◎安重根はハングルを使ったか
先日来、安重根のことが気になって調べているが、七、八年前にネット上で、安重根がハングルを使用していたか否かという議論があったことを知った。
ブログ「族長日記」2005・8・8には、「安重根の親筆とされている文書」が画像で紹介されており、その文書の右半分は漢文、左半分はハングルになっている。
この画像の文書について、同ブログの主宰者dreamtaleさんは、これが「安重根から押収された現物であれば、安重根がハングルを書いた可能性も出てきた」と慎重である。しかし、この画像の文書の真偽にかかわらず、安重根がハングルを使用していたことは間違いない、と私は考えている。
というのは、金正明編『伊藤博文暗殺記録』(原書房、一九七二)の「安応七第三回尋問調書」(一九〇九年一一月一五日)に、次のようなヤリトリがあるからである。質問しているのは、溝淵孝雄検察官、答えているのは安重根である。なお、安応七というのは、当時、安重根が名乗っていた別名である。
問 其方ハ歌ヲ作ツタ事ガアルカ
答 アリマス
問 其歌ハ丈夫世ニ処シ其志大ナルト云フ事カラ初マツテ居ルノカ
答 左様デアリマス
問 其歌ハ之レカ
此時四十二年領特第一号ノ十ノ一ノ歌ヲ示ス
答 左様デアリマス
問 此レハ何人ガ書イタカ
答 私ガ書キマシタ
問 此歌ヲ又諺文〈おんもん〉ニ訳シタカ
答 左様デアリマス
ここで、安重根は、「丈夫処世兮」ではじまる漢文の歌を作ったことを認め、かつその漢文の歌を諺文で表記したことを認めている(かつては、ハングルのことを諺文と呼んだ)。つまりここで本人が、諺文を使ったと述べているわけだから、画像にある文書の真偽を判定するまでもないのである。
ちなみに、このとき、安重根が漢文の歌を、わざわざ諺文(ハングル)で表記したのは、同志である禹徳淳に示すためであった。禹徳淳は漢文が読めなかったのである。
ブログ「族長日記」2005・8・8が紹介している画像は、極めて不鮮明だが、右上のワク内にある文字は、「四十二年領特第一号ノ十ノ一」と読めなくもない(だとするとこの文書は、ホンモノということになる)。
さらに尋問調書を見てみよう。
問 歌ノ中に鼠窃トアル下ニ丸ヲ二ツ書イテアルガ其丸ハ伊藤ト云フ文字ヲ入ルヽ積リデハナイカ
答 左様テス丸丸ノ所ヘハ伊藤ノ二字ヲ書入レル考ヘデアリマシタ之ヲ明ケテ置イタノハ事成否ガ判リマセンカラデアリマス
問 歌ハ何日書イタノカ
答 私ガ哈爾賓〈はるびん〉カラ蔡家溝〈さいかこう〉へ行ク前日ニ書キマシタ
問 金成白ノ宅デ書イタノカ
答 左様デアリマス
問 此歌ハ其方カラ禹連俊(禹徳淳の別名)ニモ見セタカ
此時四十二年領特第一号ノ十ノ二ノ歌ヲ示ス
答 見セマシタ
問 金成白、柳東夏ニモ見セタカ
答 其両人ニハ見セマセヌ
問 歌ハ柳東夏ガ書イタノデハナイカ
答 私ガ書キマシタ
ここで、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」とあるのは、文脈からすれば、安重根がハングルで書いた歌(安重根が漢文で作った歌を、安自身がハングルで書き直した歌)ということになる。だとすれば、「族長日記」2005・8・8で紹介されている画像の左半分に、「四十二年領特第一号ノ十ノ二」の文字があってしかるべきだが、それはないようだ。【この話、続く】