◎衷心から喜ばしく思う(金田一春彦)
先日、神保町の古書会館の前を通りかかったところ、古書展が開催されていたので覗いてみた。本当に久しぶりの古書展だった。コロナの影響で、二〇二一年の一年間は、たしか一度も、古書展に足を運ばなかったと思う。
さて、本日は、その日、買い求めた本を紹介してみよう。金田一春彦編『日本語動詞のアスペクト』(むぎ書房)、初版は一九七六年五月だが、入手したのは、一九八八年二月発行の第五刷。定価は三七〇〇円、古書価は一五〇円だった。
その「序」は、次の通り。なお本書は、左開き、ヨコ組みである。
序
高橋太郎氏と麦書房の新川忠氏のお骨折りで,日本語のアスペクトに関する論文集がまとめられる。嬉しい話である。
私の「国語動詞の一分類」はかつて雑誌『国語と国文学』に投稿し,掲載に値せずとして手もとに戻って来た論文だった。もっとも編集委員であった時枝誠記〈トキエダ・モトキ〉博士は,ただつっ返してもと思われたか,本文のうちから30条ばかり不審の箇条を問い正して来られた。今思うと,これについて納得の行くような説明があればという博士の御好意である。それを読んでみると,「意志動詞とは何のことか」というような箇条がある。今出ている『日本語学校論集』創刊号〔一九七四〕の吉川武時〈ヨシカワ・タケトキ〉氏の「日本語の動詞に関する一考察」などを読んでいると,夢みたいな話である。が,なるほど当時時枝博士が勉強された山田〔孝雄〕文法や橋本〔進吉〕文法には,そういう名前の動詞は見えなかったであろう。が,私にすると,そういうことをくどくど説明していたのでは,ただでさえ長ったらしい論文が枝葉のところまで分量がさらにかさんでしまう。戸惑っている矢先,雑誌『言語研究』から何か書かないかと誘いがあったのを幸い,そのままそっちへ発表してしまったものだった。
もう一つの私の原稿「日本語動詞のテンスとアスペクト」も書いてからさっぱり自信がもてなかった。そこで学界の雑誌には発表しかねて,勤務先の大学〔名古屋大学〕の紀要でこっそり活字化したものだった。今,高橋氏から,その後の各位の研究の出発点になった仕事だと言われると,まことにおもはゆい。嬉しいと同時にちょっぴり恐ろしい気もする。
そんな風であるから,ここに載った鈴木重幸〈シゲユキ〉・藤井正〈タダシ〉・高橋太郎・吉川武時の諸氏の,私の影響を受けて書かれたと言う労作は,一つ一つ血を分けた子どもたちを見るような愛情を感じる諸篇である。ことにそれがいずれも私のものよりも遥かにすぐれたしっかりした考察であって,学界で高く評価されているのを見るとき,自分の子どもたちがそろってしっかりして世の中へ出て行くのを見る老いた親の心境で,嬉しさが胸にあふれる。ほんとうに,皆さんよくりっぱな研究をしてくださった。
ところでさっき私は自分の論文の受難を述べたが,考えてみると,諸氏の論文も今まで陽の当らぬ場所に発表されたものだった。鈴木氏のもの,藤井氏のもの,高橋氏のもの,いずれも謄写版刷りで,何部も世には出なかったものである。吉川氏のものも,メルボルンのモナシュ〔Monash〕大学の紀要にのって,一部の人にはその価値を認められたものの,国内の研究者一般の目にとまるような形では公刊されることなく,今日に至ったものである。親が甲斐性なしだと,子どもたちもみんな苦労するのは生きた人間界のことばかりではない。
そういうことから,私はこの本の出版を衷心から喜ばしく思う。そうしてこの本を企画し,実現に力を尽された高橋太郎氏と,休日も返上して鋭意 編集の仕事に専心された新川忠氏に,厚く御礼申し上げる。
レンギョウや水面近き遊魚見ゆ
昭和51年3月7日 金田一春彦
「嬉しい話」「嬉しいと同時に」「嬉しさが胸にあふれる」といった言葉が並んでいる。よほど金田一は、この本の出版が嬉しかったのだろう。金田一春彦(きんだいち・はるひこ、一九一三~二〇〇四)は言語学者、国語学者で、この本が刊行された当時は、上智大学教授。
金田一は、戦中の一九四五年(昭和二〇)二月、東大言語学研究室会で、「国語動詞の一分類」の草稿にもとづいた発表をおこない、戦後の一九四五年(昭和二〇)一一月には、言語文化研究所でも同じ発表をおこなった。その後、その草稿に修訂を施し、一九四七年(昭和二二)七月には、「改訂稿」を作った。『国語と国文学』に投稿し、掲載に値せずとされたのは、この一九四七年改訂稿だったと思われる。
『国語と国文学』というのは、東京大学国語国文学会が編集している学術誌である。金田一春彦は、一九三七年(昭和一二)に東京帝国大学文学部国文学科を卒業し、同年、東京帝国大学大学院に進んだ(大学院は出ていないもよう)。一九四七年当時は、時枝誠記の世話で、東大の講師を務めていた。その金田一の論文が、東京大学国語国文学会から「掲載に値せず」とされたのである。本人にとっては、かなりのショックだったに違いない。その後、同論文は、日本言語学会発行『言語研究』第一五号(一九五〇年四月)に掲載された。ちなみに、この論文が掲載されたとき、金田一は国立国語研究所の所員だった。
一九五三年に金田一は、名古屋大学助教授となった。論文「日本語動詞のテンスとアスペクト」が、名古屋大学文学部編『名古屋大学文学部研究論集』第一〇号(一九五五年三月)に掲載された。本人は、「こっそり活字化した」と言っている。
金田一は、東京大学教授を目指していたという。しかし時枝誠記は、一九五九年三月、東大国語学の後継者として、金田一ではなく松村明を選んだ。失意の金田一は、同年四月、東京外国語大学助教授となった(ウィキペディア「金田一春彦」)。
金田一春彦編『日本語動詞のアスペクト』は、「国語動詞の一分類」「日本語動詞のテンスとアスペクト」の二論文を収録している。金田一春彦にとって、このふたつの論文は、苦い思い出が詰まったものだった。この本の出版は、「嬉しい話」であると同時に、さまざまな感慨をともなうものであったに違いない。