◎家永三郎さんと山折哲雄さんの共通項
昨日の続きである。一九七一年(昭和四六)四月、山折哲雄氏は、東京教育大学の家永三郎教授を訪ねた。ほとんど書籍が運び出され、がらんとした研究室にいた家永三郎教授は、「いま、私は親鸞の心境になったような気がしています」と語ったという。
ここで、家永教授が「親鸞」の名前を出したのは、山折氏が『人間蓮如』の著者であったからであろう。もともと、この『人間蓮如』という本が、山折氏と家永教授を結び付けたのである。家永教授が、浄土真宗の門徒であったかどうかは知らないが、親鸞や蓮如、あるいは浄土真宗に関心を抱いていたことは事実であろう。だからこそ、山折氏の著書『人間蓮如』に注目し、その著者を非常勤講師に招いたのだと思う。ちなみに、三省堂選書に『続・親鸞を語る』(一九八〇)という一冊がある。私は、読んだことはないが、この著者は、家永三郎・古田武彦・田村芳朗・山折哲雄・松野純孝の五氏であるという。
これは偶然の一致とは思えないのだが、家永三郎さんと山折哲雄氏さんとの間には、共通するところ多いようだ。主要な関心領域は、おふたりとも、歴史・宗教・民俗・芸能である。また、風貌までが似ているような気がする。
私は学生時代、家永三郎教授の授業を受講しなかったが、大学の構内では、何度かお見かけしたことがある。間近でその風貌に接したのは、一度きりである。
年月などの記憶はないが、たしか「不当判決」の直後の集会であった。参加者を前にした家永さんは、「今の心境はこれです」と言って、短歌をしたためた短冊を取り出した。叫ぶようにその短歌を詠み上げるや、短冊の表が参加者に見えるようにして、それをゆっくりと左右に振ったものである。今、その短歌を思い出すことはできないが、たしか最後は、「我は闘ふ」だったと記憶する。最前列に座って、その姿を見上げていた私は、「やるなあ」と思った。「かなりファナティックな人だなあ」とも思った。
この集会の際、司会者がフロアからの発言を求めた。最初に手を挙げたのは、前から四、五列目のところに座っていた、いかにも教養がありそうな初老の紳士だった。紳士は、「コザイという者です」と言って話しはじめた。思わず振り返った。哲学者の古在由重〈コザイ・ヨシシゲ〉氏であった。【この話、続く】
*このブログの人気記事 2015・2・6