イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

ひよこまめ

2009年08月31日 20時37分27秒 | Weblog
僕の家には常にヒヨコマメの缶詰が置いてあります。

それは、僕が足繁く百円ショップや
ドンキホーテに通っているからにほかなりません。

このヒヨコマメの缶詰はそんじょそこらのスーパーには置いていません。

理由は簡単です。売れないからです。

でも、どういうわけか百円ショップとドンキホーテには
たまにおいてあるのです。

しかも安く。

もちろんヒヨコマメを置いてあるスーパーもありますが、

そのようなスーパーは

大概その値段設定がエクスペンシブなのです。

だからあっても買う気が起きない。

そのてん百円ショップは税込み百五円出し、
ドンキホーテも100円台で売っています。


これらのヒヨコマメの調理方法は一つです。

フムスを作るのです。

調理器具はビバホームで買った1280円のフードプロセッサー。

1280円と笑うなかれ。

このおもちゃのようなフードプロセッサーが
フムスを作るには、大きさといい、
その混ざり具合といい、ぴったりなのです。

しかも1280円ととてもチープ。

作り方は至って簡単。

ヒヨコマメ一缶、にんにく少々、オリーブオイル適量、
パプリカ粉、胡椒少々、レモン汁適量、塩少々、

これらをフードプロセッサーにかければお仕舞です。

これは何につけてもおいしい。

パンにつけても、ご飯につけても

そのほかディップとして野菜スティックにつけてもおいしい。

ちなみにうちの子を、

「おえーっ、まずっ」

と言っていました。

味の知らん子供たちです。
 

バカを名乗ることを許されています

2009年08月29日 17時46分49秒 | Weblog
僕は正真正銘バカの冠を許された大足です。

27.5センチや28センチごときに
バカの冠を許すわけにはいきません。。

僕の足のサイズは29センチ。

どうです、これこそまさにバカの冠に相応しい
大足でしょう。

これくらいの大足になると、そうそう靴を見つけることはできません。


だから今日、とても寂しい思いをしました。

イトーヨーカドーでスニーカーのバザーをやっていたのですが、
どれを見ても28センチまでしかないのです。

28センチも履けることは履けるのですが、殆ど余裕がないのです。

履いたときに1センチから1.5センチ、つま先に余裕が欲しいのです。

28センチでは5ミリほどしか余裕がありません。

それだったら28.5センチでもいいのではと、思えるかもしれませんが、

あにはからんや、28センチの次は決まって29センチなのです。

28センチ以降、1センチ刻みになるのです。

どうですか、この大雑把な扱いは。

このような大雑把な扱いを受けてこそのバカの大足なのです。

譲れませんよ、バカの冠はね。

だから僕は人に足のサイズを聞かれたときには
胸を張って「バカの大足です」と言っています。

ちなみに男で間抜けの小足を名乗れるのは
24センチ以下の人でしょうね。

メンズで24センチはほぼないですからね。

でも、それだって女性用を代用すればいいでしょう。

僕の場合、その代用がそもそもできません。

イトーヨーカドーさん、お願いです。
29センチまでそろえてください。

多くなくてもかまいませんから、せめてニ、三足は
用意しておいて欲しいものです。

 

