◎「馬喰町障子一重が国境」(訴訟宿についての川柳)
インターネットで「植木鬼仏」を検索したところ、「植木鬼仏とは誰ぞ―警察川柳史検討―昭和戦前期警察史の一齣」という論文(http://home.hiroshima-u.ac.jp/tatyoshi/ueki001.pdf)にヒットした。同論文によれば、植木鬼仏(鬼佛)の本名は植木梅造であり、生没年は不詳のようである。
また国立国会図書館のデータベースで調べると、植木鬼佛の読みは、〈ウエキ・キブツ〉であるらしい。
右論文には、執筆者名の記載がないので、仮に執筆者を、tatyoshiさんとしておく。tatyoshiさんの論文は、「植木鬼仏」に関係する文献の書誌として、貴重でありまた有益である。この論文によって私は、昨日、このコラムで紹介した川上三太郎の警視庁訪問記の正確なタイトルが、「有難い哉警視庁―川柳参観記―」(『自警』第二三巻第五号、一九四一年五月)であることを知った。
本日は、植木鬼佛『川柳警察史話』(松華堂、一九四一)から、「馬喰町の訴訟宿」という文章を紹介する(「一七 馬喰町の訴訟宿」の全文)。
tatyoshiさんの論文を参照し、この「馬喰町の訴訟宿」という文章は、植木が雑誌『自警』に発表した文章「小伝馬町の牢屋敷と馬喰町の訴訟宿―古川柳で見る」(『自警』第二二巻第三号、一九四〇年三月)の一部であろうと推察した。ただし、『自警』に載った文章は、確認していない。
なお、引用にあたって、川柳の部分のみを、太字にした(原文では、太字になっていない)。
一七 馬喰町の訴訟宿
小伝馬町〈コデンマチョウ〉から鞍掛橋〈クラカケバシ〉を渡つた先、馬喰町〈バクロチョウ〉一丁目から三丁目辺には元〈モト〉宿屋が沢山あつた。
この町の北に行つた浅草見附々近西の方に馬場があつて馬に関係が多かつた為か、その昔は博労町と称したが、正保以後馬喰町になつたといふ。鞍掛橋等も馬に関連する名である。
馬喰町苅豆屋とはきつい事
放れ馬苅豆屋にて押へたり
苅豆屋〈カリマメヤ〉といふのはこゝで有名な宿屋であつて、馬の好む名の屋号でこんた句があるに過ぎない。このやうな宿屋でも今考へるやうな旅館では勿論なく、軒を列べたどの家も田舎者向きの安族籠〈ヤスハタゴ〉であつた。
そもそもこの町に宿屋が沢山出来たのは元禄六年頃からであるが、『ひともと草』にはこの年本所回向院〈エコウイン〉で信州善光寺のお開帳があつて、遠方からの参詣者が群集したが、当時小伝馬町三丁目に宿屋が僅か十戸程あつたきりで、泊りあぶれた人々大勢が近くの馬喰町の草原などへ筵〈ムシロ〉を敷いて夜を明かした。この様子を見て爰〈ココ〉に始めて宿屋を営む者が簇出〈ソウシュツ〉したと云はれてゐる。
諸国ら草履踏ん込む馬喰町
鼾には国訛なし馬喰町
馬喰町障子一重が国境
これらで案ぜられる通り、地方人の泊り宿である事が瞭り〈ハッキリ〉する。
馬喰町天水桶へたれられる
註 田舎者に便所と間違へられた句。
馬喰町ぱきりぱきりと手をたゝき
註 ぱきりぱきりは無器用に手をたたくさま。
馬喰町とゝでまんまを食つてゐる
馬喰町目をむき出して食つてゐる
湯汲場へ顔をつゝ込む馬喰町
汁椀をてんでにすゝぐ馬喰町
註 食器は各々自分で洗つて始末をした風習が窺へる。
馬喰町烟を吹き吹き食つてゐる
こんな風に田舎者と見て江戸の町人達は彼等の無教養、不器用、がつがつした様子や不衛生を軽蔑揶揄してゐる。武州も秩父の奥や上州甲州あたり海に遠い百姓達は、白い飯に赤い塩鮭のお菜は「とゝまんま」といつて代表的な御馳走であつた。
馬喰町の宿屋は普通の旅人宿といふよりは、公事宿即ち訴訟宿として客を迎へるやうになつた事は多くの川柳がそれを取扱つてゐる。
『守貞漫稿〈モリサダマンコウ〉』に
「江戸の旅人宿は公事宿と号け〈ナヅケ〉官府に用ある者を泊る〈トメル〉を旨とする也。此故に京阪の如く美制の宿無之〈コレナク〉、旅泊は甚だ劣れり、膳部も粗にして二食を供し大略〈タイリャク〉二百四十八文也。貴価の宿賃は求めても応ぜず、又京阪の如くに食類各席出さず、衆客を台所に集めて食せしむ、朝夕共に然り、然共〈シカレドモ〉自宅に浴室ある者稀れにして多くは銭湯に遣る〈ヤル〉也、庁事に非る〈アラザル〉他用の客及遊参の者も皆此宿に泊る。旅人宿は馬喰町に群居す……」云々。
馬喰町恐れながらも笠袋
晴天の雨具は馬喰町を聞き
笠袋は傘袋の字違ひである。田舎者が訴訟の為にはるばる出府する時、傘を袋に入れて斜に背負つて来たものである。
馬喰町諸国の理非の寄る所
諸国からふくれた顔は馬喰町
諸国から談合のある馬喰町
国々の理窟を泊める馬喰町
このやうに江戸へやつて来て馬喰町に泊る諸国の者とは一体どんな席係で集る人達か、一応説明して置かねばならない。
江戸市中町家の取締に町奉行、全国の寺院社家〈シャケ〉に対しては寺社奉行があつて、役邸で色々の裁判もした。又後記の如く、幕府直接支配地の公事〈クジ〉裁判は勘定奉行が取扱ふので、この二者の関係で江戸表〈エドオモテ〉へ出ての宿泊は、やはりこゝ馬喰町の公事宿〈クジヤド〉である。
今日の名言 2013・12・23
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