ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

中日・笠原投手のうれしい初勝利

2017-09-20 22:26:54 | 新潟
広島が阪神に勝って、プロ野球セ・リーグの優勝を決めた日、優勝争いとは全く関係ないところで、新潟県の野球関係者にはうれしい初勝利があった。
それは、中日の笠原祥太郎投手の初勝利だった。
巨人相手に8回まで無得点におさえたその裏にチームが2点を取り、勝ち投手となったのだ。
彼は、新潟県内の私立大学、新潟医療福祉大から今季ドラフト4位で入団したルーキーだった。
新潟医療福祉大は、関甲新大学リーグに所属する。
表舞台にはなかなか出てこないリーグだ。
しかし、彼の高校は一応進学校で、遠い昔1984年の春の選抜に一度だけ出たことがある。その時は、同じ雪国の秋田県代表金足農業と対戦し、1安打の7-0で敗れている。
以降、県大会の上位に進出したことはほとんどない。
彼自身、高3の夏の大会は2回戦で敗れている。
その彼が、大学野球での活躍が認められ、中日にドラフト4位で入団したのだった。
シーズン途中から、敗戦処理の形でつかわれることが多かったが、こうして先発で試されるようにもなった。
そして、この日は、あの巨人を相手に三塁を踏ませない好投だったとのこと。
高校時代を思えば、すばらしい成長ぶり、活躍ぶりだ。
新潟県内の大学を出ても、プロ野球で活躍できるなんて、すごいじゃないか。
貴重な左腕投手でもあるし、今後ますますの活躍を期待したい。

おりしも、先日は、オリックス金子とDeNA飯塚のW勝利のことを書いたが、こうして今、中日笠原も台頭してきた。
巨人のルーキー池田も、新潟県出身(新潟明訓高)出身であり、よく使われている。
新潟県出身のプロ野球選手は、さほど多くない。
彼らの活躍が、郷土に明るい話題をもたらすようであってほしいと願う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風呂敷残業、今は昔

2017-09-19 22:14:03 | 「育」業
「ふろしき残業」かあ。
懐かしい言葉だなあ。
まさか、子ども向けのアニメ、NHK-Eテレ「忍たま乱太郎」で聞くとは思わなかったなあ。

風呂敷残業。
今から30年ほど前は、よくしていたものだ。
文字通り風呂敷に、仕事の中身を包んで家に持ち帰る。
そして、家に帰ってから、その中身を片付けていく。
家に持ち帰るのは、職場に遅くまで残ると光熱費がかかる。
税金の無駄遣いになる。
だから、仕事をしたいなら、家に持って帰れ。
そんなふうに先輩たちから指導を受け、風呂敷にくるんで持ち帰った。

家で夕食を食べ、子どもを風呂に入れたり寝かしつけたりしてから、その風呂敷の結び目を解くのだった。
風呂敷の中身は、というとその日職場で見切れなかった子どもたちのプリントやノート、時にはテストもあったりした。
すべて見て、丸を付けたりコメントを付けたり、必要によって記録を残したりしたものだった。
風呂敷の中には、教科書やその指導書が入っていることも当たり前だった。
翌日の授業をどうするか、家で考えながら可能な限りその準備をするのだった。

それが、今は、名前が書かれたものは個人情報だからと、職場から持ち出しはできない。
また、家庭に電子データを持ち帰り、家庭のパソコンを使うと、パソコンのウイルス感染やデータの盗難があり得るからと、その持ち出し承認も簡単ではない。
そんなことから、本来、合理化効率化につながるはずのITが職場から職員を離せなくしてしまった。
授業のために専門的な関連機器を使用することも多くなった今、職場に残らないと仕事量をこなせないのだ。
だから、遅くまで残ったり、手当も出ないのに休日に出勤したりするはめになる。
こうして、今や完全ブラック化してしまっている。

風呂敷残業、今は昔…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟シティマラソンまであと3週間~25kmを走る~

2017-09-18 21:59:29 | RUN
台風18号。
日本各地に被害を与えながら、北海道も通り過ぎた。
雨戸を閉めて寝ていたが、夜中は台風のせいで、風の音や雨の打ちつける音でよく目が覚めた。
幸い、私の住むところは大した被害が出なかった。
わが家では、外の植木棚に置いておいたランタナとサルビアの鉢が落ちたり、ピーマンが倒れたりした程度ですんだ。

