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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新橋・東京間=乗車賃5銭+急行料75銭

2022-02-27 03:06:28 | コラムと名言

◎新橋・東京間=乗車賃5銭+急行料75銭

 下村作二郎の「汽車の旅と電車の旅」というエッセイのコピーが出てきた。『旅と伝説』(通巻四八号、一九三一年一二月)に載っていたものである。昭和初年の鉄道事情を知ることができる、貴重な文献である。
 本日以降、これを紹介してみたい。筆者の下村作二郎は、日本画家で、こけし蒐集家としても知られていたという。エッセイ中に、三葉のスケッチと一葉の写真があるが(ブログでは省略)、いずれも筆者によるものと思われる。

     汽車の旅と電車の旅    下 村 作 二 郎

 現代日本の内地旅行には、汽車、汽船、自動車、飛行機など、スピート本意の、人間運搬用機は、全く完備してゐる、が右の中で御手軽とスピート、古典的と安全率、その上にいろんな趣味性の含まれてゐて、又それを満契する上について、最も可能性を、具へてゐるものを挙げると、先づ汽車旅行!
 然し汽船の御厄介に、ならなければ、行けない所は、自然別として、その他の方面は、成る可く汽車便を、利用したいと、僕だけは思つてゐる、けれども汽車以外のものゝみに依らなければ、行けない所も、沢山にあるのだから、希望通りの乗ものゝみで目的を達するのは、不可能である事は申すまでもない。
 さてその乗物のスピート化は、旅行の目的の種類に依つては、まことに便利重宝なものだが、或目的、即ち時間を問題としない旅行の場合は、それがために、返つて自分の欲する目的も、超スピートで飛ばされて、後で悲観の浮身を、みる場合も、ないとは申されない、とは、そゝつかしい不注意の結果、失敗をした僕の告白!
 が兎に角〈トニカク〉スピートを生命と仰がない旅行の場合、汽車に乗込んで、思つた座席に、落ついて発車を待つてゐる時、重々しいシヨツクについで、徐ろ〈オモムロ〉に動き出す、その瞬間の気持は! 家を出てから、その時始めて、心気こゝに一転、晴麗〈セイレイ〉として甦る、そして車中を見渡すと、発車前に交々〈コモゴモ〉展開されてゐた、もろもろの社会相は、プラツトホームへ、忘れて来た如く、皆一様に、ノンビリとして、平和な気分が車中に、満ちて居る様にも見える、けれども多数の乗客だ、多少共に、喜怒哀楽の情塊は、お持参に及ばれてゐる筈だが、何れもドライアイスに包んで、どつかへ秘め込んで居るらしい。
 袖摺合ふのも多少の縁、例へそれが僅かの時間で、あるにしても、平和な空気に包まれながら、お互ひに大自然の懐〈フトコロ〉に、擁せられながら徐ろに旅をつゞけて行く事は、それはいくら短距離の行程でも、汽車に依つてこそ、より多く味はへることではなからうか、処で、まれにしか放程につく事の出来ない境遇にある僕は、或日電車に乗るつもりで、新橋駅へ行つた、処がホームへ入つた汽車を見て急に乗つてみたくなり、三、四分間の旅行気分を、車中に味ひながら、涼しい顔で東京駅へ下りたまではよかつたが、乗つた列車が上りの急行!
 新橋――東京駅間――乗車賃五銭+急行料七五銭=八〇銭也
の支払命令を頂戴した、お気の毒ですが規則ですから、あしからず、テナ同情のある御挨拶、何んだかホントの様な、夢の様な気持で駅を出たが、近所の簡易土産物店で、ワサビづけを買つて、夢の旅の延長を自宅まで持越した事があつた、など、こんなお芽出度い話の、安売は出来ないのだが時節がら特別に…… 
 さて電車では、前に申した如く汽車に乗つた時の様な気分の落着きは味へない、それは行程に長短の差のあるのも、原因の一つだが、例へ玄関とお勝手口程の、短距離にある、新橋東京駅間で、両者を比較してみても、大変に異ふ〈チガウ〉様だ、そして少し長距雄を走る場合、電車中で困ることの一つはWCの落つきのよろしくない事! あまり落ついてゐる場所でもないが!、幸これは、だれの目にも、つかない場所だから始末はよいが、それにしても、あの別天地で恰も〈アタカモ〉、震源地の上に居る様な、恰好をせねばならない、自分のお姿を、客観的に想つてみても、いさゝか愛想がつきさうだ。
 飛行機には、幸にして、乗つてみたことがない、空を飛んで行かねばならない程火急を要する不幸な旅に、迫られた事は、未だ嘗てなかつたから、そして僕達の乗物となるまでには、未だよほどの開きがある様だ。しかし飛行機に乗る人が強ち〈アナガチ〉不幸であるといふのではない、トンボの様に、結婚式やら、新婚旅行やらを、空中に於て、挙げさせられる、お芽出度い〈オメデタイ〉方々もあるのだから。
 さて、本誌〔一九三一年〕一月号に於て、漫感を並べ述べた、伊勢の旅へ去る九月の下旬に再び出られる機会に恵まれたので、前回の漫感を補ふ意味で、こゝに再びより以上の愚感を述べて、御叱正を希ふ次第である。【以下、次回】

 漫談調の軽薄な文体で、書き写していて、形容しがたい違和感がある。しかし当時は、こういった文章も、編集者や読者に、喜ばれていたのかもしれない。

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