イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

怖くなったのです

2009年08月20日 20時40分19秒 | Weblog
時事ねたを取り上げ、今書き終えたのですが、

ブログにアップする直前、とても怖くなりやめました。

時事ねたは、ともすれば誹謗中傷の的になりやすいですからね。


ここでお礼をひと言。

通りすがりと自らが名乗っていたので、

また尋ねてくれるかどうかは分りませんが、

「通りすがりのなみこさん」とても参考になる書き込み、

ありがとうございました。

なにしろ、人の子はみんないい子に見えちゃうんですよね。

あの子はあんなに親といて楽しそうなのにとか、

親の言うことをよく聞いてるなとか、


それに比べて、どうしてうちの娘はこうなんだ、なんて思っちゃうんです。

みな似たような経験をしているのですね。

少し心が軽くなりました。


さて今日は、

特に書くことが思い浮かびません。

ついさっき狂ったようにキーを叩き、時事ねたを書き上げたところで

燃え尽きてしまいました。

明日秋葉に行く予定なので、明日はきっといいものが書けるでしょう。 

お土産

2009年08月19日 19時15分42秒 | Weblog
お土産ってとても難しくないですか。

見た目にはとてもおいしそうだったり、

ビニール袋ごしに見る範囲においてはとても使い勝手のよさそうなものが、

いざ食べてみたり、ビニールを破ってみたりすると、

途方もなくしょぼいもので、心底がっかりすること、ないですか。


かく言う僕はお土産をはずすと言うことにおいては
100%はずしたことがない人間です。

なんだかややこしい日本語になってしまいましたが、
ほぼ100パーセントの確立で失敗していると言うことです。

つい最近はずしたものは、ずんだ饅頭。

これもね、見た目はとてもおいしそうだったのです。

見た目は。

のりピーも見た目は清楚な感じがしたけどね。

見た目で判断してはいけません。

尿検査での薬の反応が出なくなるまで隠れ続け、
しかも携帯はどこかに失くしたなんて白を切り、
覚せい剤所持については曖昧な答えしかしない。

このどれをとってみても、相当にしたたかですよね。

やり口からして犯罪慣れしているとしか思えません。

でも、見た目で判断しちゃうんだよなぁ。

のりピーに対する街の反応は、

「あんなきれいな人がそんなことすると思えない」
ですからね。

世の中の人は、犯罪を犯す人は
不細工な人ばかりだと思っているのでしょうかね。

話がそれてしまいました。

中でも一番の失敗はイスラエルから帰ってくるときに買った
タイのお菓子です。

タイ経由の飛行機だったので、タイに着いたときに

やはり見た目だけで、おいしいかなと思えるお菓子を買ったのです。


これが、絶句するほどのまずさでした。

妻をはじめ、口のにした人全てが
言葉を失くしましたからね。

本当はうまいと言ってあげたかったのでしょうが、
お世辞すら出てこないほどにまずかったのです。

ここまでの失敗はそうそうはありませんが、

大体は褒めていいものやら、けなしていいものやら、

結論から言うと、貰ってもあまりうれしくはないものばかり。


でも、それでも、

僕は、お土産を買うときいつも迷いに迷って
これなら喜んでもらえるのでは、というものを
選んでいるつもりなのです。

結果は伴わないんだけどね。

 

親なんです

2009年08月18日 20時03分32秒 | Weblog
なぜ、反抗期なんてものがあるのかな。


娘も中学一年生になり、いよいよもって難しく、

家族での行動に同調してくれないことがよくあります。

一緒に出かけるだけでもひと悶着あり、

やっと出かけたと思えば、

「やっぱり来なければ良かった」とか、
「あぁ、つまんない、もう疲れて歩きたくない」
なんていってみたり、

事あるごろにカチンとくることを、ものの見事なタイミングで

ばしっと決めてくるのですよ。

ぼくですか、

それは頭にきますよ。

胸ぐらをつかんでびんたのニ三発でも食らわしてやりたくなりますよ。

でも、さらに娘は追い討ちをかけてくるのです。

ことさらに疲れた顔を作って見せ、

「あぁ、もう帰りたい、私ひとりでも帰りたい、頭も痛くなってきた、もうやだ」

と、これ以上出せないと言うくらいの暗い声を出して、
たたみかけてくるのです。

親としての自分をためされます。

お前の我がままを聞くことによって、
二人の弟の楽しみを犠牲にしなければならないのだぞと、

もう、ぎりぎりのところで握られたこぶしと
その他さまざまな娘を非難する言葉を飲み込んで、

「よし、わかった。それじゃせめて、ここだけよって帰ろう」

と妥協案を出し、

家に帰りついたあとも、

「頭が痛いのにがんばってくれたから、二人(弟たち)も、
たのしむことができたよ、ありがとう」

なんてねぎらったりしてね。

頭ごなしに叱るのは簡単だけど、
それじゃ娘にとっても僕にとっても
しこりが残るだけだしね。

親って大変。

それでもね、こんなときにはうまい具合に息子が慰めてくれたりするんです。

「お父さん、今日楽しかった」

なんて、満足した顔でいってくれるのです。

それだけで疲れが吹き飛ぶと言うものです。

でもね、それもこれも子供がいなけりゃ味わえない。

大変だけど、子供がいるって、すばらしい。

 