台風一過。
東京では、気温は33℃にまでなり、暑さで大変だったようだ。
そんな暑い中、小金井市では、「みんなで×5時間 in ウォーク&ランフェスタ2017」なるイベントがあり、走る人はもちろん、氷を準備するなど暑さ対策で実行委員の人たちも大変だったようだ。
暑い時のRUNは、本当に大変だ。
日頃走っているから、それはよくわかる。

台風が行った後、少しずつ風も弱くなり、天気も小雨は降るがあまり大したことはなかった。
気温も、時間によっては上がった時もあったが、午後4時近くになると、20度台の前半になった。
阪神―広島の試合の行方も、大相撲の阿武咲の取組も気にはなったが、走りに出ることにした。

出場を予定している新潟シティマラソンまであと3週間となったからだ。
昨年一昨年と、4時間50分前後のタイムで完走できてはいるが、かろうじてゴールにたどり着いたような有様を、なんとか少しでも余裕をもって走り切りたい。
1週間前にも走ったが、息子と一緒だったし、20kmから先は、息子が体調不良を起こしたから、その先の5kmは完全ではなかった。
今度は自分一人で25kmを走り切れるか試してみたかったのだ。
もともと多少は小さなアップダウンはあるコースだが、周回コースを左回りにしたリ右回りにしたりして変化を持たせ、25kmを走った。

今までの経験から言うと、「がんばって走る」ときつくなる。
「がんばらないで走る」ことが大切なのだ。
去年は、脚への負担がなるべくないようにしながら走ったら、なんとかゴールにたどり着いた。
がんばらないで走れるペースが、練習によって、以前より上がったと思っている。
今日は、「がんばらない」「がんばらない」と思いながら、走り続けてみた。
目安を1km5分50秒において走ったが、平均5分47秒で走り終えることができた。

これが、25kmでなく、42kmを1km5分40秒で走れれば、サブ4(4時間未満)のタイムで完走できることになるのだが、まあ、まだそこまでの実力はないようだ。
還暦ランナーとしては、無理はやめておこう。

とりあえず今年の目標は、サブ4.5(4時間半未満)で走り切れることを目標にして、調整していくことにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

We are ONE! Fight TOGETHER !!

2017-09-17 21:32:59 | アルビレックス新潟

Eゲート前広場のトラックの前に、大きな看板があった。
We are ONE! Fight with supporters!!
そう書いてあった。
そうなのだ。
サポーターたちは、一緒に闘おう、なんてこんなふうに書かれなくても、一緒に闘っているんだよ。
一緒に闘っているからこそ、勝利が欲しいのだ。
難敵鹿島をホームに迎え撃つ、大切な一戦。


前半が終わって、こうなった。

なんと、首位鹿島相手に2-0でリードして後半を迎えたのだった。
立ち上がり5分にタンキが、45分にホニが、ゴールを決めた。
いずれもカウンターにより、ボールをリズムよくつないで奪ったゴールだった。
今季2得点を取ったなんて、まだ3試合目だ。
しかも、2-0のリードだなんて、4月の甲府戦以来だった。

後半のサポーターたちは、開始からとっておきの「アイシテルニイガタ」を歌って、「今日こそは」の思いを新たにしていた。
それなのに、その歌がまだ終わらないうちに、1点を入れられた。
その後は、1点も取れないまま、後半だけで4点を取られ、倍返しで敗れた。


もちろん選手たちは、懸命に闘っていた。
だけど、後半、時間が進めば進むほど、首位鹿島の選手たちの動きは鋭さを増し、新潟の選手たちは防戦一方に追いやられてしまった。
悔しいけれど、これが首位と最下位の差なのだろうな、と実感した。

今回も、サポーターたちは、拍手で選手たちを迎えた。

ただ、この夜は、サポーターにあいさつをした後の選手たちに対して、歌を歌って鼓舞することはなかったのが、少し寂しかった。


されど、残り8試合。
あきらめずに、最後まで共に闘おう!

