◎ツンベルグが驚愕した近世日本の人糞尿肥料
話を、津下剛〈ツゲ・タケシ〉の『近代日本農史研究』(光書房、一九四三)に戻す。同書の末尾に収録されている論文「外国人の観たる近世の日本農業」(初出、一九三〇)は、実に興味深い労作で、津下剛の学風を推測するに足る。
本日は、その一部を紹介してみたい。
肥料 日本農業に於ける肥料の基本的なものは人糞尿である。このことは少からず彼等を驚かした。それは真に〈マサニ〉“Smell so strong,that foreigners,chiefly Europeans,cannnot bear them”であり、彼等が視覚によつて十二分に楽しんだ日本の風光は、嗅覚のために高い税を支払はされてしまつた訳でもあつた。このやうな肥料についてケンプエルも、ツンべルグも、シーボルルトも、各〈オノオノ〉その筆硯を湿めして〈ヒッケンヲシメシテ〉ゐるが、その描写は大体同じである。試みに挙ぐればツンベルグは
『家畜は年中を通じて厩舎にゐるのである。従つて夥しい〈オビタダシイ〉量の糞便が出る。老人及び子供は路上の馬糞を、海の耳と云ふ貝〔あわび〕で絶へず拾ひとつてゐる。土地を肥す〈コヤス〉ものとして欧羅巴〈ヨーロッパ〉人が考へたこともない小便が此国では非常に重要視されてゐる。村のなかの往来の端に地面並に理められてある甕〈カメ〉のうちに大切に入れてある。糞尿類をかくの如く注意深く集めて置くと云ふことが、既に驚くに足りることであるが、更にその使用法に至つては一層驚くべきものがある。冬季又は夏に休ませておく畠地に、糞便を運んでおくのではない。蒸発すれば効果が減ずると考へてゐるので、書いただけでも嘔気〈ハキケ〉を催すやうな堪らない〈タマラナイ〉方法を日本人は用ひるのである。人間及び動物の糞便その他の汚物を小水又は水のうちに溶解させ、このなんともわからないものを桶二つに入れて畠に担いで行く。そして高さ四分の一オーヌほどに成長した野菜一株毎に杓子一杯宛〈ヅツ〉をかけてやる。油質の部分は株の生へ際〈ハエギワ〉に流れて行つてしまひ、全部無駄なく肥料になる。』
可なり詳しく記してはゐるが、尚彼は伊勢国の記事の中で、この人糞尿の臭気と百姓の眼病の多いのを関係づけて、人糞尿から発散する不都合にして望ましからざる悪瓦斯〈ガス〉のため、若い者は大部分、老人は全部、瞼に血が滲み〈ニジミ〉、傷が出来て、膿をもつ程であると述べてゐる。この因果関係果して生理学的にそうであるかどうかは知らないが、何物にも一理付したがる外人らしい観察として読んでみても面白い。
併し肥料は人糞尿が第一でこそあれ、決してそれのみではない。前文にも記されてゐる如く家畜のそれが用ひられるし、雑木・落葉・藁類は焼いて灰となし、堆肥も作られる。田には緑肥も用ひられる。牛馬のそれは欧羅巴に於ける如く、直接に畠に施すのではなく、厩舎に於て藁木葉等と共に腐熟せしめて用ひる。これを厩肥といつて大麦・小麦の播種〈ハシュ〉に用ひる。緑肥は六月の梅雨の始まるまでに雑草を田土の中に踏込むものである。とシーボルトは室より大阪への途中に於て、その紀行に記してゐる。彼は亦大阪に於ては大阪三郷を中心とした地方の農村に運び出される肥料船に目をとめて『大阪市よりは屡々〈シバシバ〉特別に作りたる肥料船来る。此〈コノ〉肥料は、全日本に慣用するものにして、人は之を夏を越して蓄へ、種々の庭木又穀物にさえ灌ぐ〈ソソグ〉を常とす。其為〈ソノタメ〉六月・七月・八月は屡々至る所の地方、殊に大都市の周囲は汚く染されて、我等が明媚なる景色を楽むに甚しき妨碍〈ボウガイ〉となるなり』と記してゐる。