礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

こういうときに、あせってはいけません(佐藤勝子)

2024-09-03 00:41:11 | コラムと名言
◎こういうときに、あせってはいけません(佐藤勝子)

 正木ひろし『弁護士――私の人生を変えた首なし事件』(講談社現代新書、1964)に拠りながら、いわゆる「首なし事件」について紹介している。
 本日は、その六回目。同書の第2章「こっそり首を切り取る」の第1節「長い年月のような十二時間」の後半を引用する。

「先生、においますね」 
 わたしは、ほっとして、うしろを振り向きました。すると、寺の本堂のまえに住職らしい人が立って、じっと見ているではありませんか。一瞬、硬直したわたしのからだを心臓の鼓動が激しくふるわせました。しかし、どうしようもありません。すぐ気をとり直し、大急ぎでひとりの坑夫に、そのバケツをふろしきに包ませ、一足先に裏道から帰らせました。
 わたしたち三人はゆうゆうと表通りを歩いて旅館にもどりましたが、バケツ包みを、奥のへやの床の間のすみに置いたとき、佐藤〔勝子〕がそっといいました。
「先生、においますね。」
 混雑する汽車の中で、臭気が人にわかったらたいへんです。わたしは、すぐ事務所から、ありったけの新聞紙と糸ひもとを取り寄せてもらい、バケツを堅く包み始めました。ところが、そのころになると、まえに会った炭鉱の人々が、ぞくぞくとへやに詰めかけてくるのです。わたしは、そのたびにバケツの上にオーバーを掛けて、床の間に置かなければなりません。
「あのオーバーの下のものはなんですか。」
と、質問する坑夫もいました。こうなると、一刻も早く、この旅館から脱出して、自動車の中で、うまく包むほかありません。
 ところが、隣のへやでは、われわれのためにとりなべが始まるというのです。午後一時を過ぎていました。わたしは、旅館の女中に、飯を早く出すように頼みましたが、それより先に注文があったとみえて、N氏の前に酒が運ばれ、N氏は、とてもうれしそうに、ちびりちびりとやっています。それは、わたしの食事が終わっても、まだ続いていました。

駅に向かって八十キロで飛ばす
 首を切り取ったとき、寺の住職に白衣を見られたことが、ひどく気になって、わたしはだんだんいらだってきました。たばこを絶えず吹かしているわたしを見て、佐藤はわたしの耳もとに口を寄せていいました。
「先生、こういうときに、あせってはいけません。」
 わたしははっと気づきました。鶏卵や豊富な野菜など、当時の東京の市民には縁のない食料でした。わたしの心配している事情など、まったく知らないN氏が、いやな仕事をやったあと、ゆっくり飲みたくなるのは、だれが考えてもむりのないことだったのです。
 ともかく、N氏と佐藤とわたしとは、たいせつなバケツをかかえて自動車に乗りこみ、長倉村をあとにしました。人通りのほとんどない畑道を、時速八十キロぐらい出して走ったでしょう。わたしは、大宮警察署の前を通らないように、那珂川の右岸を行ってもらいました。
 列車時刻表を見ると、つぎの水戸発は午後三時三十分でした。あと十五分です。わたしが運転手に尋ねると、
「赤塚駅へ行けば、まにあうかもしれません。」
 わたしは、反射的に、
「頼む。」
といいました。

生首はぶじに東京へ潜入した
 車は急いで方向を南に転換しました。そして、わたしたち三人が赤塚駅のホームに立ったとき、列車もホームにはいってきました。
 列車には、米の買い出しを取り締まる移動警察員が、いつ乗りこんでくるかわかりません。わたしはバケツ包みを、座席の下の、他人の荷物のうしろのほうに隠しました。
 日没の早いま冬であることはさいわいでした。土浦を過ぎたころから暗くなり、戦時中の燈火管制の列車内には、十分な照明もなかったので、上野に近づくにしたがって、気がらくになりました。
 N氏は自宅が千住の近くだったので、とちゅう下車しました。わたしは、一晩でも首をわたしの家に置くことは危険な気がしたので、そのままN氏に預け、翌朝、出勤のとき、解剖学教室に持ってきてもらうことにしました。
 この日、家を出てから帰宅するまで、費やしたのはわずかに十二時間にすぎませんでしたが、わたしには、長い年月がたったように感じられました。〈64~70ページ〉

 前回および今回、紹介したのは、2月1日に「首」を持ち帰ったという話であった。映画『首』は、この一日の出来事を、かなり忠実に再現している。そして、この映画においては、この日の顚末が、ハイライトとして位置づけられている。
 この日、一行は、首の切断に成功し、今出屋旅館に戻ったが、午後一時を過ぎても、昼食が始まらなかった。そして、昼食が終わったあとも、N氏は、あいかわらず、酒をちびりちびりとやっている。
 正木ひろしはあせっていた。その理由はふたつ。ひとつは、蒼泉寺の住職に、N氏の白衣姿を見られたからである。住職が警察に通報したとすると、警察は必ず、旅館に踏み込んでくるだろう。もうひとつは、水戸駅午後3時30分発の上り列車に間にあわないかもしれない、と心配していたのである。
 結果的に、警察が旅館に踏み込んでくることはなかった。また、タクシーで水戸駅へ向かう途中、警察に制止されることもなかった。
 ただし、午後3時30分までに水戸駅に着くことは難しくなり、タクシーは、急遽、赤塚駅に向かった。赤塚駅は、水戸駅の隣駅(上り側の隣駅)である。
 一行が乗ろうとしていた列車は、仙台発上野行の230列車だったと思われる。この列車は、水戸駅15時23分着、同駅15時30分発だが、赤塚駅発は、15時40分だった。赤塚駅に廻ったので、230列車に乗ることができたのである。同列車の上野駅着は、18時32分。同日朝、上野駅を発ってから、12時間あまりが経過していた。
 ところで、赤塚駅に廻っても、230列車に間に合わなかった場合はどうなったのか。あわてることはない。一時間ほど待てば、平(たいら)発上野行の232列車に乗ることができた。同列車の赤塚駅発は、時刻表によれば16時45分。

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