あれ!?
この古本たちを買ったのは、いつだったのかな?
ちょっと思い出せないや。
部屋の隅に3冊の本が置き去りにされて積まれていたのを、昨日見つけた。
ただ、買ったのは今年だったか、去年だったのか。
3冊とも、高齢者に関係した小説やエッセーだった。
きっと、立ち寄った、某古本販売チェーン店で書名を見て自分の歳を考えて、衝動的に読んでみたくなったのだろうな。
だいたい、その3冊の書名だって買った覚えがなかったのだから、これは相当老人力が付いている証拠だ。
その1冊にあったのが、この小説本だった。
「走るジイサン」。
題だけ読むと、まるで高齢者のマラソンランナーが主人公みたいな気がするが、裏表紙の内容の紹介文を見てみるとそんな本ではないと分かる。
頭の上に猿がいる。話しかければクーと鳴き、からかえば一人前に怒りもする。お前はいったい何者だ―。近所の仲間と茶飲み話をするだけの平凡な老後をおくっていた作次。だが、突然あらわれた猿との奇妙な「共同生活」がはじまる。きっかけは、同居する嫁にほのかな恋情を抱いたことだった…。老いのやるせなさ、そして生の哀しみと可笑しさを描く、第11回小説すばる新人賞受賞作品。
小説すばる新人賞なんて聞くと、作者がずいぶん若いことを予想したが、その池永陽氏は、1950年愛知県豊橋市生まれと書いてあった。
私より年上だ。
氏が同賞を受賞したのは1998年であり、当時はすでに48歳くらいだったはず。
遅い作家デビューだった。
登場人物、主人公の作次は、69歳。
作者が作品を書いたころの年齢を考えると、まだ老いの実感は少なかっただろうが、よく69歳の心情をとらえてあると感心しながら読んだ。
私も、作次の年齢に近いから、彼が感じる感情や老いてきた身体の状況がよく理解できる。
つい感情移入してしまうところがあった。
まあ、頭に猿が乗っていると感じるのは理解できないが、それはきっと作次の自己内対話の相手なのだろう。
現に、「良心」なのかと思ったら、そうではないと作次が実感する場面もある。
そして高齢であっても、同居する息子の嫁や近所の若い娘に抱く思いがあったり、様々なことに悩んだりする描写についても、わかるなあ、とうなずいてしまうところもあった。
年寄りだからって、達観して生きているわけじゃないんだよ。
老人としての悲哀を感じつつ、今までの人生を背負いながら、今の生き方に煩悩を抱きながら生きているんだよなあ、と共感しながら読んでいた。
若い人たちには、少し理解しがたい部分もある小説なのかもしれないけどね。
この小説が世に出たのは今から四半世紀も前。
そのころなら、私もこの本を読んでみようとは思わなかったはずだから。