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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

安重根の漢詩とそのハングル訳を写真で見る

2013-12-25 07:09:13 | 日記

◎安重根の漢詩とそのハングル訳を写真で見る

 昨日は、斎藤充功氏の『伊藤博文を撃った男』(時事通信社、一九九四)の一四一ページにあった写真によって、安重根・禹徳淳の両名が、一九〇九年(明治四二)一〇月二四日に、連名で書いた手紙を復元してみた。
 この写真をよく見ると、左上部に付箋のようなものが貼られており、それがはね上げられて裏返しなっている。おそらく表には、「四十二年領特第一号ノ十一」という文字があるに違いない。
 それに気づいたあと、念のために、dreamtaleさんのブログ「族長日記」の二〇〇五年八月八日記事(http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10003368660.html)にある画像をよく見てみると、やはり、左上部に付箋のようなものが見える。
 今月一日の当コラムで、同画像について次のように書いた。

 ここで、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」とあるのは、文脈からすれば、安重根がハングルで書いた歌(安重根が漢文で作った歌を、安自身がハングルで書き直した歌)ということになる。だとすれば、「族長日記」2005・8・8で紹介されている画像の左半分に、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」の文字があってしかるべきだが、それはないようだ。

 このときは、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」の文字は付箋にあること、そして、その付箋がはね上げられた状態になっていることを想定すらしなかった。だから上記のように書いたのだが、この部分は、次のように書き直さなければならない。

 ここで、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」とあるのは、文脈からすれば、安重根がハングルで書いた歌(安重根が漢文で作った歌を、安自身がハングルで書き直した歌)ということになる。「族長日記」2005・8・8で紹介されている画像の左半分をよく見ると、その左上部に付箋のようなものがあり、それがはね上げられて裏返しなっている。おそらくこの「付箋」の表に、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」という文字があるのだろう。

 なお、昨日、紹介した『伊藤博文を撃った男』の一四二ページには、「族長日記」2005・8・8にある写真と、ほぼ同じ写真が載っている。ほぼ同じとは言え、鮮明度は、『伊藤博文を撃った男』のほうが上まわっている。
『伊藤博文を撃った男』一四二ページの写真を見ると、その用紙が、安重根・禹徳淳が連名で出した手紙と同じ罫紙(便箋か)であることがわかる。これが左右に二枚並べた状態で置かれている。左側の一枚はハングルで書かれているが、一字一字が明瞭である。また、その左上部にある付箋は、表向きになっており、「明治四十二年 検領特第一号 十ノ二」という文字が確認できる。

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