◎五銭白銅貨、大山勉吉と再会する
昨日の続きである。文部省編『教訓 仮作物語』(一九〇八)に収録されている奥原福市の「白銅貨物語」の後半部分である。
前半を読んでいない方は、戸惑われるかもしれないが、この物語は、五銭白銅貨である「僕」の視点から、語られている。
この少年は大山勉吉といつて、なかなか心掛のよい少年であつた。毎朝薄暗いうちに起き出で〈オキイデ〉、弁当屋から、弁当、麦酒〈ビール〉など引受けて、停車場にかけつけ、上り下りの列車が停車する度に、『弁当に鮨、麦酒に葡萄酒、正宗〈マサムネ〉‥‥』と、終日かひがひしくかけ廻つて、日が暮れると、腹巻の内から、我等同胞を一々点検して、弁当屋へ支払をすまし、駅員にいとまを告げ、家路をさして急ぐのであつた。
かれは元気よく一日の務〈ツトメ〉を終へて、家に残る年よつた母親を慰めようと、賑〈ニギヤカ〉な大通〈オオドオリ〉をわき目もふらずに通抜けて、通行の稀な裏町に出で、夕飯用の皮包〈カワヅツミ〉を買つて、街頭のかげほの暗い小路〈コウジ〉を、奥へ奥へと進み入り、九尺二間の割長屋〈ワリナガヤ〉の前に並ち止まつた。すると内〈ウチ〉から『おう、勉吉帰つたか‥‥』と、喜び迎へる老母の声、『おそくなつて、すみませんでした。』と、やがて二人はさし向ひで、皮包の中の肴〈サカナ〉を出して、楽しく話しながら夕飯をすました。夕飯がすむと、勉吉は衣服を着かへて、短い袴を穿き〈ハキ〉、書物の包を携へて、路地口〈ロジグチ〉を飛び出した。何処へいくのかと不思議におもつて居ると、やがてかれは何々夜学会と標札うつた門をくぐつた。そして二三時間も勉強して帰つた。
それから豆ランプの下〈シタ〉で十二時頃まで数学や英語を復習して居た。聞けばかれは陸軍地方幼年学校の入学試験に応ずる為め、其準備をして居るとのことであつた。世間にば多額の学資を親許〈オヤモト〉から貰ひながら、学業を怠り、悪友と交り、放蕩に身を持ち崩して、あたら一生を誤るものも多いのに、勉吉ば独立自営貧苦の裡〈ウチ〉にあつて撓まず〈タユマズ〉、屈せずむ、額の汗を資力にして、成功しようとするその決心、誠に末頼もしい苦学少年もあるものかなと感心して居る中に、ある夜〈ヨ〉一冊の書物にかへられて、惜しい袂〈タモト〉を分つ〈ワカツ〉こととなつた。
その翌年、野菜の代金に払はれて、遂に農夫の手に入り〈イリ〉、草ぶかい田舎に生活する身となつた。元来旅行好〈リョコーズキ〉の我等〈ワレラ〉には却つて閑静をかこつほどであつたが、大晦日〈オオツゴモリ〉になると、実に目のまはるほど忙がしく、木枯〈コガラシ〉吹きすさぶ夜もすがら、財布の底にねぢ込まれて、あちこちかけ廻つた揚句、ある富家〈フーカ〉で年を迎へた。そして、いたづら子息〈ムスコ〉三郎の小使銭となつて、飴屋の爺〈ジジ〉が懐〈フトコロ〉に入り、米屋、魚屋〈ウオヤ〉、菓子屋、玩具屋〈オモチャヤ〉など歩き廻つて、心掛のよい次郎といふ児童〈コドモ〉の手に入り、郵便貯金として、学校の先生の手に渡された。
かくて、諸方を遊歴して、久しぶりに東京へ帰つて見ると、『十年一昔』の喩〈タトエ〉の如く、鉄道馬車は電車となり、日比谷の錬兵場〈レンペイバ〉は一大公園とかはり、見るもの、聴くもの、一〈イツ〉としてその進歩の速〈スミヤカ〉なのに驚かれないものはなかつた。
そして、ある横町の煙草屋にしばらく足を止めて居ると、一軍人がたづねて来た。僕は朝日の釣銭として、そのポケットにはいつた。カーキー色の軍服見習士官の徽章に、八字髯〈ハチジヒゲ〉さへいかめしく、あつぱれ凛々しいその風采、どことなく見覚〈ミオボエ〉ある顔つきに、よくよく見れこはいかに、数年前〈スーネンゼン〉名古屋で世話に成つて居た一少年大山勉吉君であつた。