礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

8月6日、呉線の坂駅で原爆の閃光を見る

2024-08-13 01:40:36 | コラムと名言

◎8月6日、呉線の坂駅で原爆の閃光を見る

 8月6日配信の読売新聞オンライン記事〝原爆投下の朝、寝坊し「助かってしまった」92歳男性〟(執筆・山下佳穂記者)を読んだ。
 同記事によれば、山口県周南市の折出真喜男さん(92)は、79年前の8月6日朝、広島市内の中学校に登校しようとしていたが、汽車に乗り遅れたために、原爆の被害を免れたという。以下、記事からの引用。

 79年前の8月6日。旧制修道中(広島市中区、現修道中・高)の2年生だった折出さんは、広島市中心部から約8キロ離れた広島県坂町〈サカチョウ〉の自宅から午前6時半の汽車で学校に向かう予定だったが、寝坊をした。
 午前8時15分。駅で汽車を待っていると、空にB29が見えた。朝の空襲警報はすでに解除されている。不思議に思い、眺めていると、次の瞬間、空いっぱいに黄色い閃光(せんこう)が広がり、爆発音が聞こえた。きのこ雲が広がるのが見えた。自宅に引き返すと、母のとめ代さんに「よく無事で帰ってきた」と出迎えられた。

 記事には書かれていなかったが、折出さんが通学に使っていた交通機関は、省線の呉線と広島の市電(広島電鉄)だったと思われる。呉線の乗車駅は、坂駅だったと思う。坂駅から下り列車に乗ると、四つめの駅が広島駅だった。なお、折出さんが乗車した駅は、呉線の小屋裏駅だった可能性もある。小屋裏駅から下り列車に乗ると、五つめの駅が広島駅だった(坂・矢野・海田市・向洋・広島)。
 当時の呉線の時刻表はハッキリしないが、東亜交通公社の『時刻表』十九年五号(1944年12月1日発行)に載っているものと、大きな違いはなかったと思われる。『時刻表』十九年五号(復刻版が出ている)を見ると、坂駅発下り広島行きには、6時36分発の907列車、7時51分発の909列車、8時56分発の911列車などがある。小屋裏駅から乗る場合は、907列車が6時27分発、909列車が7時41分発、911列車が8時44分発である。
 折出さんは、坂駅もしくは小屋裏駅から、907列車に乗ろうとしていたが、寝坊をしてしまったために、同列車に乗ることができず、そのあとの911列車を待っていたのであろう。
 記事から判断すると、小屋裏駅発7時41分、坂駅発7時51分の909列車は、1945年8月6日の時点では運行されていなかったようだ。仮に、その日、909列車が運行されていて、折出さんがそれに乗車できたとすると、同列車の広島駅着は8時18分なので、折出さんは、広島駅手前の909列車の車内で、原爆の被害を受けることになったろう。

*このブログの人気記事 2024・8・13(8位の土肥原賢二は久しぶり)

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