礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

そんな中央公論社は今すぐにでも潰す(鈴木庫三)

2015-11-04 02:58:40 | コラムと名言

◎そんな中央公論社は今すぐにでも潰す(鈴木庫三)

 昨日の続きである。日本ジャーナリスト連盟編『言論弾圧史』(銀杏書房、一九四九)に、「出版弾圧史(昭和期)」という章がある(執筆・畑中繁雄)。昨日、その章の「編集権の強奪はこうして達成された」の節に含まれる「Ⅰ 情報局(前身内閣情報部)」の一部を紹介した。本日は、それに続く部分を紹介する(一〇一~一〇二ページ)。

 かゝる「情報局」の主宰する「編集者懇談会」の風景が、いかに愚劣なものであるかを示めす典型的な事例の一、二を摘記すれば、
《昭和十六年二月二十六日、情報局二課(出版関係所管)は、例によつて「懇談会」の名目により、中央公論社々長嶋中雄作〈シマナカ・ユウサク〉および発行雑誌「中央公論」の編集スタッフ全員の参集を求めた。当時、帝国劇場にあつた第三会議室において、主として第二課長大熊〔譲〕海軍大佐、情報官鈴木庫三〈クラゾウ〉少佐らは、同社の国策非協力を痛烈に叱責、自由主義的傾向の清算に基づく編集方針の根本的切り替えを強談〈ゴウダン〉した。これにたいし嶋中は鈴木少佐に向つて、「貴下たちは、命令さえ下せば、国民は思うように意に従うと考えておられるが、それは軍隊式の考え方であつて、言論指導とは、それほど単純なものではない。少くとも、その点に関するかぎりわれわれの方がくろうとである。だから、藉するに時日をもつてして、思想指導はむしろわれわれに任していたゞいた方がよい」と答えた。と、このとき鈴木少佐は満面に朱をそゝぎ、サーベルの鞆を掴んで、憤然立ち上り、「なにをいうか、そういう考えをもつている人間が出版界にまだたくさんいるから、いつまで経つても国民は国策にそつぽを向いているのだ。もともと自分は、出版はあくまで民営であるべき信念を有しているが、君らのような人間はとうてい許しがたい。君らは社内の後輩に向つても、いつも自由主義的方針を宣伝しているではないか。隠しても駄目だ、君らの足下の社員からそういう投書が自分の許に来ているのだ。そういう中央公論社は、たゞいまからでもぶつつぶしてみせる!」と絶叫しつゞけた。仁王立ちした少佐の形相〈ギョウソウ〉はもの凄く、四囲をへいげいした。かくて、その会の「懇談」はうやむやのうちにもの別れとなつてしまつた。
【一行あき】
 昭和十六年五月十六日、情報局第四部会議室における同様「懇談会」の席上、全雑誌は「来月より毎月十日までに、その編集プランと予定執筆者を事前に情報局に提出すること」を命ぜられているのである。
【一行あき】
 昭和十六年〔一九四一〕三月三十一日、「情報局」は非協力と見た各主要出版社に通達を発して、その社の発行図書雑誌の「購買読者カード」を提出するよう命令している。このことは、当局の監視の目がようやく、当時の「好ましからぬ」図書雑誌の読者層にまで及んできた事実として、とくに注目に値いしよう。しかも、その調査の結果読者の中には地方警察の圧迫を受けたものもあり、とくに陸軍においては、『改造』『中央公論』その他の非協力雑誌の読者だつたという理由だけで迫害をうけた事実すらあつた。》

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