礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

閣僚・最高戦争指導会議員連合の御前会議を召集

2021-08-13 00:18:54 | コラムと名言

◎閣僚・最高戦争指導会議員連合の御前会議を召集

 極東軍事裁判研究会編『木戸日記――木戸被告人宣誓供述書全文――』(平和書房、一九四七年一一月)に拠って、七十六年前の今ごろを振り返っている。本日は、その六回目。

三一一 終戦手続の促進を奏請  昭和二十年八月十四日朝、私は敵飛行機が連合国の回答をビラにして全国に散布じつゝあるとの報を得ましたので、之は実に容易ならぬ事態になりつゝあると直感しました。即ち之等ビラを全国の陣地に居る将兵が見る時は憤激するは当然にして、此結果は大混乱となり、収集すべからざる状態となるは必然であると思はれました。其故私は早速御文庫に伺候して拝謁を願ひました。八時半に御前に出て、私の観る処を委曲言上して、至急終戦の手続を御下命願ふ様に申上げたのでありました。陛下は全く私の考へと同じ御考へでありまして、御決意の極めて御堅いことを承つて恐懼感激しました。
三一二 御前会議で最後的決定  偶々〈タマタマ〉鈴木首相が参内して来られましたので、私は政府の其後の進行状況は如何なるかを尋ねた処、今に至つても統帥部は最高戦争指導会議の開催に同意せず、陸軍は午後一時迄待つて呉れとのことであるが、海軍は何時なら出来るとも云つて来ないと言ふ様な話でありました。そこで私は陛下に申上げた自分の考へを鈴木首相に話し、此際最高戦争指導会議員連合の御前会議を御召願ひ、一気に戦争終結の御下命を御願して終戦の詔勅を起案することを御命令願ふ外ないと力説したるに、首相も之に同意せられたのでありました。依つて私は八時四十分鈴木首相と共に拝謁を願ひ、首相より今朝の経過を御報告申上げると共に、上述の趣旨に依り、御前会議の御召集を御願ひしたのでありました。
 其結果十時半より閣僚、最高戦争指導会議員連合の御前会議を仰せ出されました事実は御前会議は十一時頃より御文庫附属室に於て開催せられ、茲に太平洋戦争の終結は決定せられたのでありました。陛下は御前会議終了後早速私を御召になり、拝謁して親しく会議の模様に就いて御話がありました。陛下は御涙を浮ばされて御話になられましたので私は遂に頭を上げ得なかつたのでありました。【以下、次回】

 八月一四日の「御前会議」が、天皇によって召集された「閣僚・最高戦争指導会議員連合の御前会議」であったことなどがわかる証言である。これによれば、この日、この形での「御前会議」を提案し、実現にまで導いたのは、「私」(木戸幸一)ということになっている。なお、木戸自身は、この御前会議に出席していない。

今日の名言 2021・8・13

◎戦争を避けることだけが、われわれを進化させる

 トーマス・カートライト元機長の言葉。昨12日の東京新聞朝刊4面記事による。記事によれば、カートライト元機長は、広島の中国憲兵隊司令部で捕虜になっていたが、重要な情報を持っているとみなされ、原爆投下直前、東京に移送された。1999年、広島を訪問。2015年、90歳で亡くなる。

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