ブルーシート、きらい

2009年08月29日 09時39分45秒 | Weblog
今から期日前投票にいってこようと思います。

その前に、



花火大会や運動会での場所取りってありますよね。

あれってはたから見ているとものすごく醜くないですか。

そりゃぁね、

できる限りいい場所で見たいという気持ちも分らないではないですが、

会場が開いた瞬間、一目散に駆け出してブルーシートを敷き詰めて
さも自分の陣地だと言わんばかりに仁王立ちしてたりしてね。

運動会なんかではバーベーキューセットなんか持ち出して
お酒まで用意し、タバコも何食わぬ顔をして吸っていたりするのです。

小学校の敷地、グランドでですよ。


あさましい。


そればかりか、今度は陣地合戦で小競り合いが起きたりしてね。


このところ地震が多発していますが、

公民館や体育館などに避難した、その避難先においても
ばかばかしい陣地とりのような事がおきるのだそうです。

このような非常事態のときでさえ、

自分たちの家族だけの居場所を確保し、
ついにはダンボールで簡単な囲いまで
こさえてしまう人がいるようなのです。

僕たちは年に一回、一週間くらいの団体生活が必要
なのではないでしょうか。

そうしてみると、いかに身勝手な行動が
わが身に染み付いていたのかを確認できると思います。

それか、核家族の禁止、家族は最低三代まで一緒にすまなければ
ならないと言う法律を作ってしまうとか。

冗談ですけど。

とにかく、これ以上この身勝手さが進行しないような
なんらかの措置をとりたいですね。

ブルーシートなんか禁止にしたらいいのにね。



さて、

それでは今から期日前投票に行ってきます。
 

しーんぱーい ないからね

2009年08月27日 19時08分56秒 | Weblog
アラサーとか、アラフォーとか言うのは、

その年代が女性にとってはとっても微妙な、
認めたいような、認めたくないような、

隠したいような、堂々としていたいような
年頃であるからなのでしょうね。

いいんです。

三十だって、四十だって、胸張ってくださいな。

だって男にはどうしたって女性が必要なのですから。

男しかいない社会なんて、もう、何にも面白いことない。

おばさんだって、いやおばあさんだっていいから、
やはり女性がいて欲しいものです。

それくらい男には女が必要なの。

そりゃね、見た目で判断されちゃうことだってあるかもしれないけど、

それは仕方ないよ。

誰だって、若くて顔立ちのいい人が好きなんだから。

だからね、アラサーだの、アラフォーだの、

微妙に歳をあやふやにしなくたって大丈夫。

笑顔さえ絶やさなければ、いつだって、何歳になったって、

誰からも愛される人であり続けられますからね。

若いことよりも、顔立ちがいいことよりも、

人ってぇのは笑顔が好きなんです。 

せっかく1GBなので

2009年08月26日 20時15分09秒 | Weblog
せっかくメモリを1GBにしたので、
奮発して超字幕の映画ソフトを買いました。

これは言うならば英語教材です。

日本語の字幕だけではなく英語の字幕も
同時に見ることができます。

なかなかにいいとは思うのですが、

英語を真剣に理解したいと言う人向きではないですね。

訳された字幕が英語とはかけ離れていることが多いのです。

でもヒヤリングを向上させるには良さそうですよ。

日常会話の中では以外にも
主語をすっ飛ばしたりしていることが多かったりして。


そりゃぁ、いくら単語の並び順が大切な言語でも
やっぱり分りきっていることは、飛ばしたりするんですね。

ヒヤリングを強化したい方はお試しを。

ちなみに値段は3480円です。

ひと月に一本と決め、一ヶ月みっちり聞き込んだら
それなりに英語の聞き取りができるようになるかも。

それから、買ったソフトは「ゴースト」です。

いやぁ、久しぶりに泣いてしまった。

いい映画。

見終わったあと、なんだかとても妻が愛おしく感じました。

いつまで続くかは未定ですが。

今日はこれにて、
 

犬のちょっとしたこと

2009年08月25日 19時14分37秒 | Weblog
僕はみたのです。
あれはどう見ても、すまなそうな顔をしていました。

バイクで信号待ちをしていたのですが、

そこにちょうど犬を散歩させている人がいたのです。

犬は植え込みの近くをニ、三回くるくると回ったかと思うと、

やおら腰を落とし、いきみ始めたのです。

飼い主は、手馴れた手つきでビニール袋をパッと広げると
ビニール袋にさっと手を入れ、即席の手袋とし、

犬の糞をあっという間に拾い上げ、ビニールを裏返しにして、

キュキュっと袋のくちを縛り上げたのです。

それは信号待ちをしていた僅かな時間のことですから、

その手際の良さには、糞の後始末とは言え、
何か惚れ惚れとするものを感じました。

そのあとです。

きゅっと縛ったビニール袋を手にぶら下げた、まさにそのとき

犬が上目遣いに飼い主をチラッと見たのです。

その目は、

「毎度毎度しもの世話をしていただいて、申し訳ありません」

と言っているようでした。

なんだかばつが悪そうに、辺りをチラチラッと見た後、

もう一度飼い主の顔を上目遣いに見上げたのです。

その上目遣いの目は、
毎回毎回糞の面倒を見てもらっている
ことに対する卑屈さと、恥ずかしさと、感謝の念と、
居心地の悪さを宿しているようでありました。
(本当のところ何も思ってないかも)

