◎文部省文法に妥協して叙述した(金田一春彦)
金田一春彦編『日本語動詞のアスペクト』から、高橋太郎執筆「解説 日本語動詞のアスペクト研究小史」を紹介している。本日は、その二回目で、〝金田一春彦1950 (1947)「国語動詞の一分類」,1955(1953)「日本語動詞のテンスとアスペクト」〟の項を紹介する。
金田一春彦1950 (1947)「国語動詞の一分類」,1955(1953)「日本語動詞のテンスとアスペクト」
金田一春彦1950「国語動詞の一分類」は,現代日本語の動詞をアスペクトの観点から,状態動詞,継続動詞,瞬間動詞,第四種の動詞の4種にわけたものであり,金田一1955「日本語動詞のテンスとアスペクト」は,現代日本語動詞のテンス,アスペクトにかかわる諸形式を,その形式のあらわすテンス・アスペクト的な意味の観点から整理し,システムとしてさしだしたものである。
この2論文は,松下〔大三郎〕,佐久間〔鼎〕の影響をつよくうけており,それらの延長上にあって,それらを集大成したといってよいだろう。
金田一1950のあたらしさは,第一章にかかれているように,第四種の動詞をたてたこと,全動詞をこの4種にふりわけたこと,アスペクト以外の諸形式のあらわれかたも,くわしく吟味したことなどである。とくに,全動詞をカバーするような分類をこころみたことは,単にアスペクト論だけでなく,動詞研究史のうえでも,雄大なこころみとして評価してよいだろう。
金田一1955も,アスペクトをあらわす諸形式を全体的なシステムとしてさしだしたことは,金田一1950と同様に評価されるべきであり,このことがその後の研究の出発点としてのやくわりを可能にしたのだとおもう。金田一1955のアスペクト研究上のあたらしさは,アスペクトを状態相のアスペクトと動作相のアスペクトにわけたこと,アスペクトを徹底的にテンスとクロスするものとしておしだしたことである。このことによって,佐久間の提出したアスペクト諸形式は,全体的なシステムのなかへおさまることになった。
金田一1950 における問題のひとつは,第二種の動詞(「――ている」をつけると,その動作が進行中であることをあらわす)と,第三種の動詞の励詞(「ている」をつけると,その動作・作用が終ってその結果が残存していることをあらわす)との対立をどのようにとらえるかということである。「第六章 本論文の再検討」にかかれているように,金田一は,これを<〔二〕継続的な動作をわすもの←→〔三〕瞬間的な動作を表わすもの>とするか,<〔乙〕状態の一時的な変化を表わすもの←→〔丙〕状態の永続的な変化を表すもの>とするかを検討したが,けっきょく未解決のままのこすことになった。この2類の対立の問題は,のちに藤井〔正〕1966が十字分類としてとらえることによって解決したものであるが,金田一1950がそれを同一の対立のふたつのとらえかたとみたことは,金田一1955にもひきつがれ、これが関係するところにいくつかのあやまりがみられる。たとえば,「死につつある」を将然態としたのは,瞬間というものを変化の瞬間という絶対的瞬間(ながさゼロの瞬間)としてしかとらえられなかったからであろう。
もうひとつの問題は,ひとつの動詞で,ふたつの種類にまたがるものがひじょうに多いことである。このことは,第一の問題とともに,単語のカテゴリカルな性格と語い的意味の関係という理論上の問題にかかわることであるが,それについては,あとでのべる。
金田一1955の問題は,これが意味の分類であって,形態の分類でないことである。金田一1955は,松下,小林〔好日〕のあつかい,佐久間の出発点となった事象の結構のかんがえかたをうけついで,アスペクト的な意味に対して名づけをおこない,形態のことなるものが同一のグループにいれられており,この点で宮田〔幸一〕1948と対立する。金田一1955が「~ている」と「~たところだ」や,「~てしまう」と「~おわる」などをそれぞれ意味の点からいっしょにしたのは,金田一1955には,まだ形態論の視点がなかったからだろう。このことは,金田一1950が4類の動詞がテンス・アスペクト以外でどのようにあらわれるかをみたときの方法とも関連する。そこでは,いわゆる活用形(第三章)や助詞,助動詞(第四章)が考察のさいの規準になっていて,動詞のカテゴリーという観点はない。
いわゆる助動詞を単語とみとめるかぎり,日本語の動詞の形態論は成立しない。宮田はこれを否定することによって,形態論の視点をさしだした。金田一は,これをさけてとおるために,意味のほうからアスペクト論に接近した。宮田と金田一のちがいは,そこにあるだろう。金田一1955のそえがきの最後の一文は意味ふかいものがある。
《また,「た」「う」「よう」の類を独立の単語,すなわち,一種の助動詞と称している類は,私の素志ではないが,かりに文部省文法の行き方に妥協して叙述した。》
金田一1950,1955の研究のすすめかたが実証的でないこともひとつの問題で,そのために,ところどころあやまりやぬけおちがみられる。しかし,この2論文が1950〜1955年という時期にでたことによってはたした役わりをかんがえると,この欠点より,はやく完成したことの意義のほうをかうべきなのかもしれない。
タイトル中に、1955(1953)「日本語動詞のテンスとアスペクト」とある。この(1953)は、論文脱稿の年を示していると思われる(金田一1955の末尾に、脱稿の時期に言及した付記がある)。