◎正木君、これはなぐり殺したものだよ(古畑種基)
正木ひろし『弁護士――私の人生を変えた首なし事件』(講談社現代新書、1964)に拠りながら、いわゆる「首なし事件」について紹介している。
本日は、その七回目。同書の第2章「こっそり首を切り取る」の第2節「なぐり殺したものだよ」の前半を引用する。
〈2〉 「なぐり殺したものだよ」
古畑君、ちょっと見てやってくれ
翌二月二日の午前九時半。N氏はすでにバケツを持って解剖学教室に出勤していました。
やがて見えた西〔成甫〕教授にお礼を述ぺると、教授はなにもいわず、すぐかたわらの電話機を取って、古畑〔種基〕教授を呼び出し、
「古畑君、ここに、正木弁護士が生首を持ってきたのだが、いまそちらに回すから、ちょっと見てやってくれたまえ。」
といいました。一度断わった古畑教授が……と、ないないあやぶんでいるわたしにはかまわず、西教授はN氏に、法医学教室へ持って行くよう命じました。
N氏のあとを追って古畑教授のへやに行くと、教授は、数日まえに、わたしの依傾を断わったときと同じ机のまえに、むずかしい顔で出てこられました。また断わられるのではないかと心配しましたが、教授はバケツのふたをあけるとすぐ、別室にいた助手らしい人を呼んで、
「これを見てやってくれたまえ。」
と命じました。このうさんくさい鑑定を、教授は自分ではやらないで、助手に任せたものと、わたしは考えました。わたしは、バケツのあとについて、奥の解剖室にはいりました。
講義口調で説明する古畑教授
ふたりの助手のほかにもうひとりいて、いずれも白衣を着ていました。そのバケツから取り出した生首を、洗面台のようなところで、いきなり水道の水を出して、洗い始めました。
わたしは、頭部にべっとりついていた血を洗い落としてしまったのでは、証拠がなくなってしまうのではないかと心配になりました。
きれいになった生首は、ガラス板の解剖台の上に載せられました。そして、助手が頭皮を開いているところへ古畑教授が来て、背広服のまま、のぞくようにして見ていました。やがて教授は、講義をするように声を張り上げて、
「左の耳の耳翼〈ジヨク〉のつけ根の後ろ上方、四センチのところに、下に、約鶏卵大の、皮下、薄層の出血あり、脳の右側頭部の全面にわたり、軟脳膜下の血液の充血、出血を伴う、掌大【たなごころだい】(おとなのてのひら大)、左の側頭部にも、ほぼ同様の軟脳膜下の出血部あり……」
と述べ始め、ひとりの助手が、それを筆録していました。
鑑定は、やはり古畑教授がやってくださったのです。わたしは当時、官憲側のだれに対しても疑い深くなっていました。ですから、その口述のままを、急いでわたしも書き取りました。教授がのちにそれを変更したばあいの反証にしようと考えたのです。しかし、その心配のないことがすぐわかりました。
教授のひとことに思わず歓声
二十分か三十分たって、口述が一段落したとき、教授は物静かな口調でいわれました。
「正木君、これは脳溢血ではなく、なぐり殺したものだよ。」
このひとことを聞いて、わたしは思わず、なにか歓声を発したように思います。どのような歓声をあげたか、いまは覚えていませんが、天にも登るここちというのは、このときのために用意されたことばのように思いました。
ついに目的を達したのです。一月二十四日以来、つぎからつぎへと、不条理にもてあそばていたわたしの無念は、いっきょに晴らされたのです。
古畑教授は、わたしの求めによって、翌日正午に渡してくださるという、つぎのような仮鑑定書のえんぴつ書きの草案をつくって見せてくださいました。
仮鑑定書
昭和十九年二月二日正木ひろし氏ノ持参サレタル頭部(既ニ切開シテアルモノ)一個ニ就テ鑑定スル事次ノ如シ
鑑定事項
一、脳溢血ノ証跡アリヤ
二、脳ニ異常アリヤ
三、アリトセバ如何ナル異常ナリヤ
右ノ界常ハ致命的ナリヤ等以上
鑑定
一、本件ノ脳ニハ脳溢血ノ証跡ナシ
二、本件ノ脳ニハ外力ニヨッテ惹起セラレタリト認ムベキ異常ヲ存ス
三、右異常ハ致命的タリ得ルモノトス
昭和十九年二月三日
東京帝国大学医学部法医学教室 教授 古畑種基
正木ひろし殿
但シ本書ハ目下作製中ノ鑑定書ノ一部ナリ 〈71~75ページ〉
この部分も、映画『首』では、かなり忠実に再現されている。そして、映画は、この場面のしばらくあとに、エンドマークとなる。
ところが原作を読むと、ここまでで、まだ四分の一強である(原作の本文は、267ページ)。このあとの複雑な展開については、原作によって確認していただくしかない。
