◎やっぱり負けたらしい(田辺聖子)
角川文庫に、『八月十五日と私』(1995)という一冊がある。五木寛之・井出孫六・伊藤ルイなど三十一人の方々の「八月十五日」体験が載っている。
このあと、しばらく、そのうち何人かの文章を紹介してみたい。本日は、田辺聖子(1928~2019)の「日本降伏」を紹介する。ただし、紹介するのは、その一部のみ。
日 本 降 伏 田 辺 聖 子
【前略】
八月十五日、何だか重大放送があるというので、私は家にいた。
学校工場で知り合いになった上村サンという、保健科の人が、前日に、『エスガイの子』 の感想文をもってきてくれた。見せて見せて、というので、私は見せたのだが、ちゃんと 終わりまで読んでくれたとみえて、しっかりした文章で批評を書いてくれていた。「説明 的になりすぎること」「王者エスガイの品格を出すために、一家の会話にも少し考慮を加 えてほしい」という堂々たる批評で、ほんとうにうなずけることばかり書いてくれていた。
私はその手紙を読み返しながら、正午の、「重大放送」を待っていた。父も母も、弟も 妹もいた。
生まれてはじめて聞く、天皇陛下の肉声が、雑音の多いラジオから流れた。
現人神【あらひとがみ】であられる陛下が、お声をラジオを通じて国民に聞かせられる!
ありうべからざる、異常事態である。
何ごとがおこったのか?
ただごとではない、と思った。
いよいよ日本の国は最後のどたん場へ来たのか。自分と一しょに玉砕してくれ。
そう、陛下はおっしゃるのにちがいない。本土決戦に突入してくれ。お前たちの命を私 にあずけてくれ。――共に死のう。
そう、おっしゃるのに違いない。弟のノボルも、力んでそういう。
むつかしい漢語のならんだ詔書を、陛下は棒読みで読んでいらっしゃる。
大本営発表のニュースのような、あるいは軍人談話のような力づよい、押しつけがまし い声ではなく、やさしい、力を抜いたお声である。そしてやや昂奮されている。それに、 へんな、聞きなれないアクセントである。
「おかしいなあ……」
と父はいった。
「降伏したみたいなこと、いうてはる」
「そんなはず、ないわよ!」
と私とノボルは思わずいった。
「本土決戦やれ、いうたはるねん!」
ノボルは父の言葉を遮った。
「まて。そやないような……」
「フシが、なさけなさそうですなあ」
と母も、父に同意した。
「戦局必ズシモ好転セズ世界ノ大勢亦【マタ】我ニ利アラズ」
という所は私にもわかった。
何か、へんである。一億玉砕のお勅語ではないらしい。「共同直言に応ずる」というよ うなことをいっていられるが、その共同宣言が、どういうものか前もってわかっていない のでさっぱり意味がつかめない。しかし、
「朕【チン】ハ時運ノ趨【オモム】ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以【モツ】テ万世【バンセイ】ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」
とあるので、やっぱり負けたらしいとわかった。
「降伏やなあ」
と父もいった。
「うーむ。負けたか。……全面降伏いう所やろうなあ」
「戦争おわりですか、そんならもう空襲もしまいですな、やれやれ」
母が夜のあけたような声でいったが、私はまだ本当と思えず呆然としている。
何ということだろう。本当と思えない。私は日記に書いた。
「我ら一億同胞胸に銘記すべき八月十五日、嗚呼【ああ】、帝国は無条件降伏を宣言したのである」
【以下、割愛】
当時の田辺聖子は、17歳で、樟蔭女子専門学校国語科に在学中だったという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます