礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

詔勅案は鈴木首相が奉呈して允裁を得た

2021-08-14 01:40:36 | コラムと名言

◎詔勅案は鈴木首相が奉呈して允裁を得た

 極東軍事裁判研究会編『木戸日記――木戸被告人宣誓供述書全文――』(平和書房、一九四七年一一月)に拠って、七十六年前の今ごろを振り返っている。本日は、その七回目。

三一三 政府実行に着手  政府は此処に於て早速終戦に関する万般の準備に取り掛りました。終戦御詔勅案は午後八時半に鈴木〔貫太郎〕首相が拝謁奉呈して御允裁〈インサイ〉を得られました。次いで御詔書を御放送被遊る〈アソバサレル〉準備として宮内省の一室に於て、陛下は親しく御録音被遊たのでありました。
三一四 詔書案に允裁  斯如く戦争終結の大方針は御決定相成りましたが、果して之を無事に実行し得るやは頗る懸念せられる処でありました。殊に全国の軍隊の態度如何が最も重要なる問題でありました。其故私は〔藤田尚徳〕侍従長、〔蓮沼蕃〕武官長と相談して若し其必要を認める様ならば、陛下が親しく陸海軍に御示諭〈シユ〉相成りても差支なき故、武官長より陸海軍大臣に右に関する意向を問合はす様に依頼したのでありましたが、武官長よりの返事は陸海軍共其必要を認めずとの結論であることでありました。私の其日の日記は次の如く述べて居ります。
  昭和二十年八月十四日 (火) 晴
「敵飛行機ハ連合国回答ヲビラニシテ散布シツツアリ。此ノ情況ニテ日ヲ経ルトキハ全国混乱ニ陥ルノ虞〈おそれ〉アリト考ヘタルヲ以テ八時半ヨリ同三十五分迄拝謁。右ノ趣ヲ言上ス。御決意ノ極メテ堅キヲ拝シ恐懼感激ス。八時四十分ヨリ同五十二分迄鈴木首相ト共ニ拝謁ス。十時半ヨリ閣僚最高戦争指導会議員連合ノ御前会議召集ヲ仰出サル〈おおせいださる〉。
 九時十五分ヨリ同三十七分迄拝謁。
 九時五十分及十時四十分ニ首相ト面談。御詔勅ニツキ打合ス 。
 十時五十分ヨリ同五十二分迄拝謁。
 十一時三笠宮〔崇仁親王〕ニ皇族休所〈やすみどころ〉ニテ拝謁。
 正午御前会議終了後御召ニヨリ拝謁。
 御涙浮バサレテノ御話ニ真ニ頭ヲ上ゲ得ザリキ。
 一時半侍従長、一時五十分武官長ト面談、軍ニ親シク御示諭云々ニツキ相談ス。
 二時ヨリ三時五分迄拝謁ス。
 三時二十分高松宮〔宣仁親王〕御来室。時局収拾ニツキ御打合ス。
 三時四十分武官長ト打合ス。軍ニ御示諭云々ハ陸海軍共其必要ヲ認メズトノ結論ナリ。
 三時五十分町村〔金五〕総監来室。治安ノ実情ヲ聴ク。 
 五時高松宮御来室。近衛公同断。
 五時半東郷〔茂徳〕外相、鈴木首相参内拝謁面談。
 八時ヨリ八時十分迄拝謁。
 八時半ヨリ鈴木首相拝謁。御詔書案ヲ奉呈、御允裁ヲ得タリ。」【以下、次回】

今日の名言 2021・8・14

◎予期せぬ出来事は起きなかった

 A級戦犯の処刑執行を報告する米軍の公文書にある言葉。一昨12日の東京新聞夕刊6面記事による。記事によれば、この公文書は、1948年12月30日付で、「効率的な方法と軍隊的な正確さで執行した。予期せぬ出来事は起きなかった。秘密は終始、守られた」などと書かれているという。A級戦犯の関係者が、火葬場から遺骨の一部を持ち出そうとして発覚したという話がある。事実にあったことだと思うが、少なくとも報告書では、この出来事は黙殺されている。

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