正木ひろし『弁護士――私の人生を変えた首なし事件』(講談社現代新書、1964)に拠りながら、いわゆる「首なし事件」について紹介している。
本日は、その七回目。同書の第2章「こっそり首を切り取る」の第2節「なぐり殺したものだよ」の前半を引用する。
〈2〉 「なぐり殺したものだよ」
古畑君、ちょっと見てやってくれ
翌二月二日の午前九時半。N氏はすでにバケツを持って解剖学教室に出勤していました。
やがて見えた西〔成甫〕教授にお礼を述ぺると、教授はなにもいわず、すぐかたわらの電話機を取って、古畑〔種基〕教授を呼び出し、
「古畑君、ここに、正木弁護士が生首を持ってきたのだが、いまそちらに回すから、ちょっと見てやってくれたまえ。」
といいました。一度断わった古畑教授が……と、ないないあやぶんでいるわたしにはかまわず、西教授はN氏に、法医学教室へ持って行くよう命じました。
N氏のあとを追って古畑教授のへやに行くと、教授は、数日まえに、わたしの依傾を断わったときと同じ机のまえに、むずかしい顔で出てこられました。また断わられるのではないかと心配しましたが、教授はバケツのふたをあけるとすぐ、別室にいた助手らしい人を呼んで、
「これを見てやってくれたまえ。」
と命じました。このうさんくさい鑑定を、教授は自分ではやらないで、助手に任せたものと、わたしは考えました。わたしは、バケツのあとについて、奥の解剖室にはいりました。
講義口調で説明する古畑教授
ふたりの助手のほかにもうひとりいて、いずれも白衣を着ていました。そのバケツから取り出した生首を、洗面台のようなところで、いきなり水道の水を出して、洗い始めました。
わたしは、頭部にべっとりついていた血を洗い落としてしまったのでは、証拠がなくなってしまうのではないかと心配になりました。
きれいになった生首は、ガラス板の解剖台の上に載せられました。そして、助手が頭皮を開いているところへ古畑教授が来て、背広服のまま、のぞくようにして見ていました。やがて教授は、講義をするように声を張り上げて、
「左の耳の耳翼〈ジヨク〉のつけ根の後ろ上方、四センチのところに、下に、約鶏卵大の、皮下、薄層の出血あり、脳の右側頭部の全面にわたり、軟脳膜下の血液の充血、出血を伴う、掌大【たなごころだい】(おとなのてのひら大)、左の側頭部にも、ほぼ同様の軟脳膜下の出血部あり……」
と述べ始め、ひとりの助手が、それを筆録していました。
鑑定は、やはり古畑教授がやってくださったのです。わたしは当時、官憲側のだれに対しても疑い深くなっていました。ですから、その口述のままを、急いでわたしも書き取りました。教授がのちにそれを変更したばあいの反証にしようと考えたのです。しかし、その心配のないことがすぐわかりました。
教授のひとことに思わず歓声
二十分か三十分たって、口述が一段落したとき、教授は物静かな口調でいわれました。
「正木君、これは脳溢血ではなく、なぐり殺したものだよ。」
このひとことを聞いて、わたしは思わず、なにか歓声を発したように思います。どのような歓声をあげたか、いまは覚えていませんが、天にも登るここちというのは、このときのために用意されたことばのように思いました。
ついに目的を達したのです。一月二十四日以来、つぎからつぎへと、不条理にもてあそばていたわたしの無念は、いっきょに晴らされたのです。
古畑教授は、わたしの求めによって、翌日正午に渡してくださるという、つぎのような仮鑑定書のえんぴつ書きの草案をつくって見せてくださいました。
仮鑑定書
昭和十九年二月二日正木ひろし氏ノ持参サレタル頭部(既ニ切開シテアルモノ)一個ニ就テ鑑定スル事次ノ如シ
鑑定事項
一、脳溢血ノ証跡アリヤ
二、脳ニ異常アリヤ
三、アリトセバ如何ナル異常ナリヤ
右ノ界常ハ致命的ナリヤ等以上
鑑定
一、本件ノ脳ニハ脳溢血ノ証跡ナシ
二、本件ノ脳ニハ外力ニヨッテ惹起セラレタリト認ムベキ異常ヲ存ス
三、右異常ハ致命的タリ得ルモノトス
昭和十九年二月三日
東京帝国大学医学部法医学教室 教授 古畑種基
正木ひろし殿
但シ本書ハ目下作製中ノ鑑定書ノ一部ナリ 〈71~75ページ〉
この部分も、映画『首』では、かなり忠実に再現されている。そして、映画は、この場面のしばらくあとに、エンドマークとなる。
ところが原作を読むと、ここまでで、まだ四分の一強である(原作の本文は、267ページ)。このあとの複雑な展開については、原作によって確認していただくしかない。
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