あるとおもいます

2009年08月17日 19時08分11秒 | Weblog
たまに、本当にたまにですが、ふとした拍子に思い出した
そのことがあまりにはずかしく、
きゃっと声を出してしまいたくなるときはないですか。

例えば高校のとき、
飼っている犬をキスの練習台にしていたら、
突然がぶりとやられて、口の周りが血だらけになってしまったこととか、

妻とまだ結婚する前、デートしていたらどうにもお腹が張ってきて
ばれないようにちょっと離れておならをしたら、

お腹の調子悪いの何て言われて、完全におならがばれちゃった
時のこととか、

もちろんこればかりではないのだけれど、

そういう何とかして記憶の外に押しやってしまいたい
忌々しい思い出を、何の拍子か思い出したりすると

車の中に駆け込んで、窓と言う窓を全部占め、
目いっぱいアクセルを踏み込んで急発進し、

わああああっと叫びたくなるときが僕にはあるのです。

なんだかこんなふうに書いていると僕の人生の大半は恥ずかしいことで
埋め尽くされているようでもありますが、
実際そうなのかもしれません。


でも、僕に僅かでも抗弁の機会を与えてくださるのであるならば、

思春期に犬や猫を飼っていた人の6割くらいは

それらを使ってキスの練習をしているはずです。

いや、あるったらある。

裏づけはないけど。


今日はこんな日でした。

(どんな日なんだ)


 

今回のお盆休み

2009年08月16日 17時23分51秒 | Weblog
お盆休みはなんとも気ぜわしく過ぎていきました。

子供たちのどこかに連れて行け攻撃を全身に浴びているうちに
なんだか僕自身も無償にどこかに行かなければならないような気がしてきて、

さて、どこへ出かけたものかと思案にくれたのですが、
もはや東京のどこかに魅力的だと感じる場所など
僕の頭の中には存在せず、

さりとて一番近場のショッピングモールにばかり行ってみたとて、
そこはもうただ消費するだけの、人間の中にある一番俗的なところばかりを
刺激するような場所であるし、

いや、もちろん消費は楽しい行為であることは分っているのだけれど、
でも消費と言う行為の楽しさを子供たちに徹底的に浸透させてしまうと、
欲するものが時間の経過を経ずに、簡単に手にすることのできる環境に
あまりにも慣れ親しんでしまいそうで、それはそれでとても良くないことのように
思えるので、

ショッピングモールだけはこのお盆休みの間は行かないと決めてしまうと
もう本当にどこへ行くところも思いつかず、

でも僕の頭のスイッチはどこかへ行かなければという場所に
パチンと気持ちいいくらいに入り込んでしまい、

あぁどうしよう、んんどこかいいところはないのかしら
などと思いをめぐらすうちに、

はまり込みすぎたスイッチはブレイカーを落とすこともできずに

とうとうショートして、ショートした結果決まった行き先は
なんのひねりもない東京タワーになったのでした。

結果から言いますと展望台には上らずじまいでした。

たかだか150メートルうえにある展望台に上るのに
一時間以上待たされて、しかも大人ひとり800円もとられるとあっては
展望台に上る気も失せるというものです。

それだったら都庁や新宿センタービルにでも行ったほうが
まだましではないですか。


もちろん子供たちは落胆し、精神的疲れはそのまま肉体的な疲れとなって
顔の表情は見る見るうちにどんよりとしていくのでした。

ま、まずい、このままでは父親の威厳が、、、、。

僕とて気温30度を超え、
しかもそこにまとわりつくような湿気のおまけ付きとあっては
頭の回転も鈍りに鈍ったのですが、

それでも頭痛寸前まで頭の中の情報を探り出して、

なんとか東京タワーの代案を見つけ出したのでした。

日の出桟橋まで歩き、そこから水上バスに乗り浅草へ。

今にして思えば子供だましのような代案ではありましたが、
船でのしばしのクルージング(そんな大それたものではないのだけれどね)は
一服の涼までもたらしてくれ、
なかなかの気分転換になりました。

ふぅ、疲れた。


でもね、

子供が小さい時に子供を連れていろいろな場所に遊びに行くと言うのは
そのときにしかできない貴重な時間です。

子供が親を100パーセント頼ってくる僅かな期間。

親と手をつなぎ、疲れれば抱っこなんていってくれる時は
それほど長くはありません。

抱っこすることのできる幸せを今回も感じさせてくれた
すばらしい子供たちに感謝です。

でもやっぱり疲れた。
 

この場をお借りして

2009年08月12日 20時58分05秒 | Weblog
そうかぁ、英語ではダイアローグなんだぁ。

そうですね、ソクラテスは会話(質問)の中で
知を整理して言ったのですから、

まさにそこが弁証法の原点なのかもしれません。

いずれにしても、弁証法という言い方は
どうにもなじめませんね。

それを決定的に広めた人(ヘーゲル)が悪かったのかな。

僕にはどうにも否定的な響きを感じてしまうんですよね。


それからじゅんさん、いつも刺激的なコメントありがとうございます。


今日は特にないんです。

東京は車が少なかった。

毎年のことですけどね。

 

今日は何の日?

