昭和二十年八月十四日夕方近衛公が私を訪ねて来られました時、近衛師団が不穏であるとの噂を聞いたが大丈夫かとのことでありました。当時私は何も聞いて居らなかつたので、近衛師団であるから、まさか不穏な行動に出る様なことはあるまいと答へたのでありました。私が八時半に鈴木首相に面会した折に此話を思出したので尋ねて見ると首相も知らなかつたのでありました。斯くて別に気にも留めないで寝てしまひました。此晩はB二九の空襲が各都市に行はれて、ラヂオの報道がラウドスピーカーで伝へられて居た処が、之が夜半過ぎにピタリ止んでしまひました。
 私は本能的に之を不思議に思ひましたが、或はラウドスピーカーの故障だろう位にも思つたので、其侭睡んで〈マドロンデ〉居りました処が近衛師団の不穏云々が事実でありました。〔一五日〕午前三時二十分頃戸田〔康英〕侍従が私の部屋に来まして、近衛師団の一部が叛乱したものゝ如く本省の通信施設を占領遮断し、御文庫も包囲されて居り連絡が取れないとの話でありました。之は容易ならぬ事態であると早速起床、服装を整へて一度は皆の勧めで侍医宿直室に入りましたが、再び部屋に引返して機密重要書類を破りて便所に流しました。四時二十分頃石渡〔荘太郎〕宮相と共に地下金庫室に入り匿れて事件の成行を観察して居りました。
三一六 叛乱の鎮圧に成功  何分通信施設を占拠せられたる為め外部への此状況を知らせることが出来ないので困窮して居つたが、後で聞いて見ると侍従武官府の海軍武官より海軍省への直通電話が一本だけ通じて居りました。之に依り外部との連絡が取れ、夫々〈ソレゾレ〉手配が行はれたものゝ如く、東部軍司令官田中静壱〈シズイチ〉大将が自ら鎮圧に乗り込んで来られました。其命に依り兵は皆帰営し、午前八時頃には解決を見るに至つたのでありました。八時頃三井〔安弥〕侍従が来て解決したとの事でありましたので、私は宮相と共に直に〈タダチニ〉御文庫に伺候して天機を奉伺〈ホウシ〉しました。此日内大臣府に宿直した雨宮属の話に依ると私が金庫室に入りたる直後より六回に亘り将兵が私を捜査に来たり、雨宮属は私の居所を白状せしめられる為め相当強迫せられたるとのことでありました。
三一七 叛乱部隊の目的  近衛叛乱部隊の第一の目的は陛下の御録音レコードを奪取することでありましたから、私等は危く難を免れたのでありました。陛下御録音レコードも幸に無事であり、正午有史以来初めての陛下の御放送が行はれたのでありまして感慨無量、唯々涙あるのみでありました。【以下、次回】

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