◎親が甲斐性なしだと子も苦労する(金田一春彦)
金田一春彦は、『日本語動詞のアスペクト』(むぎ書房、一九七六年五月初版)の「序」で、「親が甲斐性なしだと,子どもたちもみんな苦労する」と述べている。自分が東京大学教授になれず、傍系を歩むことになったため、自分の教え子にも苦労をかけてしまったと言いたかったのであろう。
いつだったか、東京新聞に、金田一春彦の自伝が連載されたことがあった。若き日の苦悩を赤裸々に告白しており、後世に残る傑作だと思った。また、この高名な学者が歩んできた道が、苦労の連続だったことも、これを読んで初めて知った。
ところで、『日本語動詞のアスペクト』の目次は、次のようになっている。
日本語動詞のアスペクト 目次
序 金田一春彦
国語動詞の一分類 金田一春彦
日本語動詞のテンスとアスペクト 金田一春彦
日本語の動詞のすがた(アスペクト)について
――~スルの形と~シテイルの形 鈴木重幸
日本語の動詞のとき(テンス)とすがた(アスペクト)
――~シタと~シテイタ 鈴木重幸
「動詞+ている」の意味 藤并正
すがたともくろみ 高橋太郎
現代日本語動詞のアスペクトの研究 吉川武時
解説 日本語動詞のアスペクト研究小史 高橋太郎
本日は、金田一春彦の論文「国語動詞の一分類」(一九五〇)のうち、「はしがき」を紹介してみたい。
は し が き
中華語の「我明白」を日本語に訳すと,「私は分ります」であり,中華語の「我知道」を日本語に訳すと,「私は知っています」である。「私は知っています」の代りに「私は知ります」といったら如何にも変であり,「私は分ります」の代りに「私は分っています」と言ったら威張っているように感じる。これは我々日本人にとっては極く明らかなことであるが,然らば「知る」も「分る」も同じような意味の語であるのに,何故このようなちがいが出て来るのか,と外国人に聞かれたらその答えは必ずしも容易ではない。小稿は,中華人の留学生にこの問題をどう教えようかと苦しんでいるうちに考えついたところをまとめて見たものであるが,未熟な考察ゆえ,私には分っているつもりでも,一向分っていないところがあるかも知れません。
この「はしがき」で金田一は、「である」体と「ですます」体を混用している。これは、学術論文としては異例なことである。なお、「である」体と「ですます」体の混用は、このあとの本文でも確認できる。