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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本の農業は最高に発達した園芸(Gartenbau)

2014-03-27 05:13:57 | 日記

◎日本の農業は最高に発達した園芸(Gartenbau)

 昨日の続きである。昨日は、津下剛の論文「外国人の観たる近世の日本農業」のうち、「五、農政観」の前半を紹介した。
 本日は、その後半を紹介する。

 即ち〔ケンプェルは〕坪刈検見が行はれてゐたことを教へてくれてゐる。時代が降るに従つて渡来して来た外国人の観察も段々と正鵠〈セイコク〉に近付いて来る。それは先輩の記録による知識を基として、実地に詳細に見聞するからであらう。勿論中には誤解がないではない。併しそれは無理からぬ事である。我国の実情を我国人並みに或はより以上に知悉することは不可能である。第一に目に写り耳に触れる折すらない種々のことがある。我々は徳川時代の交通制度に於て、助郷〈スケゴウ〉制度が農民に及ぼした悪影響の、数多い例を知つてゐる。このやうな交通補助機関として整備された制度は外国人の筆にはものされなかつた。否そんなことかあつたことすら考へられてゐなかつた。ツンベルグは、「天然の生産品で支払ふことになつてゐる賦税は甚だ重いのであるが」日本の農民は『それでも欧羅巴で自ら土地を所有してゐる百姓に比すれば、その多くはずつと賦役は軽いと云ふべきである。』何故ならば『日本の百姓は費用よりもずつと少い料金で、自分の馬を駅馬に数日間差し立てられることもないし、脱営兵や囚人を近くの城塞に送るために自分の車を徴発されることもない。街道・病院・橋梁・寺院・倉庫を作るために賦役を命ぜられることもない。』その上に『主人とするものはその住む国の国主だけで、外の者はない。人頭税・十分一税その他いろいろの税を徴集すると称して、無数の厭な厄介をかける下役〔課役〕に苦しめられることがない』から、日本の農民は西洋の農民より楽だといふ口吻を洩らしてゐるが、彼の実情に対する認識不足は、一々反駁する必要もない程である。
 ツンベルグは亦田畠の品等と検見に関しても記してゐる。併しそれはケンプェルよりも杜撰〈ズサン〉であり、検地と検見とを混考してゐる。
 米は云ふ迄もなく日本の経済の基礎であつた。それば『数千年の文化は、此注目すべき日本国に於て、農作をば国家経済の基礎となし……臣民の繁栄君主の安康なる、その生活の泉源はこゝより湧きて渇きる〈ツキル〉ことなく』『其第一は米作』であつた。而もそれは『欧羅巴の深奥なる経済学者や政治家の偉い投機的な計画を立てるよりも、ずつと美事な効果を収め』てゐるのである。
 日本の農業は農業として最高に発達したGartenbau〔園芸〕である。堪へ難い労作に苦しみ乍らも数千年来の歴史が作つた農業文他の華である。比類なき土地の経営方法である。其処には屡々天災と苛斂誅求〈カレンチュウキュウ〉による幾多の悲話も起つたが、家族的労作的小農経営の根強さは、こうした試練を克服した。そして比類なき農業立国の基礎が確立されたのである。西洋の畠地文化に対する日本の水田文化、これは地球上に対蹠〈タイセキ〉する二つの農業文化である。

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