◎ツンベルグが観察した長崎の欧州蔬菜
昨日は、津下剛の論文「外国人の観たる近世の日本農業」の「一、序言」を紹介した。
この論文は、「一、序言」のあとは、「二、日本の風土」、「三、日本の農業事情」と続く。「三」は、「(イ)横断的観察」と「(ロ)縦断的観察」に分かれ、(ロ)がさらに、「農産物」、「水田」、「畠作」、「農具」、「肥料」に別れている。このうちの「肥料」の項は、一昨日のコラムで紹介した。
そのあと、「四、牧畜」、「五、農政観」と続き、「六、余言」が最後となる。本日は、これらのうち、「農産物」を紹介してみよう。
(ロ)縦断的観察
農産物 以上のやうな農業の生産物は、屡々述べてある如く食料品、殊に米を中心とする穀物である。ケンプェルはこの五穀を1.Kome or Rice 2.Oomuggi 3.Kmuggi 4.Daidsu 5.Adsukiと挙げてゐる。誰から教ヘられたのか知らないが、この五穀の名称は『拾芥抄』に記すものゝと一致する。
米・麦については後にも述べるが、米こそは日本農業の歴史性を基礎づつけるものであり、それは『バタヴィアに於ける如く』に盛んに食べられ、『印度に於けるよりも良質のもの』である。小麦は、『イスパニヤよりも良く、産額又多量』であり、長崎では毎日小麦粉でパンが焼かれてゐた。亦小麦粉や蕎麦粉からはマカロニーによく似た食料品か作られ、至る所で売られてゐる。
米・麦以外にも数多くのものが産出される。それは『絶間〈タエマ〉なき勤勉と人工的の保助』とによつたものであつて、前述したシーボルトの筆になる日本の四季の風光に描かれてゐるが、植物の根を食用に供するものも多い。蕪〈カブ〉・大根・葱〈ネギ〉・芋等であるが、馬鈴薯の栽培には成功してゐない。北九州肥前地方では秋深くなると、葉の落ちた櫨木〈ハゼノキ〉に漬物用の大根を懸けて乾かすのであるが、これは屡々外国人舟乗〈フナノリ〉より蘿蔔樹と思はれた。漬物と云へば梅漬や梅干もある。奈良漬・沢庵と共にこれは、日本独特の果物及び疏菜の貯蔵法である。
四月には田野に美しい菜の花が咲く。灯火用の油が得られる。豆類には隠元豆・豌豆〈エンドウ〉・蚕豆〈ソラマメ〉・大小各種の豆がなり、味噌・醤油の調味料が作られるし、小豆〈アズキ〉からは菓子が作られる。香料としては胡椒はないが生姜があり、山椒の葉が用ひられてゐる。
この他〈ホカ〉数多くの蔬菜類の名は各書に挙げられてゐるが、繁雑なればこの位にして、ツンベルグが『長崎の欧洲蔬菜』として次の如く記してゐることは、渡来作物を研究するのに見逃してはならない。
『長崎市内及び市内の庭園で種々の欧羅巴の植物が栽培される。その船中或は商館に持つて来たものに次の如きものがある。甜菜〈テンサイ〉・人参・茴香〈ウイキョウ〉・パーセリ・アスパラガス・各種の葱・ホロ蕪菁・辛大根・萵苣〈チシャ〉・シコレ。』
尚外国人の目についたものには工芸作物としては茶を始め生蝋〈キロウ〉原料の櫨〈ハゼ〉があり、染料には各種の蓼〈タデ〉科植物や紅蔓〈ベニヅル〉、繊維作物としての綿花栽培、製縄用の自然生の蕁麻〈イラクサ〉等が記されてゐる。それで結局滞留外国人中、最も永く出島に居住してゐた甲比丹〈カピタン〉H.Doeffは『日本国は毫も〈ゴウモ〉外国より輸入を仰ぐ必要なし』と云つてゐる。
文中、「蘿蔔樹」という言葉が出てくる。おそらく、〈ラフクジュ〉と読むのであろう。インターネットで検索すると、中国語では、マダガスカルの「バオバブ」を指すらしい。津下剛が参照した本の原語は何だったのだろうか。「ホロ蕪菁」については、ご教示を乞う。