犬と人間は有史以来の付き合いです。

犬も人間っぽくなってきたと言うことでしょうかね。
 

ひと昔前はね

2009年08月24日 20時07分57秒 | Weblog
メモリを増設するってすばらしいですよね。

まだまだこのパソコンには底力がある、なんて勘違いしてみたりしてね。


しかし、考えてみると不思議なものです。

ほんのひと昔前、携帯は恐ろしく重く、かさばるものでした。

ひと昔前、携帯にメールの機能が合ってどうするんだと思えました。

ひと昔前、パソコンはほんの一握りの人しか持っていませんでした。

今やそのどれもが当たり前になっています。

デジタルの世界はいったいどこまで進歩していくのでしょうか。

僕がいまのパソコンを買ったとき、インターネットにしても、
市販されているソフトにしても512MBあればほぼ処理できていたのです。

それがいまでは、推奨1GBと書かれた製品が本当に多くなりました。

僕が買ったときには、だいたいが、256MB以上、推奨512MBだったのです。

それがどうですか、まったくもってね。

ふと思ったのですが、

デジタルの世界に比べて、車はあまり進歩がないですよね。

車の歴史から考えればもう少し進歩があってもいいのにね。


こんな本が好き

2009年08月23日 20時23分21秒 | Weblog
僕が内田樹さんの本をよく読むのは

この人は、何かとても人間の根源的なあり方を示しているように思えるからです。

思えるからと書いたのは、ただ受け取っている僕がそう感じているだけに過ぎない

という含みを持たせてのことです。

でも、それでいいはずです。バルトの言うとおり、

読まれた瞬間、その書物は読み手のものとなるのですから。

今読んでいる内田樹さんの本は、

「疲れすぎて眠れぬ夜のために」。

再読です。いや、再再読です。

再再読しているその中でも
特にしつこく読んでいる箇所があります。

第二章、「働くことに疲れたら」の中にある
交換は愉しいというセンテンスです。

交換こそは人間としての本質的行いであると、
ここでは語られています。

まず最初に「イライザ」と言うパソコンソフトが紹介されます。

このソフトは打ち込んだ言葉をそのまま返してくれると言うものです。

私は山田ですと打ち込めば、山田さんですね、と返してくれるのです。

このソフトで発展的な会話をすることはできません。

しかし、このソフトを精神疾患の患者に使ったところ、
目に見えて効果があったと言うのです。

ここで大切なことは、

会話とはぽんぽんと内容が変わっていくことが
愉しいのではなくて、

投げかけた言葉に対して、ちゃんと受け取りましたよ、
と言う意思表示がなされるやり取りが愉しいのだと言うことなのです。

つまり交換は愉しいとは、

お互いに違うものを交換し合うことが愉しいのではなくて、
言葉を変えれば、そこが本質ではなくて、

与えたものがいて、それに対し、感謝とともにそのものを受け取りましたよ、
と意思表示されるやり取りが愉しいと言うことなのです。

さらに内田さんは続けます。

恋人同士の会話は先に上げた「イライザ」とあまり変わりないというのです。

「きれいだね」と言うと「本当にきれい」と返す。

同じ言葉を繰り返しているだけなのだけれど、
それで十分に愉しいし心地いい。

このような会話を「交話的機能」と言うのだそうです。

なぜこのような会話が愉しいのか、

それは、会話の本来の目的が情報の交換にあるのではなく、
言葉を発する人がいて、この言葉を感謝とともに受け取り、
それに返礼する人がいる、と言う事実を確認することにあるからだと言うのです。

僕はこの文章を読んだとき、直感でそれが真実であると感じました。


ダカラ、これからも僕はこの人の本を読み続けなければなりません。

だからと言って全てを受け入れているという訳でもないんですけどね。

 

