◎権力はなくても支配は出来る(きだ みのる)
きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その六回目で、「40 権力はなくても支配は出来ることについて」の、最初の部分と最後の部分を引いてみることにする。
私の部落を纏めてゐるのは、タムラ先生と木崎老人。タムラ先生も見たところ六十を超えてゐる。二人とも揃つて高血圧患者で中風〈チュウブ〉を患つてゐる。だから二人とも何か用があると機械人形を想はせるやうな歩き振りで、長さ一丁の部落の往還を歩いてゐる。
去年の秋のある朝、木崎長老は少しばかりの面積をうなつてゐた。おこう姐さんが通り掛る。
――おぢいさんよ。ふんなこたあ家の衆にやらせればええぢやねえかよお。
長老は腰を伸し鍬〈クワ〉に体をもたせかけるやうにして答へる。
――いや、大根畑は未だ未だ他人委【まか】せには出来ねえ。
実際木崎長老は大根が好きだし、またこの老人の作つた大根は部落中で一番柔かく甘いのである。彼はよく人にかう云ふのだ。
――大根くらゐうまいものはありませんぜ。香【かう】の物【もの】にしてよし、煮てもよし、柔かくてうまくて、それに風呂吹〈フロフキ〉にしで山椒味噌で食つたら、いやこれに敵ふ〈カナウ〉ものはないでさ。
で木崎長老は朝の光の中で、畑をうない、大根に滋味を増してくれる小糠〈コヌカ〉も十分に撒いて、はてこれで今年もうまい大根が出来るぞともう舌の先でそのうまさを味つてゐた。
明くる日から長老は朝一回づつ杖をつきながらこの畑を検分してゐた。三日、五日たつ。しかし一向に芽の出る様子は見えない。
【中略】
老人政治に依る部落の平和は終戦直前に破れた。といふのは、キザキ長老がその長寿を終り、タムラ長老は失語症に侵されて廃人となつたからである。今日では部落はギダ、サダ、ヨシの三英雄の勢力競覇の巷となつて、不和と嫉妬とが部落の空気を毒してゐる。私はある懐しさを持つてイヴト〔Yvetot〕の王さまの治下に匹敵するやうな二長老執政の時代を回想してゐる。
最後のところを読んで、この話が戦中の話であったことがわかる。「去年の秋」という言葉からすると、木崎老人が畑を「うなつてゐた」のは、昭和一九年の秋、同老人が長寿を終えたのは昭和二〇年の夏で、きだがこの文章を書いたのは(最初に発表したのは)昭和二〇年のことだったのだろう。
念のために言うが、「うなつてゐた」は「唸っていた」ではない、「耡っていた」である(アクセントも違う)。「唸って」の終止形は「唸る」、「耡って」の終止形は「耡う」である。「うなう」は、「畝(うね)を作る、たがやす」の意味である。しばらくあとに、「畑をうない」とあるのを確認されたい。