言葉はものの名前ではない。
創世記によれば人は神が用意しておいたさまざまな万物に、これはライオン、これはキリンというふうに名前をつけていったというのです。
それはつまり、こんなふうに首が長くて背の高い動物の名前はキリンがいいかな、という具合に概念はあるがそのものの呼び方がなかったので名前をつけたのですよ、ということです。
これはこれで一見納得です。
そうやって名前をつけていったのであろうな。私もそう思う。と思ったのですが、そうじゃないんじゃないの、それは違う、概念が先ではない、混沌とした状態の中で、それらを切り分けていく中において概念が生じたのだと私は思う、と主張する人が出てきたのです。
そうやって切り分けて名前がついたからこそ概念が生じたというのです。
それは例えるなら夜空にきらめく満天の星を線で結び星座という概念を生じさせるのに似ています。
星を線で結ぶことができた人にとっては夜空の星は白鳥であったり、こぐまであったりするのですが、切り分けることができない人にとってはまさしく満点の星以外のなにものでもないのです。
そういわれるとそうだよな、とも思いますね。
はじめに言葉ありきなのですよ。
はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。
何かヨハネによる福音書を読み解くきっかけになりそうですね。
因みにこれも構造主義の話です。
創世記によれば人は神が用意しておいたさまざまな万物に、これはライオン、これはキリンというふうに名前をつけていったというのです。
それはつまり、こんなふうに首が長くて背の高い動物の名前はキリンがいいかな、という具合に概念はあるがそのものの呼び方がなかったので名前をつけたのですよ、ということです。
これはこれで一見納得です。
そうやって名前をつけていったのであろうな。私もそう思う。と思ったのですが、そうじゃないんじゃないの、それは違う、概念が先ではない、混沌とした状態の中で、それらを切り分けていく中において概念が生じたのだと私は思う、と主張する人が出てきたのです。
そうやって切り分けて名前がついたからこそ概念が生じたというのです。
それは例えるなら夜空にきらめく満天の星を線で結び星座という概念を生じさせるのに似ています。
星を線で結ぶことができた人にとっては夜空の星は白鳥であったり、こぐまであったりするのですが、切り分けることができない人にとってはまさしく満点の星以外のなにものでもないのです。
そういわれるとそうだよな、とも思いますね。
はじめに言葉ありきなのですよ。
はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。
何かヨハネによる福音書を読み解くきっかけになりそうですね。
因みにこれも構造主義の話です。