礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

上杉博士の天皇主権説は信仰的・宗教的

2024-04-09 02:01:29 | コラムと名言

◎上杉博士の天皇主権説は信仰的・宗教的

 鈴木安蔵著『明治憲法と新憲法』(世界書院、1947)の第二章から第二節「天皇機関説論争の経緯」を紹介している。本日は、その四回目。
「天皇機関説論争の経緯」は、「一」から「四」までの四節からなるが、そのうちの「二」を紹介しているところである。「二」の紹介としては、三回目。

 さきにも一言したやうに、国家主権説といふ点においては、我が美濃部〔達吉〕博士も〔穂積〕八束博士も本質的には同一である。美濃部博士は言ふ。
 「国家が一の権力団体であるといふことは、君主国も共和国も全く同様であつて、其の権力は国家といふ共同団体其れ自身に属して居るものと見るべきものであります。国家其れ自身が統治権の主体たるもので、君主国も民主国も此の点に於ては同様であります。」(「講話」四七頁)
 八束博士は、君主国と民主国との差を、國體の差なりとし、この差を国家権力、意思が何人によつて代表されるか、何人が有するか、何人の意思が国家権力を形成するかの相違に求めた。美濃部博士は、かゝる国家の有する権力、意思が発動するためには、その国家に諸機関が存在せねばならぬが、「この統治権を行ふ機関が異なるに依つて君主国民主国の政体の差が生ずる」と説明する。
 「国家の機関の中には、必ず或る一の機関が国家の最高の地位に在つて国家の総ての活動は皆此の最高機関に其の原動力を発する者がなければならぬ。人間に譬へて言はゞ恰も頭脳の如きもので、人間の各種の機関の活動は皆其の源を頭脳から発愛して居るのであります。此の如き国家の最高の地位に在る機関を、国家の最高機関といふので、通俗に主権者と言ひ慣はして居るのは、即ち此の最高機関の事を謂ふのに外ならぬのであります。」(「講話」二四~二五頁)
 かゝる最高統一者、決定者が一人であれば、君主国といひ、多数国民であれば君主国共和国であるといふのが美濃部博士の主張である。
 八束博士の君主主権説は、君主の意思が国家の意思を「代表」し、決定するとなすのであるが、その説明は、事実においては君主は国家内の最高地位にあつて、統治権を総攬〈ソウラン〉してゐるとなす美濃部博士の説明と、殆んど同一方面を辿り、なほ未だ科学的に素朴なる点で異なるものとの感を抱かずにゐられないのである。そしてさうした同じ説明に帰着するのは何ら偶然ではない。国家現象を実証的に考察すれば、その結論は、表現、用語例の差は別とするも、結局同一ないし略〈ホボ〉同一であるべきが科学の科学たるゆゑんだからである。
 上杉〔慎吉〕博士の国家即主権者の説明が、これに反して、如何に飛躍的な超論理的なものであるかは、先きの引用によつて明らかであらう。上杉博士は八束博士の後継者をもつて目せられてゐるが、その政治的見地、宗教的信条においては同一とするも、少なくとも国家観念、主権概念の基礎においては当時以上のごとき差異のあつたことを見逃してはならぬ。上杉博士は、より一層信仰的であり、宗教的である。上杉博士は、天皇主権説を徹底せしめんとする熱意の余り、科学においては区別さるべき知信を逆に合一せしめたやうである。されば上杉博士は、国家団体説、国家法人説、したがつてまた国家主権説は、ことごとく無差別的に「民主主義であります」(「講義」九一頁以下)とする。
 「欧羅巴人が国家は法律上の人格であると云ふのは、人民全体の団体であるとするのである。
 「統治権の総攬者と云ふものは、人民の役人である、使用人である。人民を代表して或る事柄をする所の特別の人間を指す事になつて居る、之れを彼等は学問上法人の機関と称して居る、夫れで彼等の説明に依ると、国家といふものは多数人の共同団体である、統治権―主権の主体持主は多数人の団体である、夫れは国家である、統治権の総攬者と云ふのは夫れと違つて、其の國體の機関として実際に於て統治権を実行する人を指すのである、斯う云ふ風に説明して居るのである、夫れであるから、彼等の君主、国王を統治権の総攬者と申しまするのは、夫れを以て直ちに国家であると申すのではなくして、君主、国王と云ふものは人民の家来である。人民の使用人、役人であると云ふ意味に於て、統治権の総攬者は国家の機関であると斯様に〈カヨウニ〉申すのであります」(「講義」一一七頁)。
 美濃部博士は、天皇が最高機関なりと言ふ際の機関なる語は、通俗の意味の道具とか使用人、役人といふ意味において用ゐられてゐるのでないことを繰り返へし弁明力説してゐるにかゝはらず、上杉博士の態度、論法、表現は、最後まで右に類するものであつた。【以下、次回】

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