サッカーW杯日本代表初戦。
日本は、先制しながらの逆転負け。残念。
日本中の人々が、テレビの前で観戦していたであろう。
だが、私は、同じ時間テレビは見られずにいた。
仕事かというと、そうではない。
久々に大会に出て、走っていたのだ。
第41回関川マラソン大会。
新潟県北部の関川村は、「大したもん蛇祭り」でプチ有名だ。
ここは、UPDOWN関川マラソンと名乗っているように、起伏の激しいコースが特徴だ。
昨年、息子が12kmに出場して、暑さからレース後脱水症状になった大会であった。
私は、今まで出場したことはなかったのだが、今年は、関川村に異動した知り合いの方から、「関川マラソン、出ませんか?」とお誘いをいただいた。
じゃあ、出てみようか。
ハーフ、12km、3kmと3種目のレースがある。
普通に練習ができて、体ができているのであればハーフに出場したかもしれないが、笹川マラソンを欠場するなど体調が不安なので、12kmへの参加を申し込んだ。
申し込んだ後、誤算が続いた。
前述のW杯の日本戦と重なったこと。
娘の外出可能日が日曜日となったこと。
時間的な余裕がなく練習がなかなかできないこと。
腰痛や打撲などの体調不良から練習量が極端に少ないこと。
娘のことで非常に心を悩ませていた去年であっても、週に1回は走って、12kmくらいは軽くこなしていたのだったが、今年は、月に2回くらい5km前後を走る程度になってしまっている。
特に、先週日曜日には、娘の病室で後ずさりしたところ、空いていたベッドの金属部にふくらはぎをぶつけた痛みがとれず、木曜日まで湿布して腫れをとろうとしていたのであった。
出場するのをやめようか、と思っていたくらいであった。
でも、4月には笹川マラソン大会を申し込みながら欠場。
幸い腫れもひいたので、2回連続の棄権はもったいないから出場することにした。
ふれあいドームでの開会式も簡素なものだった。
でも、平田大六村長の気概はしっかり感じ取れた。
さて、ハーフのスタート地点は、県の重要文化財の豪農の館、渡邉邸前。
ハーフが9時に出発した後、12kmのスタートは、その15分後であり、200mほど後方。
これまた由緒ある通りを出発地点に選んだものだ。
さて、スタートしてみると、やがて関川中学校脇へ。
そこには、参加のお誘いをくださったYさんが写真を撮っていた。
「Yさん、来たよ~。」と言って、手を振ると、「おお~!」と驚きながら喜んでくれていたのがわかった。
ユニークなのはその中学校の脇を通った直後。
道が狭くて薄暗い杉林。そこは、実は墓場のすぐ脇でもあった。
おお、気分が涼しい。
やがて、市道に出て走っていると、1kmの標示。
1km5分32秒。
今日はこのくらいのペースでいきたいと思っていた速さであった。
だが、走っていくうちに、自然ともう少しスピードを出して走りたい気分になった。
とは言っても、そんなにスピードが出る訳ではないが。
2kmまでの1kmを5分16秒、次の3kmまでの1kmを5分8秒と、次第にペースが上がったところで、上り坂となった。
ここから、丸山大橋までの急な上り坂。
上り坂を見ながら走ると苦しくなるので、下を向いて少しずつ少しずつ、と思いながら坂を駆け上がっていった。
だから、4kmポイントの標示を見逃してしまった。
丸山大橋からの眺めは、川が流れ下界がよく見える。
いい眺めだ。
5年前に夏の全国高校野球大会で、日本文理高校が中京高校から9回2死無走者から奇跡の追い上げを見せたことがあったが、その日の夜のNHKニュース9の始まりは、ここからの風景だった。
【↑ある秋の風景写真】
あの奇跡の追い上げを見せた文理のバッテリーが、この関川村出身だったからだ。
そのいい眺めが、この日はややぼんやりとしていてくっきりはしていなかったが、いい気分で橋を渡った。
その直後は、蛇行する車道を駆け下りる。
スピードが出過ぎると後で足に来るので、速過ぎないように気を付けた。
丸山大橋から下って、5km地点では2kmを11分2秒で走っていた。
わりとよい方だと思った。
平地になって、高瀬温泉の宿が並ぶ道の近くで6km。
ようやく半分になるところなのに、練習不足からだろう、太ももが痛くなり始めた。
ストライドを狭め、持っていた飴で塩分を補給して走り続けた。
8km地点では、可愛い赤ちゃんを抱いた老人が、「ここが最後の上りだよ。」と教えてくれていた。
また、この辺りには、高齢者のための施設が多く、手をたたきながら声を出して応援してくれていた。
だから、「ありがとうございます!」と声を返しながら、気持ちよく走った。
すごいのは、この辺りからすごいスピードで追い抜いていくランナーがいたことだ。
その人たちは、ハーフのコースを走ってきた人たちだ。
わずか15分しかスタートが違わないのに、もう倍以上の距離を走ってきたというわけだ。
すごい!
