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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

なにぶんの命あるまでその職をとるように(昭和天皇)

2022-02-06 00:30:12 | コラムと名言

◎なにぶんの命あるまでその職をとるように(昭和天皇)

 岡田啓介述『岡田啓介回顧録』から、第八章「二・二六事件の突発」を紹介している。本日は、その九回目。

     感 激 の 拝 謁
 拝謁は御学問所で賜わった。陛下は、
 『よかった』
 と、ありがたいお言葉を下さった。わたしは、こんどの不始末を思うにつけても、申し上げる言葉とてもなく、直立したまま、涙のにじみ出るのをおさえきれなかった。陛下はわたしのことを案じていて下さった。生きてお目通りを願い出たわたしを御覧になって、たいへんお喜びの御様子である。なんのおしかりもないありがたさに恐懼【きようく】のほかはなかったが、その間約三分、つつしんで御前を引き下がった。あとで広幡さん〔広幡忠隆侍従次長〕が迫水〔久常〕を呼んで言うことに『陛下がこう仰せられた。岡田は非常に恐縮して興奮しているようだ。周囲のものが、よく気をつけて、考えちがいのことをさせぬように……とのことであったから、十分注意してくれ』と……。
 御前を引き下がって、閣僚の集まっているへやにはいると、ずいぶん異様な空気だったよ。あるものは無事でいてよかったという顔をしている。当時の一部の気分を反映して、どうして生きておるのかといった表情を浮かべている人もいる。
 わたしは、ただ黙然とすわっていた。人がどう思おうと、それはめいめいの勝手である。自分はただ自分の考えにしたがっておればいい。話はもどるが、後藤は首相の臨時代理になると、まもなく各閣僚の辞表をとりまとめて奉呈してあった。こうなればわたしとして一刻も早く後継内閣に、あとの事件処理をまかすべきであるので、ふたたび拝謁を願いでた。
 このとき陛下には、『なにぶんの命〈メイ〉あるまでその職をとるように』とのおさた〔御沙汰〕があった。わたしはこれを拝して、閣議の席にかえり、この旨をみんなに話すと、また異論が出た。というのは、すでに後藤という首相代理がおり、同時にわたしもおる。『その職をとるように』とのおさたはだれが拝したことになるか。わたしが首相なんだから、わたしが拝したことになるという意見もあれば、そうでないとする見解もあって、議論は果てしがない。
 ついに御諚【ごじよう】のおもむきを広幡さんに確かめてもらうことにした。その結果は『陛下の御諚は岡田は総理大臣であるから、岡田に政務を見よ、とのことであります』ということだった。これで、すべてははっきりして、後藤の臨時代理は解任された。その夜は、わたしも閣僚といっしょに宮内省で明かしたが、陛下の御信任を全うすることも出来ず、こうした不始末に終わったことは、なんとしても残念である。
 後に聞くところによると、陸下は、途中に危険なきように参内せしめよ、と仰せられたそうである。いつかはまたお役に立つこともあるであろうと、わたしは考え、このことは絶えずわたしの念頭を去らなかった。後に太平洋戦争が起り、東京が爆撃されるようになって から、疎開をすすめるものもいたが、わたしは陛下が東京においでになる間は、東京にいようと心に決めていた。
 同事件で非命に倒れた斎藤実さんが、存命中にわたしにいった言葉で、感銘を受けた一節 がある。それはわたしの組閣前だったと記憶しているが、ある日、わたしをその私邸に呼んで、こんな話をした。宮内省を新築するとき、なにか事件が起こった折に陛下の御身辺をお護りするため御避難所を設けようとの要求を陸軍がもってきたが、自分は反対した。そのわけは……軍の青年将校が動くときには必ずへんなうわさがつきまとう。すなわち陛下は平和主義者であらせられて思うようにならぬところか廃位をはかるうんぬんという容易ならぬことが心なきものの口に上る。これは非常に危険である。御避難所をつくることは、それがそのまま御監禁所となるおそれもある。君も十分に注意してくれ……と、こういう話であった。
 まことに斎藤さんの思慮の深いことには感服のほかはなかった。二・二六事件に際しては、陛下は明らかにこれを反乱として鎮定をお命じになったのである。この御聖断によっても、陛下がいつもどのようなお考えをもっておいでになられたかをうかがい知ることが出来よう。【以下、次回】

 文中に、「陛下の御信任を全うすることも出来ず、こうした不始末に終わったことは、なんとしても残念である。」というところがある。岡田啓介が総理大臣に復帰することに対して、閣僚の中に異を唱える者があった。そのために岡田は、広幡侍従次長を介して、御沙汰の趣旨を確認するという手続きを取らざるを得なかった。
 これらのことを岡田は、「陛下の御信任を全うすること」ができなかった「不始末」として捉えたのである。

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