We are ONE! Fight TOGETHER !!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今宵の一戦、レオ・シルバが新潟に帰って来る

2017-09-16 14:59:48 | アルビレックス新潟

レオ・シルバが、今夜再び新潟のピッチに立つ。
2013年からの4シーズン、彼は新潟に在籍した。
2012年に最終で奇跡の残留を果たした新潟は、そのオフに新外国人選手レオ・シルバを獲得した。
彼が新潟と言うチームの心臓となって活躍し、新潟は、前年とは見違えるチームになった。
2013年シーズンは、後半に怒涛の7連勝をするなど、7位にまで躍進したのだった。
その後、新潟のチームとしての戦い方のモデルチェンジがあり、チームはなかなか勝てなくなった。
それでも、今年こそは期待していた2015年、彼は大病を患う。
肝機能の異常からブラジルに帰国し、胆のうの摘出手術を受けるなどした。
手術のための帰国日、新潟のサポーターたちは、新潟駅はおろか、新幹線の通過する駅などでも見送りを行い、彼の手術の成功・無事・早期回復を願ったのだった。
新潟サポーターたちの姿に感激したレオ・シルバは、ブラジルで手術し、日本に再訪帰国してからは、予想より早く試合に復帰し、文字通り献身的にプレーしたのだった。

あちこちから移籍の声が上がり評価の高かったレオ・シルバだが、昨年は新潟にとどまってくれた。
翌年2016年は、全試合懸命にプレーしてくれ、新潟は得失点差で辛くもJ2降格を免れた。
彼がいなくなったら、新潟はJ2に落ちる、と言われていたが、今季の新潟は、まさにその通りの不安に包まれている。

レオ・シルバが日本のサッカーを初めて行った新潟の地。
自身が苦しい時、サポーターが支えてくれた新潟の地。
彼にとっては、新潟は第2の故郷とも言える地なのではないだろうか。
その新潟の地に、久しぶりにレオ・シルバが帰って来る。
ただし、アウエーチーム鹿島の一員として。
新潟で年齢を重ねた彼にとって、昨季クラブW杯で準優勝した鹿島は、移籍するには最もよいチームだったであろう。
ブラジル人にとっては、晩年のジーコもプレーした、日本では特別なチームだから。

現在、鹿島は、レオ・シルバの活躍もあって、J1の首位を走っている。
対するに新潟は、彼がいなくなって、J1の最下位となっている。
新潟を応援する私としては、彼が活躍するのはいいとしても、鹿島が勝利するのは見たくない。
彼に対して、4年間の感謝の気持ちはもっている。
これからも、新潟のことを忘れずにがんばれ、レオ・シルバ。
今日、ピッチに立つ姿も楽しみにしている。

だけど、今夜は、最下位が首位を倒す姿を見たい。
新潟の選手たちよ、レオ・シルバに、
「やっぱり新潟はすごい!」
「今年もあのチームでプレーしたかった」
と思わせるような試合を期待したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホソバウンランと知った

2017-09-15 22:36:24 | 草木花
海に行って、浜辺で見かけた花たちの名前を調べたおかげで、ここ2,3年名前がわからなかった花の植物名がわかった。
その名前がわかった花は、これなのだ。


この花は、アルビレックス新潟を応援しに行く時、駐車場に車を止めてからスタジアムに行く途中によく見かけるのだ。
夏から秋にかけて咲く黄色っぽい花。
花をよく見てみるが、ちょっと花の形は複雑だ。
でも、なんとなく可愛らしい花だと思える。

同様の可愛らしさがある花に、園芸種のキンギョソウがある。
なんとなくこの花も、もとは園芸種なのかな、と思っていた。
しかし、あまり人の家の庭では見かけない。
名前を知りたいなあ、と思っていたのだが、なかなかうまく見つけられなかった。

ところが、先日浜辺の植物で咲いていた花を調べたら、非常によく似ているなあと思ったのだ。
その似ている花は、これ。

その名前は、ウンラン(海蘭)だった。
でも、ウンランの葉は、この通り丸くて厚ぼったい。

名前がわからなかったウンラン似の花は、その葉が、非常に細くて、ウンランとは全く違う葉をしていた。
花が非常に似ているので、さらに探してみると、見つかった。
名前に「ウンラン」が付いていた。
葉が細いのが特徴のせいか、「ホソバウンラン」というのだ。


5月に見つけたマツバウンラン。
そして今月わかった浜辺のウンラン。
それがもとでわかったホソバウンラン。
今年は、ウンランと名前が付く植物が3種類もわかった。
わかっていくことが、つながっていくようで楽しいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の浜辺で見かけた花たち

2017-09-14 22:32:48 | 草木花
海を見に行った時、当然のごとく花を探した。
浜辺に咲く植物の花も、なかなかきれいなものがある。

浜と言ったら、ハマナス。
時季外れのようだが、咲いているものもあった。

おまけに、珍しく白花のハマナスも発見!