2009年08月11日 19時22分38秒 | Weblog
昨日はとても寝苦しかったんです。
夜中に何度も目を覚ましました。

そのせいなのだと思うのですが、

今朝の地震にまったく気づきませんでした。

いや、本当に気づかなかったんです。

僕の動物的感は相当に失われているようです。


それはそうと今日はモーニング娘のアルバム発売日
なのだそうです。

なぜそれを知ったかと言いますと、

会社にモーニング娘に夢中になっている齢(よわい)五十の
先輩がおりまして、

それだけなら、そのような情報を知ることはないのですが、
な、なんと同じアルバムを10枚も買っていましてね、

それで質問したところ、

今日は発売日だし、オリコン1位にしてあげたいから、
と言うこたえが帰ってきまして、それで知ったと言うことなのです。


ファンの鏡です。

ここまで思われたらモーニング娘だって本望だと思います。

ただその思いは届いてはいないけど。

でも、先輩からすればこれでモーニング娘がオリコン1位に
でもなってくれれば、その一端は自分が担ったのだと思えますからね。

僕は彼を笑えません。

そこまで心傾けるものは僕にはありませんが、

大学生の時に太宰に傾倒したときには

やはりぼくも、
自分こそが太宰の一番の理解者だと思っていましたからね。


なんであれ、夢中になれるものを持っているのはすばらしいことです。




 

夏なので

2009年08月10日 20時57分51秒 | Weblog
僕は霊感ゼロの人間です。

夜にお墓を散歩しても霊的な怖さをまるで感じません。
もちろん現実的な怖さ、例えば泥棒や悪漢など、
法の範疇を逸脱した人の怖さは感じますが、
それ以上のものではありません。

僕はこのようなものでありますから、

先祖のたたりであるとか、だれそれの霊がついているとか、

そのような話しはまるでついていけません。

とくに、小太りで、いつも着物を着ていて、
なんだかいつも人の背後や、頭のちょっと上を見ながら、
あなたについている霊は、なんてのたまう輩は大きらいです。

全てお見通しみたいな顔して
アドバイスをしているさまを見ていると

そのあまりの胡散臭さに笑ってしまうほどです。

本当に胡散臭いんです。

あんなものをありがたがって聞いている人の気が知れません。


でも、だからと言って霊的なものをまったく否定している
と言うわけではないのですよ。

否定はしていないけど興味がないということです。

 

弁証法補足

2009年08月09日 19時27分50秒 | Weblog
ぼくたちの周りはわかっているつもりの言葉で
氾濫しています。

本当です。

よく知りもしないで使っている言葉は山のようにあるのです。

たとえば僕がたまに使う「けだし」。

これだってわからない人、意外と多いんです。

「けだし」とは「すなわち」とか、「つまり」と同義で、
根拠を示し、最後の結論にもっていく言葉です。

もっと簡単に言えば「君は礼儀正しい、だからみんなに好かれるんだね』

の「だから」の部分とほぼ同じで、私はそんなふうに思っていますよ、
というほぼ確定的な推測のときに使われます。


こんなふうに一度説明したことを
もう一度今の生活基準に合わせて
説明しなおしてみることを弁証法と言います。

このことによって僕たちは

「知っているつもり」を看破する事ができるのです。

弁証法と言うとマルクスと直結して考えてしまう人も
少なからずいるのではないでしょうか。

でも弁証法自体は、古くソクラテスの時代から用いられた
方法です。

このことによって僕たちは「無知の知」を知ることができるのです。

「つもり」を看破することは大切なことです。

だって日常におけるさまざまな軋轢や、いざこざや、
果ては事故に至るまで、その原因は以外にも
「つもり」が多いのですから。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
 

言い方いろいろ

2009年08月07日 19時54分12秒 | Weblog
なぜ、弁証法なんて言い方をするのかな。

一度説明してみて、それをまたさらに噛み砕いて
説明してみる方法、とか言ったらいいじゃないね。

弁証法なんて言い方をするから訳がわからなくなるんだよな。

受験に明け暮れてる日本人はそのたびごとに

弁証法を用いて勉強してるっつうの。ねぇ。


えーっと、

僕の知り合いに決して直接的な言い方をしない人がいまして、

ほんの僅かな期間、僕もその言い方に感化されたことがあったので、
今日はそのことでも。

その人はどのような場合でも否定を二回することによって

肯定すると言う言い方をするのです。

「これおいしいね」

「おいしくないと言うわけではない」

「ん、んん?それはつまりおいしのかな」


「面白いなこれ、ね?」

「面白くないというわけではない」

「あのね、面白いと素直には言わないのですか?」

「言わないと言うわけでもないのですが、、、」

「それはつまり言わないと言うことだな」

本当に一事が万事こんなふうだったので、
話しているうちに次第に僕もそん風になってきて

「私のこと好き?」

「うん、嫌いという訳ではない」

「ばかじゃないの」

なんてことになる始末でした。