礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

明治中期の土地国有論

2015-10-27 11:41:39 | コラムと名言

◎明治中期の土地国有論

 昨日、ふと、小野武夫の『地租改正史論』(大八洲出版株式会社、一九四八)を手にしたところ、明治中期の「土地国有論」に触れた箇所があった。しかも、この「土地国有論」は、伊藤博文の周囲の人「某氏」によって提出されたものだという。
 この「某氏」が誰なのか気になるが、今のところ、判断がつかない。博雅のご教示を乞う。以下は、前掲書の第一二章の全文(二三四~二三八ページ)。

 第十二章 明治中期に於ける「第二維新」の提出と土地国有論
 第二次地租改正後に至り興味ある議論の一つとして、「第二維新」の決行を慫慂して土地国有を勧むる者が出現した。蓋し第一次地租改正を終へた明治十四、五年頃は民権自由主義思想の激発期であつて、封建制度を送りたる後の日本社会は農村の地主乃至都市の資産家を背景として、自由民権論が盛んに唱へられてゐた。尤も当時思想界にはルソーの民約論などが輸入せられて社会主義思想が一部人士により唱へられてゐたけれども、土地国有の実現性など到底考へられなく、実際明治維新と共に一躍社会の表面に現はれたる資本家の政治力乃至経済力が支配的勢力を占めてゐたのであつた。蓋し資本主義躍進期たる明治前期の地租改正論に因みて〈チナミテ〉社会思想の一面として土地国有論の唱へられたことは注目に値する。
 明治二十三年〔一八九〇〕頃、伊藤博文の周囲の人某氏は土地国有を断行して、これを人民に貸与して借区税を徴し、之により一方に於て財政収入の増大を図ると共に、他方に於て小作人の生活を高めようと立案した。其の原本(明治二十二年に書かれた)「富国済貧方議」といふのが秘書類纂財政資料(下巻、三四四以下)に収められてゐる。それによると、『国庫ノ歳入金一億若千万円ヲ増加シ兼テ細民ノ負担ノ額殆ンド十ノ三四ヲ減免シ、其窮ヲ救フニ在リ』と冒頭し、一方に於て『将来国勢ヲ拡張シ、国力ヲ培養シ、富有ノ大業日新ノ盛徳ヲ成就スルノ期』は、明治の第二維新たる今日にあり、而もそれには国庫の充実を此際必要とする旨を説き、他方に於て『民間ノ実況ハ則チ民業萎靡〈イビ〉シテ振ハズ、細民ノ困窮一年ハ一年ヨリ其多数ヲ告グ、富民モ亦其影響ヲ免ルル能ハザルナリ』といふ事情を指摘し、このジレンマを如何にして解く可きかと云ふ問題を堤出ずると共に、此の解答として、『第二維新ノ組織』なるものを案出し、土地国有論を唱へてゐるのである。それには先づ、金額十六億円の地価公債証書を発布し、平均三歩の年利を附し、土地所有者に交附し土地を政府に収用する。政府はかくて収用せる土地に借区税を課し、民用土地現反別一千三百十六万五千九百三十八町歩に対し毎年金一億四千五百十九万四千四百二十九円四十銭の借区税を徴収する。それには、田に対して一反歩に付平均四円を課する。これは田地一反歩の収穫平均米二石、一石の価格金五円として、十分の四の率となる。これは一般の小作料が平均一石以上であるのに比較して甚だ低いと言はねばならぬ。畑は一反歩につき平均一円二十五銭を課する。此の場合、桑畑は我国第一の輸出品たる生糸の生産を奨励する意味なら半額の六十二銭五厘とする。宅地は一反歩平均五十円とし、塩田は一反歩平均三円五十銭、鉱泉地は一反歩四百円、池沼山林は一反歩平均五銭、山野原林は一反歩平均三銭、雑種地は一反歩平均五十銭とする。而して国家から土地を借り受ける権利ある者は、次の如き者に限定せられる。『第一、実際小作ノ労力三年以上ヲ経、時効アルモノ。第二、地価所有者ノ自家直接ニ之ヲ使用シ来リシモノ。第三、現在建造物ノ所有者。第四、其面積ニ対シ開墾発掘等ノ成績ヲ存スルモノ、又ハ動植物ノ生殖ヲ目的トシ多少ノ資本運用ヲ托セシモノ、其他一般産業ノ必要ニ関シ其使用ヲ恃ミタルモノ等之ニ類推ス。』以上の方法を実施すれば、現在の地租四千二百二十四万八千九百八十一円二十四銭九厘に比較して、一億二百九十四万五千四百四十八円十五銭一厘の収入増加となる。又他方に於て、小作人は従来の小作料に比較して十分の三、四を軽減されるであらう。かくて、『国庫富マザル可カラズ、貧民救ハザル可カラズ』との両目的を同時に達成し得ると云ふのである。併し以上の案については異論があらう。その第一は所有権を犯すことにより憲法に抵触しないかといふことである。併し、この場合、土地を無償で取上げるのではな公債を交付するのであるから、それは唯『名称ヲ変換』するにすぎない。第二に暴動が起きる虞〈オソレ〉があると思ふ人があるかも知れない。併し此の場合変革の対象となるのは少数の富民であるから、竹槍蓆旗〈ムシロバタ〉の危険はない。恰も〈アタカモ〉旧三百諸侯に公債を与へて土地人民を収用せると同一である。第三に、滞納の恐れなきに非ずと言ふかも知れない。併し本案では国庫収入増収となり、余裕が生ずるのあるから、かゝることを憂ふるに及ばない。のみならず、本案にして実施せられんか、次の如き積極的利益がある。第一に、小作人は小作料納入の煩琑〈ハンサ〉な手続を省かれ、小作人自ら精良なる米を造らんと努力し、土地を肥沃ならしめんと努力するに至るであらう。第二に、各地殖産興業の希望を有する者多きも、彼等は流動資本の欠乏に悩んでゐる。此際地主が土地の代りに公債証書を手にすることから、金融容易なる上に利子も低いから、此の点も彼等に利する所あるのであらう。かく小作人も地主も利するのである。
 以上は伊藤博文を取り巻く人々の中〈ウチ〉筆者不明某氏が、中央政府の一人として上局に具申した上地国有論の梗概であるが、此の筆者の立場の趣旨は土地を国有にして、財政収入の確保を図ると共に、小作人の生活を安定せんとするに在る。即ち土地を国有に移し、全国を若干の課税区に分ち、各区に対して使用料を課せんとするのである。此の使用料が国庫収入を賑やかにし、且つ又農村小作人を個人地主の誅求から救ふことが出来ると云ふのである。尚此の筆者は不動産たる土地が公債なる流動資本となりて、地主の手に入れば、地主は此の公債を各方面の新興産業に転換して商工業の発達を助くることになるであらうと説いてゐる。其の議論の是非は別として、当時駿々として発達の途に就いてゐた農村資本主義制度の動向の半面を指摘してゐると見れば興味が深いのである。

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