ハナニガナはあるが、こちらは、浜辺にあるのでハマニガナ。

3年前に新潟シティマラソンで時間切れのため走るのをやめさせられたのが、36キロ付近。
そこに咲いていたのが、これだったと思う。

続いて、黄色とオレンジが美しいし、形もコロッとしていて可愛らしい。

海の蘭と書いて、ウンラン。
同じ名前が付くのに、色も形も違うなあと思ったのが、マツバウンラン。
5月ごろに見つけて、ここで書いたこともあったのが、このマツバウンランだった。

あの花は紫色だったが、こちらのウンランは、黄色が中心だ。

紫色の花では、ハマゴウを見つけた。

ちょっとうまく写真に撮れていなかった。
花の形に特徴があるが、うーん…うまく説明できない形だ。

月見草…オオマツヨイグサではなく、これは一回り小さくて浜辺に咲く、コマツヨイグサ。

オオマツヨイグサの花よりも小さいので、可愛らしさが増す。

そして、セリのような花だと思って調べたら、当たり!

名前は、ハマゼリ。

浜辺の草花は、花が独特に咲くものが多いが、日頃見かけないので名前がわからないものが多い。
それでも、数日かけてこうしてその名前を見つけるのも、私にとって一つの楽しみになるのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海を見に行く

2017-09-13 22:40:07 | 自然・季節

むしょうに海を見に行きたくなる時があった。
それは、自分が、海の近くのムラで育ったからだろう。
だけど、体が弱くて病気がちだったせいもあり、子どもの頃は海に入ることが禁じられた。
小学校の2,3,4年生の時分は、海に入ることは医者から許されなかった。
その間に、同級生たちは皆、泳ぎが達者になり、5年生になって再び海に入るのを許可された私が浮き輪を使うのをあざけり笑うのだった。

まあ、そんな嫌な思い出もあるのだが、海は好きだ。
生まれた時から30数年間住んでいた家には、夜になると、開け放った窓から潮騒の音が響いてきたものだった。
海からの潮風は、独特の潮のにおいを運んできた。
空気も、塩分が含まれていて、しばらく浜にいると、肌が塩分でべたべたになった気がした。
それでも、海は、とても懐かしさをもっている。

東京に住んでいた学生の頃、バイトか何かで出かけた晴海あたりで、海を見た。
潮風のにおいが、そのときどういう訳か落ち込んでいた自分に、とても元気をくれた。
故郷の海とは違うけれども、潮の香りだ。
こんなにも、潮風が、海が、自分を元気づけてくれるのか、ということを知った。


子どもたちが大きくなってからは、海水浴に行くこともなくなった。
でも、時々、海を見たいなあ、と思う。

先日の日曜日、妻と娘と3人で、海を見に行った。
夏は終わってしまっても、しまった浜茶屋などにまだ名残がある。

ここ藤塚浜も、浸食が進んで砂浜が狭くなっていた。
だけど、9月の上旬、まだ海に入る人や、釣りをする人たちが見受けられた。

ニャーニャーと聞こえたから、波打ち際にいた海鳥たちは、ウミネコだったのだろうか。

残念ながら、佐渡島や粟島は見ることができなかった。
しかし、波は穏やかで、落ち着いていた。
潮風が耳に当たる音、波が打ち寄せる音を聞いた。
海の空気をいっぱいに吸い込んで、潮の香りを楽しんだ。

やはり海は、いい。
泳ぐことがなくとも、目の前にあり、潮騒が聞こえ、潮の香りがする。
それらを味わえるだけでいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スズメウリ」の花を発見!~カラスとスズメの命名の違いを知る機会に~