だが、私の足は速く動かない。
ハーフのランナーだけでなく、走り方が悪いなあ、と思うランナーにも、次々追い越されていく。
仕方がない、これが今の実力。
ありがたかったのは、給水所が豊富にあったことだ。
ポカリ、水、塩がどの給水所にも置いてあった。
だから、そのたびに、ポカリを口にし、水を追加して飲み、塩をなめて手を残り水で洗った。
気持ちよく走ることができた。
ラストスパートもしたつもりだが、ラスト2kmは、1km5分39秒と5分23秒。
大したスピードも出なかった。
それでも、ゴールすると、目標にしていた1kmあたり5分30秒のペースで走り切ることができた。
一般男子50代の部、参加者70人余のちょうど中間から少し後ろ。
それでも、不安の中、走り切れたことに満足した。
参加賞の1つは、おにぎりとわらびの入ったみそ汁。
おいしくいただきました。
さて、ゴールした頃は、日本代表も1-0で勝っていたのだが、帰りの車のラジオで、あっという間に逆転された放送を聞くはめとなってしまった。
残念。
しかし、日本は負けたけども、自分が走り切れたことで満足していたので、私は、あまり悔しくはなかった。
次戦、がんばってもらいましょう。(仕事でテレビ観戦できないけどね)
やはり、走るのは、いい。
もっと速く風を切って走れれば、もっと気分がいいのだろうけどなあ。
50代後半。まあぜいたくは言わないことにしよう。
体調不良の続いた中で、12km完走した喜びにひたることにしよう。
運営スタッフの皆様に感謝。
スタート・ゴール付近だけでなく、給水係、道案内役、駐車場係…、その他たくさんの方々…。
この方々も、サッカーW杯を見られなかったのだから。
がまんして大会を運営してくださった方に心より感謝したい。
ありがとうございました!とても楽しく走ることができました!
日本は、先制しながらの逆転負け。残念。
日本中の人々が、テレビの前で観戦していたであろう。
だが、私は、同じ時間テレビは見られずにいた。
仕事かというと、そうではない。
久々に大会に出て、走っていたのだ。
第41回関川マラソン大会。
新潟県北部の関川村は、「大したもん蛇祭り」でプチ有名だ。
ここは、UPDOWN関川マラソンと名乗っているように、起伏の激しいコースが特徴だ。
昨年、息子が12kmに出場して、暑さからレース後脱水症状になった大会であった。
私は、今まで出場したことはなかったのだが、今年は、関川村に異動した知り合いの方から、「関川マラソン、出ませんか?」とお誘いをいただいた。
じゃあ、出てみようか。
ハーフ、12km、3kmと3種目のレースがある。
普通に練習ができて、体ができているのであればハーフに出場したかもしれないが、笹川マラソンを欠場するなど体調が不安なので、12kmへの参加を申し込んだ。
申し込んだ後、誤算が続いた。
前述のW杯の日本戦と重なったこと。
娘の外出可能日が日曜日となったこと。
時間的な余裕がなく練習がなかなかできないこと。
腰痛や打撲などの体調不良から練習量が極端に少ないこと。
娘のことで非常に心を悩ませていた去年であっても、週に1回は走って、12kmくらいは軽くこなしていたのだったが、今年は、月に2回くらい5km前後を走る程度になってしまっている。
特に、先週日曜日には、娘の病室で後ずさりしたところ、空いていたベッドの金属部にふくらはぎをぶつけた痛みがとれず、木曜日まで湿布して腫れをとろうとしていたのであった。
出場するのをやめようか、と思っていたくらいであった。
でも、4月には笹川マラソン大会を申し込みながら欠場。
幸い腫れもひいたので、2回連続の棄権はもったいないから出場することにした。
ふれあいドームでの開会式も簡素なものだった。
でも、平田大六村長の気概はしっかり感じ取れた。
さて、ハーフのスタート地点は、県の重要文化財の豪農の館、渡邉邸前。
ハーフが9時に出発した後、12kmのスタートは、その15分後であり、200mほど後方。
これまた由緒ある通りを出発地点に選んだものだ。
さて、スタートしてみると、やがて関川中学校脇へ。
そこには、参加のお誘いをくださったYさんが写真を撮っていた。
「Yさん、来たよ~。」と言って、手を振ると、「おお~!」と驚きながら喜んでくれていたのがわかった。