今はこの本

2009年08月22日 20時06分10秒 | Weblog
近頃僕は太宰を読んでいます。

なんでも今年は太宰生誕百年と言うことで、
小さな本屋でもそれなりに太宰の本が置かれているです。

大学生だった頃は太宰にどっぷりとつかった僕ではありましたが、
何時とはなしに読む作家が変わり、
さまざまな本の変遷を重ね、
ついこの前、村上春樹を読んだことを除けば、

読んだときには何かとても前向きな気持ちにはなるのですが、
気がつけば塵ほどの役にも立っていない「こうすれば成功する」
といったようなビジネス書や、「バカの壁」に代表されるのような新書ばかり
読んでいて、小説を読むことが極端に減っていたのです。

もちろん太宰が生誕百年であることはもっと何ヶ月も前に知っていました。
でも、簡単には手を出せないのです。
手を出すには手を出すだけの理由がなければなりません。

だって、太宰の大ファンであったこの僕が生誕百年
なんて言って騒いでいるマスコミに簡単にのってしまったのでは、
あまりに軽い読者のように見えるではないですか。

太宰を読んでいる人の殆どが、我こそが太宰の一番の理解者だと思っているのです。

そういう人たちに、ふん、このにわか太宰ファンが、
なんて思われたくはないではないのです。

久しぶりに手にした本のタイトルは「ヴィヨンの妻」。

これは短編集です。

読みごたえはあります。

死のうと思っていたとか、死にたいとか、
夫が不倫相手と心中しただとか、
そこにはもはや止めようもない、死の魅力に取り憑かれた
太宰が、これでもかと言うほど描き出されていました。

悩んで悩んで悩みぬいて、弱いんだけど戦って、
それでもまた心の弱さに押し戻されて、
誰も幸せにできない自分に嫌気がさして、

ある時ほんとに死んでしまったのですね。

暗いようでしょう。

でも、暗いだけの小説ではありません。

そこには生きていく努力を一生懸命している姿も
きちんと描き出されています。


さて、今日からは「晩年」です。

また、どっぷりとつかってみようと思っています。
 

増設しました

2009年08月21日 19時37分48秒 | Weblog
今日の僕はかなり機嫌がいいのです。

だめもとで買ったメモリのジャンク品が気持ちよく作動してくれて、

結果、パソコンがさくさく動いてくれているのですよ。

512MBだったメモリを1GBに増設したのです。

しかも費用はたったの1560円。

正規の電気屋さんで買えば一万円はかかってしまいます。

それで長いこと躊躇していたのです。

一万円を鼻紙の延長のように使っている人だっていることとは思いますが、

僕にとっては少ない小遣いの中の貴重な貴重なお金です。

でも欲しかった。

少し重いソフトを使うだけで途端に動作が鈍くなるパソコンにうんざりしていたのです。

日ごろ出かけることのない秋葉原ですから

望んでいるものを見つけ出すのに
苦労はしないだろうかと少し気をもんだのですが、

一つ裏通りに入ると

軒並みパソコンの各パーツを売っている店ばかりで、
いとも簡単に手に入れることができました。

もちろん最初は純正品を買うつもりで
一万円を握りしめていたのですが、

店の方に

「作動状況は確認していませんが、意外と使えることが多いので
試されてみてはいかがですか、512MB二枚で1500円ちょっとですから」

心がぐらぐら揺らぎました。

半々の確立でどぶに捨てなければならない1560円の製品と、
まず間違いなく動いてくれるであろう1万円の製品。

お店の店員さんが後押ししてくれました。

「もし動かなければ、差額は頂きますが、
レシートと現品さえ持ってきていただければ
同等のものとお取替えいたしますので」

この力強い言葉に後押しされ、
生まれて初めてジャンク品を買ってしまったのです。

店員さんありがとう。

秋葉原で働く人はみんな根が良い。

しかもその裏通りにはシュニッツェルのピタやシシカバブを
食べさせてくれる店があったりして、

イスラエルを少しばかり思い出させてもくれました。

これでファラヘルのピタを売っているお店があったら
僕は間違いなく秋葉系になるんだけどなぁ。