2017-09-12 20:42:50 | 草木花
先日、ガガイモを発見(?)した川沿いの道。
今日、また自分にとって新しい種類の花を見つけた。

この花がキカラスウリだということは知っていた。

「黄烏瓜」。
カラスウリは、赤い実になるがキカラスウリの実は、黄色いからな。

ところで、今日見つけたのは、この花なのだ。

星の形をしている。
5枚花弁の「星」もあれば、
4枚花弁の「星」もある。

1㎝ほどもない、可愛らしい、小さい花だ。
そして、ツル状に巻き付いている細い茎。
キュウリなどの仲間のように、ウリの仲間だなと推測できた。
でも、名前は知らない。

いくつか調べているうちに、見つかった。
名前を「スズメウリ」と言う。
「雀瓜」。
あれ?
「カラスウリ」って言うのもあったなあ。
それとは別に、「カラスノエンドウ」があれば「スズメノエンドウ」もあるということを思い出した。
「カラス」があれば「スズメ」もある。
これには、何か意味があるのかな?
そう思ってさらに調べてみると、どうやら「カラス」と「スズメ」は、大きさに関係があるらしい。
「スズメ」は、「カラス」に対して大きさが小さいからの命名らしい。
それで、カラスノエンドウとスズメノエンドウがあったり、カラスウリとスズメウリがあったりする訳だ。

…という訳で、今日見つけたのは、カラスではなくスズメウリ。
もう一度見てみる。

星の形の可愛い花だなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25kmトレーニング走に挑む

2017-09-11 22:42:33 | RUN
新潟シティマラソンまで1か月を切った。
このあたりで25kmくらいの距離を走り、42kmだって走り切れるという自信をつけておきたいところだ。
今日は、休みだった息子と一緒に20km以上を走ろうということになった。
サイクリングロードを走って、山内地点まで行こうと。
息子は、私より速く走れるのだが、今日は私のペースに合わせてくれた。
1kmを6分前後で走れるかな、というのが本日のテーマ。

走り出して、道路沿いの気温標示を見たら、「29℃」。
予想外に高い気温だった。
だから、楽なペースで走っているつもりが、汗の出ること出ること。
今日は、薄めたスポーツドリンクを入れた800mLのボトルを腰に巻いていた。
だいたい5kmごとに2,3口飲んだ。
ただ、息子は、30kmまではいらない、などと言っていたのだが…。

暑さのせいか、5kmくらいまでは6分を切って走れたが、それ以降は6分10秒前後に落ちた。
9kmからは上り坂となり、6分22秒もかかるようになった。
それでも、目的地の山内まで着いた。
ここは、10kmのポイントがある。
でも、息子に、「あと1km。11kmポイントまで行こう。」と誘った。
「いいよ。」と息子はまだ楽そうに見えた。
11km地点到達。

この道の最長到達地点である。
以前、2年前に比べて、300m遠くへ行ったのだ。

(2年前は、10.7km)

この時は、息子も余裕があった。

私は、少し不安ながら、まあ大丈夫だと思っていた。
さて、戻ろう。
帰路は、こっち。

帰路は、下り坂。
足が勝手に動く。
下り坂で3kmほど、6分を切って5分50秒台で走り通せた。
水を飲んで、残り8km。
ここから先は、平らな田んぼの中の道。
平らと言いながら、少しは緩やかな下りなのだ。
そのせいか、足はよく動いた。
なんと、往路は走れなかった5分50秒台でずっと走れるようになっていたのである。
これは、今までの練習の成果なのだろうと思い、うれしくなった。

ところで、息子が私を引っ張って走らなくなった。
それどころか、遅れ気味だ。
どうした?と聞くと、「低体温症らしい。」と言う。
水分を十分に取らなかったこと、ノースリーブの上着でいたために冷えたことなどが原因らしい。

結局、後半の5kmは、息子に付き添った。
ゆっくり走ったり、持って行った100円玉2枚でスポーツドリンクを新たに買い足して飲ませたりして、タイムは抜きにして一緒に走って来た。

だから、およそ20kmまでしか休憩を入れながら連続して走れていない。
が、後半に5分50秒台で気持ちよく走れていたのは収穫だと思った。
2年前にもこの距離を走ったことがあったのだが、その時は、行きも帰りも6分30秒台の走りだった。
だから、休憩を入れたり時計を止めたりしたとはいえ、後半も足が止まらず6分前後で走り切れた今回の走りは、大きな自信となった。

この調子で、新潟シティマラソンも気持ちよく完走したいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする