◎家永三郎さんと山折哲雄さんの相違点
昨日は、家永三郎さんと山折哲雄氏さんの共通点について触れたので、本日は、その相違点について、考えるところを述べてみよう。
結論から言えば、家永三郎さんは「学者」であり、山折哲雄さんは「思想家」であると思う。
家永さんは、これと思ったテーマを選んでは、手がたい研究をまとめるのを得意とした。『上代倭絵全史』(高桐書院、一九四六)、『美濃部達吉の思想史的研究』(岩波書店、一九六四)、『猿楽能の思想史的考察』(法政大学出版局、一九八〇)などは、そうした、いかにも家永さんらしい研究であると見てよいだろう。また、家永さんは、東洋文庫『大津事件日誌』(平凡社、一九七一)、日本思想体系『律令』(岩波書店、一九八二)など、史料の校訂でも、多くの業績を残している。
一方、山折さんは、専門的研究や史料校訂の面では、それほど目立った業績を残していない。むしろ、広い視野に立ち、独自の発想に基づいて、日本人の思想や宗教について論ずるのを得意とされている。著書には、一般の読者を意識しながら、文化、宗教、思想を論じた興味深い読み物が多い。今月三日に採り上げた『日本の「宗教」はどこへいくのか』(角川選書、二〇一一)も、そうした、いかにも山折さんらしい著書である。ウィキペディアには、「日文研教授になった時期より評論家としての活動が多くなり、それ以後は一般向けの著述が多い」とある。ちなみに、山折さんが、日文研(国際日本文化研究センター)の教授に就任されたのは、一九八八年(昭和六三)である。
最初に、家永さんは「学者」、山折さんは「思想家」と位置づけた。これは言い換えれば、家永さんは「思想家」とは呼びがたく、山折さんは「学者」らしくないというということになろう。
最後に、家永三郎さんと山折哲雄氏さんの相違点を、もうひとつ指摘しておこう。それは、「法」というものに対する関心の違いである。どういうわけか、家永さんは、法に対する関心が強く、また法律的な感覚も鋭かった。そうした素養が、家永さんを、いわゆる「家永訴訟」に導いたのである。一方で、山折哲雄氏さんの場合は、あまり「法」というものに対する関心は強くないようにお見受けするのである。