礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

終戦は御前会議決定でゆるぎないものである

2016-12-20 08:25:50 | コラムと名言

◎終戦は御前会議決定でゆるぎないものである

 上原文雄『ある憲兵の一生――「秘録浜松憲兵隊長の手記」』(三崎書房、一九七二)を紹介している。本日は、「悲愁敗戦」の章の冒頭、「玉音放送」の節(全文)を紹介してみよう。

 玉 音 放 送
 昭和二十年八月十五日、この日は朝から晴天であった。
 敵機の来襲も少く僅かに一機か二機のB二九が飛来すると、宣伝文を集束した大きな俵のようなものを投下して去るのであった。
 ラジオは正午に重大放送のあることを伝え、地区隊本部からは、全員集合し正装してこれを聞くようにとの達しもあった。
 いよいよ全国民に総決起をうながすものであろうと想像した。
 十一時三十分頃全員を集め、ラジオを調整して放送を待った。
 君が代奏楽のあと、玉音がとぎれとぎれではあったが、戦争終結を決意し、ポツダム宣言を受諾する旨が宣べられて、国軍国民の覚悟を諭されるものであった。
 一瞬沈然が続く。皆んなこれまで張りつめた気持で闘って来たことを想うと、つい涙がにじんで来た。
「暫らく休メ」と号令を残して、分隊長室に入った。外では部下の連中が漸く〈ヨウヤク〉さわぎ出した。
「とうとう負けたか、おれ達はどうなる」
「こんなことはうそだ、いまに又戦うという放送がある」
「軍隊はこんな放送を信じないであろう、きっと上陸する敵軍と戦うことになるであろう」
 と皆んな泣き面を硬直させていた。再び私は皆んなの前に出て
「ただ今の放送は戦争を終結する詔勅であったが、まだわれわれには、系統を通った達しはない。最後まで分隊は団結して、上司の命令を待つことにしよう。どんな状態になってもみんなが心を合せ一致した行動をとることが大切である。いまにきっと例によって、この放送の反響を報吿することになると思うから、皆んなそれぞれの分担によって、軍隊、官衛、一般の反響調査に出動せよ」
 その後静岡地区隊長からの達しがあって、終戦は御前会議決定でゆるぎないものであるが、憲兵は皇軍の武装解除から、占領軍の上陸まで本来の任務を遂行し、特に終戦を不服として詔勅撤回を迫り軍事行動に出るような部隊を内偵し、治安確保に全力を傾注せよとのことであった。
 引続いて占領軍の上陸前に処理すべき事項として、軍事警察関係以外の書類は全部焼却し、兵器装具はいつでも返納出来る準備をせよという指示もあった。再び全員を集めて、
「勅命は絶対である。有史以来始めての敗戦で、占領後の日本のこと、自分達の処分など考えると心も動揺するであろうが、御詔勅にもあるように、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、やり抜かねばならない。幸い浜松憲兵分隊は健在である。自分がここに居る限り一糸乱れない団結を以て任務を遂行し、将来物笑いにならぬよう心懸けてほしい。これからの一日一日を最後の御奉公と思って元気にやろうではないか」
 と訓示した。
 翌日になると、珍らしく友軍の戦闘機が飛来し上空を旋回しつつビラを撒いて飛び去った。
 拾ってみると、『天皇を護り撤底的に交戦を継続する。各地に部隊が烽起した』という意味のものであった。
 部下の中にも、このビラを見て
「それみよ」
 と活気付くものもあった。
 分隊に出入していた在郷軍人や市民も来られて、くやし泣きをして行く人も多かった。

 引用文中、下線部の「達し」(終戦は御前会議決定でゆるぎないものであるが、憲兵は皇軍の武装解除から、占領軍の上陸まで本来の任務を遂行し、特に終戦を不服として詔勅撤回を迫り軍事行動に出るような部隊を内偵し、治安確保に全力を傾注せよ)は、終戦放送の以前に、浜松憲兵分隊長に到来していた可能性がある。上原文雄は、おそらく、その事実を伏せて、この文章を書いているのであろう。
 参考までに、岡山県知事が、内務部長・警察部長と連名で、各地方事務所長・市長・警察署長に対して発した、一九四五年(昭和二〇)八月一四日の機密文書を引用しておく。

 特検機第二〇三号
現下諸情勢ニ対スル輿論〈ヨロン〉指導ニ関スル件
本日ノ廟議ニ基キ、現下ノ情勢ニ即応シ閣議ニ於テ大要左記ノ通リ輿論指導方針決定セルニ付、右ニ依リ措置シ遺憾ナキヲ期セラレ度〈タシ〉
(一) 一般的要綱
一 政府ハ事茲ニ〈コトココニ〉到ル止ムヲ得ザルノ状況ヲ公表シ、全国民ノ結束ト奮起トフ要望セルヲ以テ之ニ即応スル指導ヲナスコト
二 現下最大問題ハ聖慮ヲ奉戴シ飽クマデ国体ヲ護持シ、君民真ニ一体トナリ全国民一致結束シテ、臥薪嘗胆〈ガシンショウタン〉未曾有〈ミゾウ〉ノ艱難〈カンナン〉ニ堪ヘルコトヲ強調ルコト
三 此ノ未曾有ノ国難ヲ招来セルニ就テハ国民悉ク責任ヲ分チ、上陛下ニ対シ深キ陳謝ノ誠ヲ表シ奉ルト共ニ、皇国伝統ノ精神ヲ遺憾ナク発揮シテ、一切ノ事態ニ対処スルコトノ必要ナル旨ヲ強調スルコト
四 今後ノ難局ヲ打開スルタメニハ、戦争以上ノ苦難ニ堪ユル覚悟ヲ以テ、至難ト共ニ一路皇国興隆ニ邁進スベキヲ強調スルコト
五 時局ニ痛憤ノ余リ、同胞互ニ傷付ケ合ヒ又ハ経済的道徳的混乱ヲ惹起スルガ如キコトアラバ、皇国滅亡ニ至ルベキコトヲ強調スルコト
六 事茲ニ到レルニ付、一般的忿懣〈フンマン〉又ハ悲哀ハ之ヲ認ムルモ、廟議決定ノ方針ニ反スルモノ又ハ国内結束ヲ乱スガ如キハ不可ナリ
七 所謂戦争責任者追及ヲ論議シ直接行動ヲ示唆スル者、又ハ自暴自棄的言動ハ不可ナリ

 この文書(特検機第二〇三号)は、すでに、当ブログの二〇一二年一一月一九日のコラム「終戦を知って宮城前にひれ伏した人々をめぐって」で紹介済みである。
 憲兵関係諸機関に対しても、これに相当する「達し」が伝達されていた(おそらく一九四五年八月一一日以降)と見るべきであろう。

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