礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

金メダルかじり事件と個人の尊厳

2021-08-19 01:23:40 | コラムと名言

◎金メダルかじり事件と個人の尊厳

 昨日のヤフーニュースで、‶「金メダルかじり」河村市長の心理に、決定的に欠けているモラルより深刻なもの〟という記事を読んだ(8月18日、12:01配信)。筆者は、経済評論家の加谷珪一(かや・けいいち)氏で、この記事は、もとは、ニューズウィーク日本版の記事だったらしい。その一部を、以下に引用する。

 東芝の株主総会不正介入疑惑、三菱電機の大規模な不正隠蔽など、このところ企業のモラルが問われる事態が頻発している。個人レベルでも河村たかし名古屋市長が、表敬訪問した五輪選手の金メダルをかじるという信じられない行為に及び批判が殺到した。これらは「モラルの欠如」という話で片付けられることが多いのだが、背景にはもっと深刻な問題がある。
 日本社会は以前から所有権の概念が希薄だといわれてきた。所有権というのは基本的人権の1つであり、自然権を根拠としているので憲法や法律よりも上位に位置する。
「これは誰のモノなのか」という概念は、民主主義と資本主義の運営にとって必須であり、最も先鋭的なロックに言わせれば「所有権の保全こそが統治の目的」(統治二論)となる。
【中略】
 河村氏のケースは「モラハラ」「セクハラ」と批判されており、全くそのとおりなのだが、他人の所有物(しかも金メダルという値段を付けられないほど価値の高い所有物)を、一方的に自分の口に入れるというのは、所有者が誰なのかという感覚を持つ人なら到底できない行為だろう。

「金メダルかじり」事件を、「所有権」という観点から論じており、その点において、同事件についての論評としては、凡百の論評と異なるユニークなものとなっている。
 加谷氏は、「日本社会は以前から所有権の概念が希薄だといわれてきた」と指摘している。はるか昔、川島武宜(たけよし)の名著『日本人の法意識』(岩波新書、一九六七)を読んだことを思い出した。この本には、明治・大正・昭和期における日本人に、「所有権」という概念が希薄だったことを示す事例が、あまた挙げられていた。加谷氏の記事を読んで、令和の今日においても、なお、日本人には、「所有権」という概念が定着していないことを思い知らされた。ちなみに、岩波新書『日本人の法意識』は、今日でも版を重ねている。
 所有権と言えば、映画『エネミー・オブ・アメリカ』(ブエナビスタ、一九九八)に興味深いシーンがあった。
 主人公のディーン(ウィル・スミス)は、妻カーラ(レジーナ・キング)のために、クリスマスプレゼントとして「派手な下着」を購入する。ところがディーンは、その直後に大事件に巻き込まれ、プレゼントを妻に渡す機会を失ったまま、家を出てしまう。久しぶりに家に戻ったディーンは、妻が、その下着を身につけていることに気づき、激怒する。プレゼント前なので、「それは、まだ僕の物だ」と、ディーンは言う。所有権は、まだ移転していないという論理である。妻カーラも、「悪かった」と言って、必死に謝っている。
 このシーンを見て、そんなことにこだわるディーンに違和感を抱いた日本人は、少なくなかっただろう。私も実は、そのうちのひとりだった。
 所有権の問題は、「個人の尊厳」と関わる重大な問題である。個人の所有権が軽視されるような社会では、個人の人格、個人の身体、さらには個人の生命さえも軽視される恐れがある。
 今回、加谷氏の記事を読み、日本社会における「個人の尊厳」ということについて、深く考えさせられたのである。

今日の名言 2021・8・19

◎それは、まだ僕の物だ

 映画『エネミー・オブ・アメリカ』で、主人公のディーンは、プレゼント前の下着を、妻が身につけているのを見て、このように言った。上記コラム参照。

*このブログの人気記事 2021・8・19(10位になぜか牧野富太郎)

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