◎サミュエル・ジョンソンと斎藤秀三郎
年末に書棚を整理していたところ、角川書店編『辞典のはなし』(角川書店、一九六五)という本が出てきた。角川文庫と同じ体裁で、「定価四〇円」とある。ただしこれは、当時、本屋のレジの横に「無料」で置いてあったものを、もらってきたものだったと思う。
貝塚茂樹、佐伯梅友、小川環樹といった錚々たるメンバーが、それぞれの立場から、「辞典」について執筆しているが、今でも印象に残っているのは、中野好夫が書いた「英語辞書のはなし」というエッセイである。その一部を引いてみよう。
巨人、斎藤秀三郎
こうして英語辞書もだんだん進歩しながら明治末になるのだが、ほぼ大正期にはいるころから飛躍的に進歩するし、また直接私自身の少年時代の思い出とも結びついてくることになる。私は大正五年(一九一六)に中学に入学しているが、そのころひろく行なわれていたのは井上十吉〈ジュウキチ〉の『井上英和大辞典』と同じく『和英大辞典』、三省堂の『模範英和辞典』、ことに後者は、明治四十四年に初版を出したものだが、それぞれ専門家に頼んで訳語の正確を期したというので、正しい実用性の点では画期的なものであった。だが、なによりも特筆しなければならないのは、やはり斎藤秀三郎〈ヒデサブロウ〉の『熟語本位英和中辞典』(大正四年)であろう。これは日本英学発達史における巨人斎藤の一生の研究を結晶させたようなもので、あくまで日本人のつくった英話辞書であるとともに、実に個性の躍如としている点で、あるいは前記ジョンソンの辞書と双壁かもしれない。
それには一言、著者斎藤を紹介しておく必要があろう。はじめは東京工部大学というから、つまり今の東大工学部の前身に入学して化学・造船学を志したのだが、なにぶん窮屈な学生生活などにはたえられない方で、卒業直前に放校になる始末。結局もともと好きであった英語に打ち込むことになり、旧一高・東大などにも教えたが、とても官立の先生などにはおさまりきれず、東京に私立正則英語学校を創立、三十余年にわたって在野英学界に隠然として覇を唱えた。
斎藤英文法といえば少なくとも大正中期まで天下を風靡したものだが、その学風は十九世紀自然科学の合理精神を文法研究に適用したとでもいうか、整然として組織化する点に特色があった。その点、既述の歴史主義以前の態度であるが、そのかわり明晰な合理性という点で実用性はきわめて高かった。イギリス文豪のテキストであろうと、斎藤文法に合わぬと、平気で訂正していったという伝説さえある。
体格的にも巨人だったが、性格的にも男性的な豪放さをきわめていた。いささか眉唾〈マユツバ〉だが、斎藤作として「楽しみは背後〈ウシロ〉に柱、前に酒、両手に女、懐に酒」などという風懐まで伝えられているほどである。だから、つくる辞書まで類例のない個性にあふれている。たとえば上記『中辞典』のgoを引いて、おびただしい例文を見てゆくと、He will go all lengths-go any lengths-to accomplish his purposeとあって、「目的を遂げるためには、いかなる事をも辞せぬ」とあるまではよいが、注して「褌を質に置いても初鰹」などとくると、これはもう斎藤流である。まずこんな英和辞書は今後もぜったいに出まい。
ついでながら斎藤は、昭和三年(一九二八)に『和英大辞典』も出しているが、これがまた愉快である。いかに大辞典とはいえ、辞書の中に漢詩・和歌はおろか都々逸〈ドドイツ〉の試訳まで披露しているのはこの辞書だけであろう。たとえば「三千世界」というのを開けると、「三千世界の烏を殺し、主〈ヌシ〉と朝寝がしてみたい」という志士高杉晋作つくる都々逸、同じく「通う」の項なら、「惚れて通えば千里も一里、逢わずにかえればまた千里」、ぺージもないから試訳は引かぬが、こんな砕けた艶っぽい文句の出てくる和英辞書は、過去現在未来おそらく斎藤をもって最初とし、また最後とするに相違ない。こうした閑談的雑文にはまことにありがたい先生である。
ここで中野は、斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』を、かのサミュエル・ジョンソンの『英語辞典』(Dictionary of the English Language)と対比している。これは、斎藤秀三郎に対する最大のほめ言葉であろう。
この文章を読んだ私は(当時、高校生)、『熟語本位英和中辞典』が欲しくなったが、すぐには買えなかった。すでに「新刊」の状態では出ていなかったためか、やたら古書価が高かったからである。四、五年後に、下高井戸駅前の古本屋で、比較的安いものを見つけ、ようやく入手した。岩波書店が一九三六年に発行した「新増補版」(増補は豊田實〈ミノル〉による)の第一八刷(一九六一)で、定価は九〇〇円、古書価は五〇〇円だった。これは、今でも座右において愛用している。
いずれにしても、中野好夫の前記エッセイを読まなければ、斎藤秀三郎という人物に注目することもなかったし、『熟語本位英和中辞典』を購入することもなかっただろう。