goo blog サービス終了のお知らせ 

礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

川柳作家・川上三太郎の警視庁訪問記

2013-12-22 06:11:00 | 日記

◎川柳作家・川上三太郎の警視庁訪問記

 昨日、紹介した植木鬼佛著の『川柳警察史話』(松華堂、一九四一)に、川柳作家・川上三太郎(一八九一~一九六八)が、警視庁を訪問したときの感想記が転載されている。本日はこれを紹介してみよう(ただし、初めのほうだけ)。

 二三 警視庁川柳参観記
 日本川柳界の重鎮、わが師川上三太郎先生の警視庁川柳参観記を、雑誌『自警』(昭和一六年五年五月号)から転載する。
《明治七年警視庁創設以来ざつと七十年、その間輦轂〈レンコク〉の下帝都を護る警察官の黙々と涙ぐましい努力に対して、市民たる我々は常に感謝と敬愛を忘れてはならないのであるが、太陽の恵を無意識に享け入れてゐるやうにたゞぼんやりしてゐることが多かつた。
 ところが今回、警察川柳の植木鬼佛君から「時局下の警視庁をしつかり見てその認識を新たにせよ。」との案内を受け、なるほどと肯いて天気晴朗の四月十一日、同勢二十五人先づ宮城を遥拝の後、大玄関前に集つた。
  警視庁空の碧さに見上げられ 三朗
 会する者は昨年、大政翼賛会文化部と内閣情報部の指導で生れた日本川柳協会の人々である。西島○丸〈レイガン〉、堀口祐助、坂本柿亭、その他市内の中堅作家及び川柳研究社幹事達で、神官あり僧侶あり、会社の社長もあれば社員もゐ、文芸家や画伯もあればまた官吏も商人もゐるといつた、凡そ人間生活のバラヱテみたいな一団である。
日本川柳協会は、結成に当つてその宣言は「新体制への歴史的大転換期に在つて、文学に課せられたる役割は極めて重要である。この秋〈トキ〉に当りわれら川柳作家が、上下融和をその願ひとする国民詩川柳をもつて、芸能奉公の至誠を竭し〈ツクシ〉得ることは光栄である。今滋に新文化体制の一翼として全川柳作家を打つて一丸とする日本川柳協会を結成し、以て新日本建設の使命を担当せんすとるものである。」といふのであり、綱領は
一、国民文学としての健全なる川柳詩を創作普及し、以て日本精神の昂揚に努む。
一、川柳詩を通じて、時局下国民生活の向上明朗化を期す。
である。
 この趣旨からしても我々川柳作家は、日常生活に最も関係の深い警視庁をよく理解することは、一つの重大な義務である。
 面々の服装はと見れば、常に着流しで銀ブラをする癖のある者も、今日ばかりは国民服に身を固めたりして、案内役の鬼佛君を徴笑ませた。
「畏れ多くも今上天皇は、昭和六年十月二十日この警視庁に行幸あらせられました。この記念碑が東側道路に面して建てられであり、この佳き日を行幸記念日と定めてあります。」
と鬼佛君の荘重な言葉である。一同襟を正して石段を昇り昇つて五階の警察参考館に入つた。
 広い館内に所狭きまで陳列してある参考品を、いちいち係官が説明してくれる。
  春峰庵事件の屏風ふと見とれ 寿山
 入口近く眼についたのは、名土の加担した二十万円詐欺事件の浮世絵の素晴しい屏風である。内外警察服装の変遷や十手の変遷、江戸時代の錦絵の数々と火事装束、何本もの日本刀等々皆足が容易に進まない。巧妙な贋幣が何枚もあつた中に、現実に無い二百円とあるのが二枚あつた。
  二百円札を見て来た参考館 寿山
 偽浮世絵といひこの偽札にしろ、その努力と技術を善用したら世の中の為にならうにとつくづく思つた。
 明治十九年のピストル強盗清水定吉逮捕の功労者小川巡査の服や写真もあつた。
 こゝで我々が眼を瞠つた〈ミハッタ〉ものに、二・二六事件で殉職した清水巡査部長以下五名の写真に並べて血染の服や、焼け焦げた衣類等である。
  殉職の遺品を拝む目をつむり 鬼佛
と、みな心の中でこの尊い故人にしみじみしたのだつた。》【以下略】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする