イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

ハイアンドシークよりチャーリーとチョコレート工場

2006年03月29日 21時10分38秒 | Weblog
デニーロのハイドアンドシークは、これはもうジョニーデップのシークレットウインドウのパクリです。
ほとんど同じ。デニーロがなぜこんな作品に出たのか理解できない。
二番煎じは二番煎じなのであって、香りも深みも一番煎じにかなうわけがない。
下らない。時間の無駄だ。やられた。
それに引き換えチャーリーとチョコレート工場。ありゃなんだ。あのジョニーデッップは。なんともばかばかしくて面白かった。
あのインド人のような小人はなんだ。あーなんてばかばかしいんだ。思い出すたび笑っちゃうよ。ばかげてる。そして楽しかった。

デンジャラスな夜のテルアビブ

2006年03月28日 22時25分32秒 | Weblog
夜のテルアビブはとても危険だ。暗い路地裏には特に気をつけなければならない。
気を抜くと靴底にいやな感触が。
ニュルッとくる。
犬の糞。
尋常な数ではない。あちらこちらに犬の糞。本当に怖い。踏んでしまったときのなんともいえぬ後悔のような念。
日本のようなマナーがないから犬の糞は基本的には片付けない。そのくせ犬を飼っている人はやたらと多い。
犬の糞を除けば、実は意外と治安は良いんだよね。夜一人で出歩いたって別にどうと言う事もない。テルアビブでは。ヤッフォなんかも以外に大丈夫。一応アラブエリアだけど。
ほんとに怖いのはナザレよりさらに奥まったアラブ地区。ここでの夜の一人歩きは、命の保障は出来ないね。本格的な話はまた後日


ユダヤ人同士の差別があるんだ。

2006年03月27日 22時02分50秒 | Weblog
ユダヤ人はさまざまな国から差別を受けている。アメリカでも南部に行けばユダヤ人というだけで石で打ち殺されてしまうかもしれない。
クリスチャンにとっては許しがたき民族だ。
しかしそんなユダヤ人同士でさえ、実は差別をし合っている。アシュケナジとスファラディー。
何によってその区別をしているのかはわからないが、明確な差別がそこには存在する。
それは就いている仕事を見てもわかる。アシュケナジはいわゆるホワイトカラー、そしてスファラディーは地味な労働者。
誇り高きユダヤ人は土まみれになるような仕事を好まない。だからそのような仕事は出稼ぎに来ている中国人か、アラブ人が担うこととなる。そしてどういうわけかそこにスファラディーも含まれてしまう。
ユダヤ人の差別の仕方は露骨だ。特に中国人に対しては容赦のない差別をする。
シュック(市場)で雇われているような中国人はほとんどの場合人間扱いされていない。
こずかれ、どつかれ、目を覆いたくなるような光景を何度も見た。
無論僕もよく中国人には間違わられた。
ヘイチャイニー。完全に見下した目で僕に近づいてくる。
アニ ヤパニ(私は日本人だ)毅然としてそういうと、彼らの態度は一変する。
これほど差別を受けてきている民族なのに、なぜ人の痛みがわからないのだろうとよく思った。

イスラエルで生活すれば日本がまともに見えてくる

2006年03月26日 19時34分42秒 | Weblog
イスラエルの消費税は、なんと、20%。日本なんてたかが5%。ガタガタ言うほどのことじゃない。イスラエルからしたら耳くそみたいなもんだ。
車に至っては100%の消費税。百万円の車を買うのに二百万円用意しなければならないのだ。
そんなばかげた税金をかけている国を目の当たりにすると、日本がどれほどまともで、住みやすい国であるかがわかる。
しかもその税金のほとんどは軍事費として消えていくのだ。イスラエルの道や、街のずさんなつくりを見たらどこに税金を使っているかは一目瞭然。アスファルトの道にボコボコ穴が開いてたりするんだから。
それは高速道路だって例外じゃない。まさしく死と隣り合わせのカーレース。
それに宗教で成り立っている国だから、宗教者(ラバイ、日本ではラビといっている)も国からお金をもらって生活していたりする。つまり基本的に仕事はしない。唯一する仕事はコシェル(律法に基づいていること)の認定ぐらいだろうか。
またこのラバイというのが曲者で、誇りが以上に高くて、基本的に東洋人なんて人間として認めていないようなところがある。
豚や、えびや、イカなんて食ってる野蛮な何かぐらいに思っているのだ。
それが証拠に握手さえ拒否されたことがある。
少し長くなったので続きはまた後日

イスラエルでは「口笛」ばかり聞いていた

2006年03月25日 23時38分35秒 | Weblog
イスラエルでこれから歩むべき道をぼんやりと考えていたころ、よくミスチルの「口笛」を聞いていた。
だから今でも「口笛」を聞くとあのときのことを思い出す。
テルアビブの町並みから、におい、少し湿った空気まで昨日のことのように、鮮明に記憶が蘇る。音楽って不思議。音楽は確かに時代を切り取っているようだ。

セントラルバスステーション、ヘブライ語ではタハナマルカジッタというのだが、やはり人が集まるからなのだろうか、ひとつ路地を曲がれば娼婦街が立ち並んでいた。
下着姿の女性が戸口に立ち、艶めかしい視線を投げかけてくる。
強烈な刺激にくらくらしながら、何とかそこをやり過ごしたことが、やけに懐かしい。
そのとき、その時代の音楽を聴くと、いいも、悪いも一緒くたに鮮明にそのときのことを思い出しちゃうんだよね。

中川イサト、岡崎倫典にのめりこんだ日々

2006年03月23日 20時29分06秒 | Weblog
人生のうちの数年間、取り付かれたようにギターにのめりこんでいた事がある。大学もそっちのけで、メシ、トイレ、シャワー、タバコ以外のすべての時間をギターに費やしていた。
おかげでギターの腕はすこぶる上がったのだが、二年も留年する破目になってしまった。友人からは「お前はいかれてる」と罵られた。
十二弦のギターに六弦だけ弦を張り、主にラグタイムというジャンルの曲をコピーしていた。
ラグタイムは物凄くマイナーで普通はそのジャンルさえ認知されていないことが多い。でも、アコースティックにのめりこんだものは最終的にはラグタイムに行き着く。と僕は思う。
二年も留年して腕を上げたのだが、ある日突然パタリとやめる日が訪れた。
「いったい俺は何のためにギターを弾いているんだ」そう思った瞬間、あの太宰治の短編、「トカトントン」のように、心に言い知れぬむなしさを覚え、突如としてやめてしまったのだ。
日本の中では岡崎倫典、中川イサトこのふたりがラグタイムの大御所ということになると思う。

自殺者が三万人を超えているのだそうだ。

2006年03月22日 19時21分50秒 | Weblog
昨日のニュースで国内における年間自殺者が三万人を超えていることを知った。
一日百人弱。
毎日どこかで百人近くの人が首をつったり、電車に飛び込んだり、ビルから落ちたり、睡眠薬を大量に飲んだり、富士の樹海に迷い込んだりしてるんだ。
死を選ぶくらいだから、心の闇は計り知れないものがあるに違いない。
死の恐怖を越える、最後の一押しをしてしまうものはいったいなんなんだ。
そこまで人生に疲れ、未来を見失ってしまうものとは。
借金かな?それとも愛が裏切られちゃったのかな?
なんとも重いニュースに、しばし考え込んでしまった。

ミリオンダラーベイビーでキリスト教に目覚めた?

2006年03月21日 20時10分59秒 | Weblog
ミリオンダラーベイビーを見た。
クリントイーストウッドが、キリスト教の不可解な教えに対し何度も牧師に尋ねているシーンを見て私もなにやら興味を持った。
わからないことがたくさんある。例えば三位一体というやつ。
これは簡単な説明では神の三つの側面ということになっている。
創造主たる神、贖罪者キリストとして世に現れた神、そして信仰経験に顕示された聖霊なる神、ということになっているのだそうだ。
クリスチャンはこんなことをまともに信じているのだろうか。
史実どおり忠実に描いたといわれるパッションの中で、キリストはこれでもかというほど拷問を受けていた。
何ゆえキリスト(神)が拷問され、人々からののしられ、つばを吐きかけられ、最後には十字架につかねばならぬのか。
理解できない。
しかもキリスト(神)を拷問するのはローマ人、れっきとした人間だ。人間が神を拷問などできるのか。
それともクリスチャンは何とかつじつまを合わせて納得しているのだろうか。
うーん。

体の不自由な人を見た

2006年03月20日 19時54分04秒 | Weblog
赤羽橋の横断歩道で、松葉杖を突きながら必死に渡りきろうとしている人を見た。足はまったく曲がらないのか、両足と松葉杖を交互に前へ進ませながら、信号が変わるぎりぎりまでかかり、それでも何とか渡りきっていた。
身体の不自由な人はたくさんいる。一日のうちにだって、何人かは目にする。
だから特に気を付けて見ていなかった。
健常者の百メートルが、あの人にはどれほど距離に感じているのだろう。
ざらざらと乾ききってしまった心に、何かが突き刺さったような一瞬でありました。