ユニークなのはその中学校の脇を通った直後。
道が狭くて薄暗い杉林。そこは、実は墓場のすぐ脇でもあった。
おお、気分が涼しい。
やがて、市道に出て走っていると、1kmの標示。
1km5分32秒。
今日はこのくらいのペースでいきたいと思っていた速さであった。
だが、走っていくうちに、自然ともう少しスピードを出して走りたい気分になった。
とは言っても、そんなにスピードが出る訳ではないが。
2kmまでの1kmを5分16秒、次の3kmまでの1kmを5分8秒と、次第にペースが上がったところで、上り坂となった。
ここから、丸山大橋までの急な上り坂。
上り坂を見ながら走ると苦しくなるので、下を向いて少しずつ少しずつ、と思いながら坂を駆け上がっていった。
だから、4kmポイントの標示を見逃してしまった。
丸山大橋からの眺めは、川が流れ下界がよく見える。
いい眺めだ。
5年前に夏の全国高校野球大会で、日本文理高校が中京高校から9回2死無走者から奇跡の追い上げを見せたことがあったが、その日の夜のNHKニュース9の始まりは、ここからの風景だった。
【↑ある秋の風景写真】
あの奇跡の追い上げを見せた文理のバッテリーが、この関川村出身だったからだ。
そのいい眺めが、この日はややぼんやりとしていてくっきりはしていなかったが、いい気分で橋を渡った。
その直後は、蛇行する車道を駆け下りる。
スピードが出過ぎると後で足に来るので、速過ぎないように気を付けた。
丸山大橋から下って、5km地点では2kmを11分2秒で走っていた。
わりとよい方だと思った。
平地になって、高瀬温泉の宿が並ぶ道の近くで6km。
ようやく半分になるところなのに、練習不足からだろう、太ももが痛くなり始めた。
ストライドを狭め、持っていた飴で塩分を補給して走り続けた。
8km地点では、可愛い赤ちゃんを抱いた老人が、「ここが最後の上りだよ。」と教えてくれていた。
また、この辺りには、高齢者のための施設が多く、手をたたきながら声を出して応援してくれていた。
だから、「ありがとうございます!」と声を返しながら、気持ちよく走った。
すごいのは、この辺りからすごいスピードで追い抜いていくランナーがいたことだ。
その人たちは、ハーフのコースを走ってきた人たちだ。
わずか15分しかスタートが違わないのに、もう倍以上の距離を走ってきたというわけだ。
すごい!
だが、私の足は速く動かない。
ハーフのランナーだけでなく、走り方が悪いなあ、と思うランナーにも、次々追い越されていく。
仕方がない、これが今の実力。
ありがたかったのは、給水所が豊富にあったことだ。
ポカリ、水、塩がどの給水所にも置いてあった。
だから、そのたびに、ポカリを口にし、水を追加して飲み、塩をなめて手を残り水で洗った。
気持ちよく走ることができた。
ラストスパートもしたつもりだが、ラスト2kmは、1km5分39秒と5分23秒。
大したスピードも出なかった。
それでも、ゴールすると、目標にしていた1kmあたり5分30秒のペースで走り切ることができた。
一般男子50代の部、参加者70人余のちょうど中間から少し後ろ。
それでも、不安の中、走り切れたことに満足した。
参加賞の1つは、おにぎりとわらびの入ったみそ汁。
おいしくいただきました。
さて、ゴールした頃は、日本代表も1-0で勝っていたのだが、帰りの車のラジオで、あっという間に逆転された放送を聞くはめとなってしまった。
残念。
しかし、日本は負けたけども、自分が走り切れたことで満足していたので、私は、あまり悔しくはなかった。
次戦、がんばってもらいましょう。(仕事でテレビ観戦できないけどね)
やはり、走るのは、いい。
もっと速く風を切って走れれば、もっと気分がいいのだろうけどなあ。
50代後半。まあぜいたくは言わないことにしよう。
体調不良の続いた中で、12km完走した喜びにひたることにしよう。
運営スタッフの皆様に感謝。
スタート・ゴール付近だけでなく、給水係、道案内役、駐車場係…、その他たくさんの方々…。
この方々も、サッカーW杯を見られなかったのだから。
がまんして大会を運営してくださった方に心より感謝したい。
ありがとうございました!とても楽しく走ることができました!