礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

出版社および編集者個人の採点リスト

2015-11-03 09:01:32 | コラムと名言

◎出版社および編集者個人の採点リスト

 昨日の続きである。日本ジャーナリスト連盟編『言論弾圧史』(銀杏書房、一九四九)に、「出版弾圧史(昭和期)」という章がある(執筆・畑中繁雄)。本日は、その章の「編集権の強奪はこうして達成された」の節に含まれる「Ⅰ 情報局(前身内閣情報部)」の一部を紹介する(九九~一〇一ページ)。
 
 この内閣情報部(後に情報局)は、陸軍報道部や海軍報道部の前例にならつて、「雑誌、出版懇談会」の名目により、毎月一回ないし二回各出版社雑誌社の編集責任者(ときには社長、幹部)の参集を命じ、その席上、編集業務の上にいくたの干渉や掣肘〈セイチュウ〉を加えたのであつた。この種「懇談会」は、その後外務省情報部によつても行われ、さらに新しく設けられたり臨時に出来た国家主義諸団体、たとえば国民精精神総動員本部、大政翼賛会なども、あるいは公然とあるいは半公然のうちにこれにならつて、同様会合を通じて、言論機関をその宣伝活動に動員することを常套〈ジョウトウ〉の政策としたのである。
 戦局の深刻化に応じ、国内総動員態勢の一段の強化を目指して、昭和十五年〔一九四〇〕いわゆる「近衛新体制運動」が立案されるや、言論界に対してもいつそうの統制強化が要求され、名実ともにそういう「出版新体制」の総本部たるため、同年十二月、内閣情報部はその名称を「情報局」と改めると同時に、その組織もいつそう拡大強化され、五部十五課六百余名のスタッフを擁する独立の一大官庁に昇格するにいたつた。そうして、陸海軍および警保局図書課の所管事務を一元的に統合したうえ、以後敗戦後まで五年間にわたり、みずから国策の宣伝、対外思想戦の最高機関となり、内外言論侵略の文字どおり参謀本部となつたのである。
 情報局組織のこの拡大強化において、とくに注目すべきは、すでに世論指導の目的で局内に入りこんでいた陸海軍の現役将校が、局内における雑誌、出版関係の重要ポストをみずから完全占拠するにいたつたことである。しかして図書雑誌の検閲はもちろんのこと、編集プランの事前提示の強要、非協力執筆者の採択禁止の示達、天降り官製原稿の掲載強要などの弄策を通じて編集権のじうりんは、手先きたる官僚を使そうしつゝ結局においては、多くこれら現役箪人の意志に応じて強行されて行つたのである。さらに特記すべきは、前近代的ミリタリズムの国内宣伝と対外侵略政策に直接にしかもろこつに協力するか非協力であるかの程度に応じて、各出版社および各編集者個人についての採点リストまで作製したことであり、これらのリストは、後出版界の企業整備の上になお放治的手ごゝろを加うべき資料ともなつたであろうし、つゞいて編集者の大量検挙事件にも遠く糸を引くものであつた。【以下、次回】

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